2016年9月30日金曜日

病理の話(3) 向き不向き的な解釈

笑い話にもなりはしないが、いちおう我々の中では笑い話とされるエピソードがある。

***

ある人が、手首が痛いと言って病院に行った。

よくわからないから近場の総合病院に行く。外科も内科もあるし大丈夫だろう。

受付でこう言われた。手首が痛いのでしたら、外科ではなくて整形外科のある病院がいいと思いますよ。

そうか、外科と整形外科というのは違うのだな。
では整形外科に行こう。
近所にちょうど、シモダ整形外科がある。

さっそく行ってみた。医者に会って、手首が痛いと告げる。
するとそのシモダはこう言った。
「すみません、私の専門は主に下肢(脚、足のこと)なんですよ。ですから、手首は得意じゃないんです」。

なるほど、整形外科と言っても専門があるのか。
確かに全身の骨という骨、筋肉という筋肉、靱帯という靱帯をみるとなったらこれは一仕事だ。
しかし、だったら病院の名前に「下半身専門整形外科」とか書いてくれればいいのにな。

シモダに次の病院を紹介してもらうことにする。
それでは、上半身……いや待てよ、上半身専門と指定すると、やれ「私はクビが専門で」とか「私は胸が専門で」と言われても腹が立つ。
きちんと指定しよう。
「腕が得意なところでお願いします!」
彼は答えた、「わかりました。では上肢専門で有名な整形外科をご紹介しましょう。ウエダ整形外科と言います」。

痛い手首をさすりながらウエダに会って、手首が痛いと言ってみた。
彼の顔がさっと曇る。嫌な予感がした。
「すみません……ボク、専門が指の第二関節なんですよ」。

***

もちろんこれはフィクションである。


*


笑い話にもなりはしないが、いちおうぼくの中では笑い話としているエピソードがある。

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ぼくは病理診断のことを、元々は別に好きでも嫌いでもなかった。
大学院で基礎研究をしていたが、とにかく何もかもうまくいかなかった。
朝8時に講座のデスクについて、
培養している細胞に栄養をあげ、
午前中にウェスタンを2枚すすめながら午後の抄読会の準備をして、
昼にはバイトの病理の切り出し、
午後にタイムラプス顕微鏡を動かし始めてから抄読会、
抄読会が終わるとバイトの病理診断をして、
大学のCPCの準備をして、
そのあとタイムラプスの調整をかけてから論文を読んで夜2時ころに帰宅する生活をずっと続けていたのに、
英文の論文を1本も書けなかった。

基礎系の病理学講座にいるのに、4年間いて論文がゼロ。

いろいろなものに手を出して、何もかもうまくいかなかった。

少しずつ芽が出てきたのは病理診断だったかもしれない。でも、いまいち顕微鏡の世界にはなじめない。
基礎研究でビッグ・ジャーナルに何本も投稿する夢を持っていたぼくにとって、細胞を見ることを生業にするなんて、指の第二関節だけを専門にするよりももっとカッコ悪いと思った。

そりゃあ、病理診断医はいろいろご託を並べて、全臓器の細胞を見るのだとか基礎と臨床のかけはしをするのだとか言うけれど、
いまどき、
全臓器をほんとうに診られるわけがないじゃないか。

いつか細胞の世界にはまり込んで、
胃の分泌腺の1個に発現するタンパク質を対象にした免疫染色で少数の症例を相手にして小さな論文を書いて、
「すみません……ボク、専門が胃底腺に分布する壁細胞のH+/K+ ATPaseなんですよ」
とか言いながら、
それでもまあ、
ぼくは論文書いたよって家族に自慢したりするちっちゃな人間になるんだ……。

