2016年10月31日月曜日

病理の話(13) 病気あれこれのそもそも

病気、とはそもそも、何なのか。

①できものができる
②流れが悪くなる
③何かが減る
④敵と戦って戦争になる

看護学校で講義するとき、病気はおおきくわけてこの4つなんだよ、と教える。




できものができる、というのは、体の中に本来あってはいけないカタマリができたり、本来いるべきではない細胞が暮らしていたりする状態を指す。一番大切なのは「腫瘍」、それも悪性腫瘍……つまりがんだ。

大腸にできものができて、大腸の壁にしみこんで、いずれ全身に転移をするのが大腸がん。

乳腺にできものができて、乳房の中にしみこんで、いずれ全身に転移をするのが乳がん。

血液の中でだけ「本来いてはいけない細胞」が増えてしまう状態が白血病。

いずれも、「できもの」ができることが、病気の本態である。できもの自体は目で見えることも見えないこともあるが、顕微鏡まで使うと、ほぼ間違いなく、見ることができる。




流れが悪くなる、というのは、なんだか東洋医学とか漢方をほうふつとさせる言い方だなあと思う。ただ、流れが悪くなることで起こる病気は、別に東洋医学の専売特許というわけではない。

たとえば、脳の血管が詰まって、本来流れるべき血液が先に流れなくなれば、それは脳梗塞(のうこうそく)。心臓の表面を走っている血管が詰まって、心臓に栄養がいきわたらなくなれば、それは心筋梗塞(しんきんこうそく)。どちらも人間をごく短時間で死に至らしめることがある。

これだけじゃない。胆嚢や胆管に石が詰まって、胆汁がうまく排出できなくなれば胆石症。尿管に石が詰まって、尿が膀胱までうまく運べなくなれば尿管結石である。いずれも、痛みを伴うし、放っておくといろいろと面倒なことが起こる。

万物は流転するというが、人体もまた常に流れ続けている。この流れを止めてしまうと、人間の活動はあっという間に継続困難となる。




何かが減る、というのは、ホルモンだとか、肺胞の数とか、赤血球とか、本来、体の中にこれだけなければいけない、というものが足りない状態をさす。更年期障害もそうだ。貧血もそうだ。甲状腺機能低下症、骨粗鬆症……。「耐糖能が減る」という言い方で、血糖が増えている状態(糖尿病)を含めてもいいと思う。





敵と戦って戦争になる、というのは主に感染症、あるいはそれと戦う免疫のことだ。体の中に、外界のチンピラ(細菌とかウイルス)がやってくると、体内の警察官(免疫担当細胞)がこいつらを追い出そうとする。問題は、この警察官が、非常に激しく武装しており、ナパーム弾のような強烈な攻撃をチンピラもろとも住宅街にぶち当ててしまうことがある、ということだ。感染症そのものよりも、感染症をなんとか倒そうとする体内の活動のほうが、かえって人間の命を危険にさらしているということは多い。





このように病気を分類したうえで、だ。

「病(やまい)の理(ことわり)を知る医者」と書く「病理医」は、あるいは病理診断は、どこまで病気に迫ることができるのか。

実は、おおむね、①しか相手にしない。





②の「流れ」というのは、顕微鏡でみる必要はない。というか、プレパラートを作った時点で検体の時間を止めてしまう病理診断にとって、「流れ」を見るというのは最も苦手なことなのだ。

すなわち、「循環器」「救急」の領域については、病理医はほぼ無力だということになる。


③の「何かが減る(あるいは増える)」についても、同様である。増えた、減った、は血液検査が得意とする領域であるし、体の一部分をピックアップする病理診断にとって、「定量的評価」もまた苦手分野である。

つまり、「代謝」「内分泌」「一般内科」、あるいは筋骨格・神経・脳の摩耗をも扱うならば「神経内科」「整形外科」なども、病理医が役に立ちづらい分野であるといえる。


④は「感染症」そして「免疫」。これらも詳細は省くがやはり病理医が必ずしも得意な分野とは言えないため、「呼吸器内科の一部」「肝臓内科の一部」、あるいはそのまま「感染症内科」なども、病理医の介入が少ない分野である。



「病(やまい)の理(ことわり)」と名乗りながら、ずいぶんと多くの病を無視している分野。それが病理である。

「顕微鏡を使ったところで、直接みることなどできないよ。流れとか分量とか、あるいは免疫のフクザツなシステムに思いを馳せないと、病気のことなんてわからない」というほうが、多い。

