2016年9月30日金曜日

病理の話(3) 向き不向き的な解釈

笑い話にもなりはしないが、いちおう我々の中では笑い話とされるエピソードがある。

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ある人が、手首が痛いと言って病院に行った。

よくわからないから近場の総合病院に行く。外科も内科もあるし大丈夫だろう。

受付でこう言われた。手首が痛いのでしたら、外科ではなくて整形外科のある病院がいいと思いますよ。

そうか、外科と整形外科というのは違うのだな。
では整形外科に行こう。
近所にちょうど、シモダ整形外科がある。

さっそく行ってみた。医者に会って、手首が痛いと告げる。
するとそのシモダはこう言った。
「すみません、私の専門は主に下肢(脚、足のこと)なんですよ。ですから、手首は得意じゃないんです」。

なるほど、整形外科と言っても専門があるのか。
確かに全身の骨という骨、筋肉という筋肉、靱帯という靱帯をみるとなったらこれは一仕事だ。
しかし、だったら病院の名前に「下半身専門整形外科」とか書いてくれればいいのにな。

シモダに次の病院を紹介してもらうことにする。
それでは、上半身……いや待てよ、上半身専門と指定すると、やれ「私はクビが専門で」とか「私は胸が専門で」と言われても腹が立つ。
きちんと指定しよう。
「腕が得意なところでお願いします!」
彼は答えた、「わかりました。では上肢専門で有名な整形外科をご紹介しましょう。ウエダ整形外科と言います」。

痛い手首をさすりながらウエダに会って、手首が痛いと言ってみた。
彼の顔がさっと曇る。嫌な予感がした。
「すみません……ボク、専門が指の第二関節なんですよ」。

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もちろんこれはフィクションである。


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笑い話にもなりはしないが、いちおうぼくの中では笑い話としているエピソードがある。

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ぼくは病理診断のことを、元々は別に好きでも嫌いでもなかった。
大学院で基礎研究をしていたが、とにかく何もかもうまくいかなかった。
朝8時に講座のデスクについて、
培養している細胞に栄養をあげ、
午前中にウェスタンを2枚すすめながら午後の抄読会の準備をして、
昼にはバイトの病理の切り出し、
午後にタイムラプス顕微鏡を動かし始めてから抄読会、
抄読会が終わるとバイトの病理診断をして、
大学のCPCの準備をして、
そのあとタイムラプスの調整をかけてから論文を読んで夜2時ころに帰宅する生活をずっと続けていたのに、
英文の論文を1本も書けなかった。

基礎系の病理学講座にいるのに、4年間いて論文がゼロ。

いろいろなものに手を出して、何もかもうまくいかなかった。

少しずつ芽が出てきたのは病理診断だったかもしれない。でも、いまいち顕微鏡の世界にはなじめない。
基礎研究でビッグ・ジャーナルに何本も投稿する夢を持っていたぼくにとって、細胞を見ることを生業にするなんて、指の第二関節だけを専門にするよりももっとカッコ悪いと思った。

そりゃあ、病理診断医はいろいろご託を並べて、全臓器の細胞を見るのだとか基礎と臨床のかけはしをするのだとか言うけれど、
いまどき、
全臓器をほんとうに診られるわけがないじゃないか。

いつか細胞の世界にはまり込んで、
胃の分泌腺の1個に発現するタンパク質を対象にした免疫染色で少数の症例を相手にして小さな論文を書いて、
「すみません……ボク、専門が胃底腺に分布する壁細胞のH+/K+ ATPaseなんですよ」
とか言いながら、
それでもまあ、
ぼくは論文書いたよって家族に自慢したりするちっちゃな人間になるんだ……。

なんとか博士号をとったけれど、研究者としての将来をあきらめたぼくは、暗澹たる思いでこうつぶやいた。
「もう、病理診断医にでもなるしかない」。

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もちろんこれはノンフィクションである。


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こないだ、超拡大内視鏡と病理組織の対比という、普通に顕微鏡で見るよりもさらに細かい世界での研究を行ったところ、ぼくの名前が入った論文が2本できた。まあ全部を自分で書いたわけではないのだが、自慢にはなった。といってもすでに家族はいなかったので、自慢する相手がいなかったわけだけれど、ま、ちっちゃい人間としては自分なりにうれしかった。


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「専門が指の第二関節」を笑っていたはずのぼくは、いったいどこでどう道を間違ったのだろうか。


*


あるいは、この世のどこかにいるかもしれない、「指の第二関節が専門である整形外科医」は、「指の第二関節が気になって仕方が無い、日常生活に不便を感じている、気立てのいい患者さんたち」を、今日もどこかでじっくり、ゆっくりと助けているのだろうか。