なんとか博士号をとったけれど、研究者としての将来をあきらめたぼくは、暗澹たる思いでこうつぶやいた。
「もう、病理診断医にでもなるしかない」。

***

もちろんこれはノンフィクションである。


*


こないだ、超拡大内視鏡と病理組織の対比という、普通に顕微鏡で見るよりもさらに細かい世界での研究を行ったところ、ぼくの名前が入った論文が2本できた。まあ全部を自分で書いたわけではないのだが、自慢にはなった。といってもすでに家族はいなかったので、自慢する相手がいなかったわけだけれど、ま、ちっちゃい人間としては自分なりにうれしかった。


*


「専門が指の第二関節」を笑っていたはずのぼくは、いったいどこでどう道を間違ったのだろうか。


*


あるいは、この世のどこかにいるかもしれない、「指の第二関節が専門である整形外科医」は、「指の第二関節が気になって仕方が無い、日常生活に不便を感じている、気立てのいい患者さんたち」を、今日もどこかでじっくり、ゆっくりと助けているのだろうか。

2016年9月29日木曜日

まどか☆マギカも見ていない

「ヒット曲をインストアレンジした音楽」ってのがある。マックスバリュウとかでよくかかっている。たとえば木村カエラのButterflyとか、SMAPの夜空ノムコウとか、今井美樹のprideとか、もう元の曲よりも「マックスバリウのインスト」の方がよっぽど多く聴いているんじゃないかと思うときがある。スピッツのチェリーもそうだ。

あれはなぜ、元の曲をそのまま流さないのか。いろいろ理由はあるんだろう。商売のやり方みたいなものを丹念にググっていけばわかるんだろう。原曲を流すよりもインスト版の方が著作権料的に安価で済むとか、歌詞がある曲だと客の気が散るとか、店の雰囲気を統一するのに便利だとか、ほかにもぼくが思いつかない理由がいくつか出てくるんだろうけど、あいにく店内にかける音楽を決めるフロアマネージャーではないぼくは、「原曲よりもアレンジの方ばかり聴いて、インストの方が当たり前になってしまった悲しさ」の話をしている。Butterflyを家で聴いた回数よりも結婚式で聴いた回数の方が3倍ほど多く、マツクスバルーで聴いた回数の方が30倍多い。ちなみに、嵐のあとにかかることが多い。


話を変える。今はもうだいぶすたれてしまった文化だが、アニメがヒットするとキャラクタが「AA(アスキーアート)」にされ、2ちゃんねるの「やる夫系スレ」にて二次創作のアクターとして再度消費される、という流れがあった。何を言っているかわからない人は、そのままの路線で生きていた方がいいから説明は省く。

たとえばぼくは「SchoolDays」というアニメをまったく見ていないのだが、伊藤誠のことは顔も性格も視聴者からの評判もほぼ知っている。なぜかというと、伊藤誠は2ちゃんねるの二次創作系スレで、「女ったらしで姑息、最後はひどい目にあって読者の留飲を下げるキャラ」としてスターシステムの核に君臨し、ありとあらゆる二次創作で脇役を演じた「スレ俳優」だったからだ。元ネタを知らないのに、伊藤誠というキャラクタがどういう性格でどんなセリフ回しをするかを知っている。知った気になっている。中途半端にわかってしまっている。

ぼくにとって、「元ネタは知らないけど、流行しすぎたおかげで把握してしまっているもの」は無数に存在する。

GLAYが一番流行っていた頃、HOWEVERを含めほとんど聴かなかったが、その後大学時代にカラオケで他人が歌うのを聴きまくったせいで中途半端に覚えてしまった。沢田研二のTOKIO(グループ名ではなく、曲名です)、ぼくは原曲を聴いたことがないけれど、一緒に仕事をする先輩達がカラオケであまりによく歌うので覚えてしまった。みかんのうたがSEX MACHINGUNSの曲だと知るまでに数年かかった。

「ひぐらしのなく頃に」も、「コードギアス」も、「Fate」も、どれも一度も見たことがないが、竜宮レナもルルーシュもセイバーも声まで想像できる(聞いたことないのに)。水銀燈のロマサガ2スレは本当に面白かったが、ローゼンメイデンを見たことがないしロマサガ2は未プレイであったし、もはや何がオマージュで何がパロディなのか全くわからないまま、ストーリーのおもしろさだけをただ追いかけていた。