「見れば当たる」病気の方が、圧倒的に少ないのである。



病理はすごいよ、病理医はおもしろいよ、と書いた本、語った人が、ぼくの周りにも、あなたの周りにも、今までどれだけあっただろう、いただろう。

病理学は、確立した学問だ。

病理診断には、確固とした魅力がある、

それでも、今まで、ほとんど語る人などいなかったではないか。

結局、病理を選ぶ人など、ほとんどいなかったではないか。

不自然だと思わないか。

なぜ、それほどすごい仕事が、今までマイナーなままでいられたのだ。



ちゃんと理由があるのだ。

病理医がみている「病」は、人体がやられうる病気の、ほんの一部でしかない。

あらゆる医師が、病気のごく一部しか診療できないように。

ぼくらもまた、病気のごく一部しか診断できない。



ほかの科の医師は、「診療」をする。

病理医は、「診断」しかしない。「療」をしない。治療をしないのだ。

その分、マイナーであることの、言い訳が利かなくなる。

マイナーであることを誇り、あるいは納得して、自分にできることを探す、あるいは、これが好きなのはぼくがぼくだからだ、と、自分を見る。

このことに気づけている人を、世界は、オタクと呼ぶことがある。

ぼくらはオタクなのだと思う。それ以上でも以下でもある、オタクなのだと思っている。


2016年10月28日金曜日

1999年春からのぼくは自力を信じてやってきた歴史を今ここに

自作のホームページに、エッセイを書いていたことがある。

1999年、大学3年生のとき、ぼくはホームページを作り始めた。「ホームページビルダー」というソフトを使って、最初は3日にいっぺん。忙しくなってからも、週に1度くらいは更新していたと思う。

今は、そのサイトは、もうない。ずっと残しておくつもりだったのだが、離婚して家を出た後、何年か経って、別れた妻子が引っ越しする際にプロバイダを解約したら、そのまま、プロバイダのサーバに載っていたホームページのデータまで、全て消してしまった。

あっ、と思ったのは数ヶ月後だ。

ホームページのデータは、古いノートパソコンのどれかには残っている。けど、もう、古すぎるパソコンを開ける気がしない。そもそも、あのノートパソコンは今、どこにあるのだろう。


「Webarchive」というサービスがある。ネットの海をクロールし続けるこのサービスでは、すでに消えてしまったサイトであっても一部を閲覧することができる。


Webarchiveを使っても、断片的にしかたどることはできない。ほとんどは逸失した。けど、ごく一部を、見ることができた。



画像は取得されていない。

最後の更新日は「4月4日」。Webarchiveがこのページをクロールして保存した日時が、2011年4月29日と表示されていた。つまり、ぼくが最後にホームページを更新したのは2011年4月4日ということになる。


ぼくがツイッターをはじめたのは、2010年11月。病理医ヤンデルというアカウントをはじめたのは、2011年4月15日のこと。

ツイッターをはじめたことで、ホームページの更新から遠のいたのだろう。


12年ほど続けていたホームページのアクセスカウンターは、10万に届いていない。その程度の実力の人間にとっては、その程度の発信力しかもたらされない、そういう時代だった。


当時書いていた文章も、いくつか見つけた。句読点の数が少ない、いわゆる黒歴史にあたる文章だ。


懐かしさに息ができなくなった。



現在、ぼくがやっているのは、ツイッター、フェイスブック、このブログ。そして、ツイートをログにまとめたブログが2つ。

なお、世の中には同姓同名の人間というのがおり、ポエムなどを書いて載せるブログをやっていらっしゃる。内心「なんだこのポエム……なんて迷惑なんだ……ぼくじゃないのに……」と辟易していたのだが、こうして今回、自分が昔書いていたホームページを断片的に読んでみると、大差ねぇな、と思ったし、ホームページとかブログとかをやっている人間は、結局のところ、全員バカ野郎である。

バカが語り続けるところを見ていると、じわじわと泣けてくる。なぜなんだろうな。

2016年10月27日木曜日

病理の話(12) 病理診断がわからないときのこと

「極めて難しい病理診断」を担当する機会が、たまにある。これには、いくつかの種類がある。


・診断そのものが決まらない。

これが一番困る。採取されてきたものが、腫瘍なのか、腫瘍ではないのか、それすらわからないときが、ある。

例えば、「胃炎」なのか、「胃癌」なのかが、わからないとき。「胆管炎」なのか、「胆管癌」なのかが、わからないとき。「肝臓の限局性結節性過形成」なのか、「肝臓癌」なのかが、わからないとき。

胃炎なら飲み薬その他で完治できるかもしれないが、胃癌だと飲み薬では治せない。がんか、そうでないかでは、ご存じの通り、対応が真逆である。臨床医も、患者さんも、一番知りたがっている情報なのに、確定できない。

なんのための病理か、となる。



・診断の方向性は決まるが、詳しい分類がわからない。

これもたまにある。

例えば「悪性リンパ腫」であることはわかるのだが、「T細胞が豊富なB細胞性リンパ腫」なのか、「T細胞性リンパ腫」なのかの区別が難しいとき。「膵臓癌」であることはわかるのだが、「通常型膵管癌」なのか、「腺房細胞癌の亜種」なのかがわからないとき。