話を変える。


玉村豊男さんという卓越した文筆家……小さなワイナリーやってる人……ええと……世界の料理を日本で再現する人……うーむとにかくすごい人がいる。彼のエッセイはとてもよい。昔、ある編集者から、玉村さんの「料理の四面体」という名著を紹介され、没頭する勢いで読みふけり、感動の末に「病理の四面体」というオマージュ記事を書いた。元ネタからはだいぶ劣化してしまっており、彼我の実力差が胸に突き刺さった。もやもやした。

記事はFacebookに載せたのだが、だいぶ経ってから、編集者が「料理の四面体」を送ってくれたのは、病理の四面体を書いて「うちで本にせよ」というメッセージだったかもしれないと思った。ああ、特にことわりもなくFacebookに載せちゃった、悪いことをした、などと自分勝手な反省をしたあげく、でも記事の出来はあまりよくなかったわけで、まあ、許してよね、と自分の中で手打ちにしてしまった。


そういえばぼくは、編集者がマンガ「もやしもん」に出てくるキャラに似ていると言って「西野マドカ」というあだ名をつけ、ツイッタランドでさんざんにいじり倒したのだが、彼女は「ぜんぜん似てません」とふくれ面であった。

2016年9月28日水曜日

病理の話(2) ある臨床医との対話

悔しそうな声で電話がかかってきた。先日の記事で書いたのとはまた別の内視鏡医である。ぼくとたいして変わらない年齢、ぼくより若く見える見た目、つまりはうらやましい方の医者に属するタイプである。どうせまともな結婚をするのであろう。もうしているのかもしれないが、よく知らない。なお、ぼくは何故か、ろくでもない結婚をするタイプの医師と仲が良い。

「先生、お時間、いつ空いてますか」

ぼくがツイッターで連続投稿している時に、こういう電話がよくかかってくる。つまりはむこうも「ヒマだろ」とわかっているし、こっちも「ヒマじゃねぇよ」とは言えないので、「いつでもいいですよ」と答える。本当にすぐにやってきた。部屋の外で待っていたのではないか。

ちょっと前に診断したESD検体についての相談だった。

ESDとは、endoscopic submucosal dissectionの略で、内視鏡で・粘膜の下のところを・ぶったぎる、という意味である。まあとにかく、内視鏡医が、胃カメラを使って、癌の部分だけをチョキチョキと切ってくるスゴワザだと思っていただければよい。たいした技術だ。本当はいろいろ紹介したい。けど、詳しく書いたところで、本筋にはあまり影響しないので、飛ばす。

その医師が行った胃癌チョキチョキ術にて、採られてきた検体の病理診断を行ったのはぼくだ。しかし、自分で書いたレポートを見ても、臨床医がなぜ悔しそうに問い合わせをしてきたのか、いまいちわからないでいた。

臨床医が病理の所に悔しそうに電話をしてくるとき、その理由はだいたい決まっている。手術前に臨床医が予測していた内容が大きく外れたとき、が多い。

たとえば、「この癌は、およそこれくらいの範囲にあるだろう」と予測して、胃粘膜をチョキチョキ切ったとする。病理で確認すると、切除検体の端っこまで癌がある、つまり癌が採り切れていなくて、体の中にまだ癌が残っているときが、まれにある。これは、臨床医にとっては、実に悔しい。胃カメラで見て、ここまでが癌だろうと判断して、その範囲を全て採取してきたはずなのに、まさか採り切れていないなんて……。臨床医は悔しがると共に、不思議に思う。いったいなぜこの癌を見極められなかったのだろう、という疑問をもつ。

内視鏡医が想定する診断、予測する癌のひろがり、推測した癌のしみこみ方などは、非常に精度が高い。実に9割5分……いや、9割9分以上の確率で病理診断と一致する。それだけに、外した1分には魂を込めて検討をしていかないといけない。診断がずれた理由を探しに行かないといけない。

でも。今回の問い合わせ症例では、癌は「採り切れていた」のだ。しかも、その他の病理項目も、概ね術前の予測通りなのである。

ぼくは尋ねた。
「先生、うまいこと採れてますけど、どこが気に入らなかったんです」

内視鏡医は答える。
「いや……採れたからよかったんですけど、その、断端までの距離がね」

癌を切り取ると言っても、「切りしろ」があまりにも短いと、うっかり体の中にこぼしてきそうで怖い。だから、癌よりも少し大きい範囲で、余裕を持って切除する。この「切りしろ」の長さを「断端までの距離」と言う。

ぼく「ちゃんと採り切れてますって。断端までの距離も、4mmある。大丈夫ですね」

内視鏡医「いや……4mmしかないんですよね。まいったなあ。ぼく、1cmは間隔とったつもりだったんですよ」


これは少し前の話だ。しかし、会話はほとんどそのまま覚えている。彼は実に悔しそうな声をしていた。


ぼく「先生、4mmじゃ不満ですか」

内視鏡医「それって、内視鏡での見積もりが6mmもずれたってことです。ちょっとこの内視鏡画像、見てくださいよ。ほら、癌の模様はここまでだと思ったんです。だから、ここから1cmほど離して、ここで切った。切ったときの写真もあります」

ぼく「……」

内視鏡医「でもね、ふたを開けてみれば、断端までの距離が4mmでしょ?ということは、内視鏡画像のこの部分……ぱっと見、癌に見えなかった部分……ここには癌があるということになる」

ぼく「……ふむ」

内視鏡医「これね、もしこの ”わからなかった6mmの範囲”がね、10mmだったら、ぼくは癌を切り取れなかったということになります」

ぼく「ちょ、ちょっと一緒に顕微鏡見ましょう」


顕微鏡を見て考える。内視鏡医の考えた「6mmの誤差」は、「癌が、正常粘膜と類似した構造をとる部分が6mmほど存在した」という”理屈”によって説明することができそうだった。しかし、この考え方は当時は今ほど一般的ではなく、その内視鏡医に”納得”してもらうべく様々な文献や教科書を引っ張り出して、一緒に顕微鏡を見て、結果的にはたった6mmを解決するのに、半年以上の時間を必要とした。

多くの臨床医は、「顕微鏡でチマチマ診断して何が楽しいのか」とは絶対に言わない。

……まあ、ネットに惑溺していると、稀には医師を名乗る人間、ないしは患者を名乗る方々が、「顕微鏡なんぞ何が楽しいんだ」と思っていることは伝わってくるが、しかしこれはネットが陰を強調しているだけで、実際にはほとんどの臨床医が病理診断を大事にしてくれている。けどね、理想論はともかく、ほんとに6mmを大事にしてくれるのはうれしいな。そう思った。職人芸を感じるし、何より、「これがもし6mmじゃなくて10mmだったら」という仮定を設定して、自分のレベルを引き上げようという心意気がいい。

6mmの違いにこだわる臨床医を助ける仕事を、自重気味に「ぼく、針小棒大が好きなんで、楽しいっす」と言うことがある。しかし、小さい違いがなぜ起こったのか、認知の歪みは何によるものなのかを探ることは、実際とても刺激的な作業だし、形態診断学の醍醐味ではないかと思う。

昨日たまたま廊下で会った彼と挨拶をしたあとに、尋ねてみた。先生って独身なんですか?答えはここには書かないが、どちらかというと彼はぼくが仲良くすべきタイプだったと、今更ながらに知る事ができ、数年来の認知の歪みをまた一つ正すことができた。

2016年9月27日火曜日

醤油ストリップ

毎朝、FMラジオを聴いている。どちらかというとAM党だったぼくがFMを聴くようになったのは、今はもう終わってしまったある番組「タックスモーニングレイディオ」のベテランDJが毎朝
「グーーーーーーッド、モオオォォォォニイイイィィィンング!!!!!」
と音割れしない絶妙の絶叫を繰り返しているのを耳にして、なんか、もう、その一生懸命さ、救われるわ……と思ったのがきっかけであった。

彼の番組が終わった後、同時刻ワクでスタートした後発番組のDJはなんというかとてもヘタクソで、曲名は噛むわ、アーティスト名は噛むわ、投稿してきたリスナーの名前は噛むわ、それでいて自分の番組名だけは絶対に噛まないという一貫したがっかりっぷりが美しい。結局毎朝聴いてしまっている。

たぶん、ベテランも若手も、それぞれに叩かれる立場なのだろうな、とか、そういう好き嫌いを超えたところで一本頑張り続けているから、あるいは頑張ろうとしているから、こうしてやっていけているのかなと、上からの目線のような母からの手紙のような、小うるさいサポーターのような何かを演じる日がある。例えばそれが、何もない今日である。

今朝のラジオからは、なつかしの椎名林檎、思い出の幸福論が流れていた。

とある先輩が言っていた、
「椎名林檎の勝訴ストリップ(2枚目のフルアルバム)は、椎名林檎たちが売りまくることだけを考えて徹底的に作りこんだザ・ポップである」
という話を思い出した。そうか、勝訴ストリップの少し前(だったはずだ)にリリースされた「幸福論」の時点で、すでに椎名林檎たちは売れそうなメロディを作ることに長けていたのだなあ、としみじみとする。

今も昔もぼくは音楽の詳しいことがよくわからないし、コードも押さえられないし五線譜も読めないし、口笛がスカることもあるが、今よりずっと音楽経験が少なかった20代前半に幸福論を聴いたときに「キャッチーでかっこええなあ」と感動した曲が、20年弱経った今でも全く変わらない感想をぼくに運んでくることを、ほんとうにすごいことだと思う。音楽の根本的な理論とか、ジャンルとか、先達の作った歴史とか、ぼくらがどういう音楽を好きになりがちなのかとか、販路と販促とか、そういうことはいつまでもわからないけど、売れるものがどういうものかを肌でわかっている人たちの作るものに触れると、ふと「醤油」のことを考える。

彼らにだけ見える「醤油」みたいな絶対の調味料があるのかな、なんにでも「醤油」をかければ絶対にうまくなる、みたいなやつ、そしてきっと「醤油くせぇな」と怒る人たちもいっぱいいるんだろうな、2日も口にしなければ「醤油」が懐かしくなるほど「醤油」の記憶が味蕾に染みついてしまったぼくたちは、「醤油を使っていない料理」を食い続けようとしてもどこかで「醤油」だけは認めてしまうんだろうな、だったら音楽における「醤油」をわかっている椎名林檎の音楽がいつどこで聴いても耳に残ってしまうぼくは、「醤油ってすごいよね」と言い続けてしまうんだろうな。

新しいDJはなぜだろう、がんばって岩塩とかパクチーとかルッコラとかそういうものを駆使して自分の色を出そうとしていて、そうだな、そういう人たちが一人の夜にタマゴかけごはんに醤油をかけている瞬間というのも、味蕾に訴えかける郷愁みたいなものがあるなあと思ったりした。

「醤油」を使いこなす椎名林檎があこがれていたという向井秀徳は魚醤の使い手なのかもしれない。そういえばぼくは美しい女性の前でラーメンを語る時にはなぜか頻繁に「魚醤が利いててうまいんだ」という傾向があるように思う。

2016年9月26日月曜日

病理の話(1) ある臨床医との電話

内視鏡医が尋ねてきた。

病理のぼくのデスクにはいろんな人がやってくる。ぼくが嫌いじゃない人には、
「電話しなくてもぽっと来ていただいてだいじょうぶですよ。」
と伝えてある。だからたいていはみんな電話してから来る。

この内視鏡医は、電話しないで来た。もちろん歓迎する。今日はどうなさいましたか。

「この内視鏡画像ちょっと見てください」

見る。見覚えがない。いつの症例かと尋ねる。数ヶ月前らしい。ならまあ忘れててもしょうがないかなあと思う。でも、話を聞いているうちに、ああ、画像見たなあこの人、なぜ忘れてたんだろう、などなどいろいろ蘇ってくる。

複雑な症例であった。すごく単純に書くと、「腸の機能が落ちた人」だ。個人情報に触れない程度に説明を書いておく。

科学とは分類なのだと言ったのは誰だったか。腸の病気をざっくり分けると、
・できる
・つまる
・ねじれる
・あばれる
などに分類できる。この書き方では今にも岡崎体育が歌い出しそうなので、もう少しきちんと分類をしよう。病理医の頭にはまず何をさしおいても

・特に症状はなくても、がんがあればそれはもう大変な病気だ

というのが一つある。患者にとっても医者にとっても、がんは別格だ。そして、「がんのあるなし」という大きな命題とは別に、腸の病気を以下のように分類する。

・詰まったりねじれたりして腐りそうになる
・吸収や分泌が狂って便がいろいろアレする
・蠕動(ぜんどう)が狂っておなかがグルグルキリキリとそういうかんじになる
・なんかそげて血が出る

つまる、ねじる、もれる、あばれる……。

今回は二番目のやつだとあたりをつけた。まあ、あたりをつけたのは内視鏡医なんだけど、ぼくも長いものに巻かれた。

そして彼はこう言った。

「先生ちょっとこの内視鏡見てくださいよ、これ、病理で反映されてますかねえ……。」

おっ、言うね……。

この質問には「含み」がある。すなわち、本当はこうなのだ。

「ポンコツな病理診断書きやがって、臨床症状とも臨床画像ともちっとも噛み合ってねえんだよクソボケちゃんと見ろ」

である。

ポンコツな病理診断とは具体的にはどういうことか。

腸の粘膜をつまんで採ってきた、たかだか1.5mm大程度の粘膜生検(ねんまくせいけん)に含まれる、10個弱の絨毛陰窩と粘膜筋板がほんの少量、そこに少量の炎症細胞と軽度拡張したリンパ管がみられて間質には少し浮腫、でもアクティブな炎症はなくてもちろん腫瘍もない、絨毛の形状も再生でも過形成でもなければ萎縮でも未熟でもないというないないづくしの病理標本に対し、

「特異的な所見はありません。悪性所見(がんを示す証拠)もありません。なんもねぇよ」

のひと言で終わらせた病理組織診報告書(レポート)のことである。まあ今回のレポートは正確にはぼくが書いたものではなくて同僚が書いたんだけど、その妥当性といったらカラスを見て黒と言いました、くらい妥当なのだ。病理医に求められる必要な答えをきちんと満たしている。特殊な像がない。がんのヒントもない。何も間違っていない。

でも、内視鏡医は困っているのだ。このよくわからない疾患に、もうどんな手を使ってでもいいから少しでも近づきたい。病気の診断を決めて、それがどれくらい重篤なのかをはかりたい。あるいは治療法を探りたい。通り一遍の治療はもちろん試しているけれど、何か劇的な疾患名が付くなら劇的な治療法も出てくるかも知れない。

内視鏡で見てつまんでいる場所にはこのように「所見」があるんだ。見て分かる変化がある。でも、病理に何もないってことねぇべさ。見て違うところ採ってるんだから、プレパラートだって見て違うべさ。もちっと見てくんねぇかな!

という心をオブラートで単身用引っ越しパックみたいに丹念にくるむと、
「この内視鏡像、病理に反映されていますかねえ。」
という大人のセリフが出てくるのである。

ぼくらは二人で同時にみられる顕微鏡の隣同士に座り、プレパラートの像を丹念に見直していく。もちろん、病理学的に見ることができる内容はもうほとんど網羅され終わったあとだ。新しく何かが見つかる可能性は、極めて低い。けれど、内視鏡を見た医師が「何かがおかしい」と思ったところに共感すれば、同じ組織像を語るにしても何か違う「説明の仕方」ができるかもしれない。

2,3分ほど顕微鏡と内視鏡とを見比べていて、ぼくは一つの所見をピックアップし、同時にプレパラートの染色方法をあと2つ試してみることにした。内視鏡が変に見えた理由については解決した。たぶん、この像があるから、内視鏡的にはこう見えるんだろう。それはわかった。しかし、診断の大枠としては何も変わっていない、これで治療方針が変わることも絶対にない、つまりここで2人が迷っていたことは患者さんの直接の役には立たない。

けど、ふにゃふにゃと曖昧な結論を述べたぼくの顔を見ながら内視鏡医はこう言った。
「ありがとうございます、納得しました。ちょっとまた考えてみます」

後日、ぼくが追加オーダーした染色が2つ上がってきた。見てみる。別に目新しい所見は増えていない。うん、まあ、念のためやってはみたけど、やっぱダメだったね。顕微鏡では何もわかんねぇわ。内視鏡医に電話する。

「先日お話してたあの方ですけど、結局追加してもよくわかりませんでしたね……AとBは説明できますけど、Cは謎、Dはそもそも顕微鏡ではわかんない。こないだと結論は一緒です」

すると彼は、電話口でこう言った。

「ある程度納得しました。また何かあったらよろしくお願いします。ありがとうございました」

そうか、納得したか……しぶしぶだろうけど。

病理専門医がする仕事には「医者に対するインフォームド・コンセント」が含まれる。医者に納得してもらうことこそ我々の通常業務だし、「しぶしぶ納得」くらいの人とはきちんと会話を続けていかないといけない。

だから、もっと病理検査室に来て、きちんと会話をしよう。ぼくはこれらをオブラートで丁寧に包んで返事をし、電話を切った。

「何かなくてもどうぞ。ありがとうございました」

脳化するまでの旅

とある研究会が終わり、懇親会で2軒ほど飲んだあと、若く才気走った人間を連れて、とあるオシャレバーに行った。マスターはぼくと同い年なので38歳である。この世界だと若いけど、社会的には中堅。そういう年齢感覚は、たぶん、医療業界の人だとなんとなくわかってくれる。いい年して若手、稼ぎ頭だけど下っ端、という年齢だ。

この日、後輩をなぜバーに連れて行ったかというと、
「生意気かもしれないですけど、私、将来の進路に悩んでいます」
と生意気なことを言ったからだ。38歳であるぼくは、年下の人間が「悩んでいる」と言ったらなるべくいやらしい雰囲気で
「じゃあ話を聞こう。なあにぼくはまだ酔っていないから大丈夫だ。極めて安全だ。」
と言うべきだ。言った。

そして後輩はトイレに籠もった。静かにジャズピアノが響く店内にときおり出産を思わせる遠吠えが混じった。夜も遅くほとんどの客は帰った。ぼくは同い年のバーテンダーといくつか話をしていた。その中でちょっとだけ印象深かった話、そしてすごく印象深かった話がある。後者のすごく印象深かった話は、印象が強すぎて、アルコールのせいもありうまく文章にできない。きちんと脳化できなかった。だから、前半の、ちょっとだけ印象深かった話の方をする。

バーテンダーはこう言った。

最近、若い見習いとかバイトの面倒を見るんですけど、その最中にふと、
(自分が新しいことにチャレンジする意欲みたいなものが、変わってきてるな、減ってきてるな……)
と思ったんですよ。なにか、新しいことをどんどん探していこうとかじゃなくて、店をきっちり守っていかなきゃいかんのかな、そういう年齢なのかなって。将来的にはもっとお店も小さくして、しっかりと古典的な仕事をやった方がいいのかなとか、思うんですよ。

ぼくはその話を聞きながら、昔から自分が好きで読んでいた作家とその著作、そして旅のことを考えていた。

昔から椎名誠をよく読んだ。彼は小説も書くが、椎名誠の小説というとアドバードと武装島田文庫を読んだ程度で、あとはもうほとんどエッセイだ。中でも旅のエッセイが好きで、たぶん既刊は全部読んでいる。「本の雑誌」のサイトで椎名誠の全仕事みたいなのを見た時に、やっぱり全部読んでるなと思ったから間違いはない。

そして、ぼくは彼の行動とかモノの考え方を探るうち、彼が好きでよく読んでいるという「冒険もの」にも手を出して、時々読むようになった。けど、あまり多くは読めていない。

途中で辛くなってしまったからだ。他人の「旅に対するチャレンジ」を読むのが辛い。過酷な冬山登山、人類未到の地を踏破していく探検、海原にボート1艘でこぎ出す冒険、いずれも、読むと本当に心が震えるんだけど、読んだ後のことを考えてしまってなかなか買うまでに至らない。読み終わると猛烈に辛くなる。

辛くなるのはきっと、「もう遅い。もう追いつけない」という自分の声を自分で聞くのがいやだからだ。

ぼくは他人のチャレンジに猛烈にあこがれる。冒険に限らない、スポーツでもコンピュータでも音楽でもなんでも、すごいものを見ると心が沸き立つように思う。けど、自分ではもうできないなとあきらめたときに、なぜだか一番骨身にしみて堪えるのが「冒険」なのだ。理由はわからない。血液型がB型だからとか、そういうどうでもいい理由付けでかまわない。

わからないけれど、他人が冒険をしている姿を見聞きすると、悔しくて、やるせなくなってしまうのだ。先日は野田知佑の「ユーコンを筏で下る」を読みながらぼろぼろと泣いた。うらやましくて悲しかった。


件のバーテンダーは、札幌ではいろいろと新しいことにチャレンジして、多方面に仲間を作り、オーセンティックなバースタイルを踏襲しつつも意欲的な取り組みに果敢に取り組んできた第一人者である。その彼が、今、新しいことにチャレンジするのが辛くなってきた……というと言い過ぎかもしれないが、少し「守るところ」をやっていかないといけないという気持ちになっている。

ぼくとは違う、ぼくよりもすごい、それはともかくとして、ぼくはなるほど、と思った。老いか。慣れか。疲れか。違うと思う。違うなら何か、と言われるとそこはまだ言語にはなっていないので困るのだけれど、そう、「言語になっていなかった部分が、一通り言語になってしまった」のかもなあと思った。そのときのぼくは。

酔いが深くなり、左脳が大きく肝臓が小さそうな人間が出てきたので「解散しよう」と告げると、人間は礼を述べるでもなく詫びを述べるでもなくこう言った。

「まだいろいろ目指すべきだと思うんですけど、今の環境だとそれができなさそうなんですよ。」


この出来事があってからしばらくの間、ぼくは肝臓が小さく前頭葉のしっかりしていそうな人間に何と返事をしたらよかったのか、わからないでいた。

昨日、テレビを見ていたら、イモトアヤコがアルプスの名峰アイガーに登頂していて、ぼくはそれを見て泣きそうになってしまい、そうだ、ブログを書こうと思った。脳しか旅に出られない。脳だけが旅をする。そういうことです。次からはもう少し短いお話を、ゆっくりと書いていく予定です(フラグ)。

#ブログはじめました #拡散希望 #相互フォロー

今までけっこうな数のホームページとかブログ、SNSなどを作っては捨て作っては捨てしてきましたが、今回はゆっくりめに、考えて書くブログを1個作ろうかなという気持ちになりましたので、作りました。

プロフィールの写真を横向きの顔写真にすると有名になって糸井重里さんに紹介してもらえるようなので、そうしました。

どうぞよろしくお願いいたします。