臨床医にまず電話をかける。「がんはがんなんですよ。ただ、どのがんかがわかんなくて、ちょっと待っててください」。

がんならみんな同じ治療をするわけではない。がんのタイプによって治療も、推測できる将来像も、全く異なる。これが決まらないとなると、やっぱり、

なんのための病理か、となる。



・診断、その分類も決まるが、病気の「範囲」や「どれだけ進行しているか」が決められない。

テクニカルだが、これも多い。

例えば「胃癌」であることはわかるのだが、「胃癌がどれだけの範囲に広がっているか」がわからないとき。主に手術で採ってきた検体で問題となる。

多くのがんは、正常の組織との境界を決めやすい(逆に言うと、正常との境界があることが、がんである根拠のひとつとなる)のだが、たまに「正常組織の間にとろけるように広がるタイプのがん」がある。こういうタイプは、そもそも手術前の検査の段階で、各種の画像検査(CTとか、内視鏡とか)を使っても、どれだけがんが広がっているかわかりづらい。だから、事前に、病理にも「範囲がわかんないんすよ」と連絡がされている。

よし、あとは病理にまかせろ!と言えればどれだけラクか……。なんのための病理か。



・採取された検体の量が足りない、あるいは検体がぼろぼろである

生検(つまんできた検体)のときによく経験される。きちんと採取された検体なら診断もできたろうに、ぼろぼろになっていてよくわかんねぇな、ということである。

例えば「気管支鏡を使って、肺から採取してきた検体が小さい」とき。「内視鏡を使って、胃から採取してきた検体がぼろぼろ」なとき。子宮内膜を削ってきた検体。膵管から拾ってきた細胞。どれもこれも、診断に十分な量が常に採取できるわけではない。

だったら、病理としては……「もっと採ってくれ!」そのひと言で終わらせればよい? いや、実はそう簡単ではない。そもそも、病気の人から、小指の爪の切れ端よりもさらに小さい一部分を採ってくるというのは、言うほどラクな作業ではない。たとえば、世の中にはけっこうな割合で、血液をサラサラにする薬を飲んでいる人がいて、こういう人は「どこかをつまむと、それだけで血が出やすい」というやっかいな副作用がある。いっぱい検体を採ると出血してしまうから、小さくしか採れない。

無理してなんとか採ってきた検体なんだよ、頼むよ、なんのための病理か。



こういうときの病理診断は、「100%」を出さなければならない。しかし、その「100%」の意味を間違えてはいけない。

「100%、正しい診断」を出せる人間はいない。また、その時点で100%正しくても、時間経過と共に正しくなくなることもある。病理学的には正しくても、臨床医や患者さんにとっては100%の答えではないことだって、ある。

難しい病理診断をするときに、ぼくらが目指す100%は、「こういう情報があり、こういう検討をして、このように考えた」という思考のプロセス、そして、今後医療側は何をすべきかという方向性を、「あますところなく共有する」ことだ。

「今回の診断は極めて難しい。なぜなら、背景に炎症があり、それに伴う細胞異型が出現しているからだ。がんの可能性はある、しかし、通常のがんほどはっきりした所見をとれない。臨床画像で見ているこの点と、この点は説明できるが、こちらとあちらは説明がつかない。今後、この検体に対し、AとBという追加検索を行うが、○○%くらいの確率で診断がここまでしか確定できない。だから、患者さんにはこのように伝えて、追加の検査を行うかどうかを相談してほしい。あるいは、この結果までをもって、ここまでなら臨床対応を進めることができる。どうでしょうか。あなたは、どう考えますか。相談をしましょう。会話をしましょう。ぼくが見たものを、シェアしてください」



病理医が出す100%の中には、「ある妥当な理由があって、わからない。」という文言が含まれてよい。

「わからない? だったら、なんのための病理か」

と聞かれたら、それに答えて、

「なんのためだ」と、

「誰のためだ」と、説明するところまでが、100%だと思う。


岸京一郎は「10割出しますよ」と言う。同じ彼は、「わからない」と言った宮崎に、「はい 正解 その答えでいい」とも言う。彼は、常に、100%を出そうとしている。

2016年10月26日水曜日

一番モヤモヤしていた夏

「モヤモヤさまぁ~ず2」のWikipediaを見に行くと、

「タイトルに『2』とあるが、『1』にあたる番組は存在しない。」

とある。そうだったろうか、あの夏の記憶はなんだ、と思い返す。Wikipediaをさらに読み進めていく。

200713日にさまぁ〜ずと大江麻理子アナウンサーによって特別番組として放送されたものが好評を受け、同年4月に深夜帯でレギュラー放送が開始された。」

とある。

なるほど。

何がなるほどか、というのを、今から文章一つで書く。

・ぼくが2007年の夏に見た「モヤモヤさまぁ~ず」は、録画だったんだ。

もう少し説明を足す。

・ぼくが2007年の夏、馬込にあるレオパレスの部屋で見た、「モヤモヤさまぁ~ず」は、20071月に単発で放映された番組の、録画だったんだ。

足す。

・ぼくが2007年の夏、国立がんセンター中央病院での任意研修時代、日曜日の夜に、馬込にあるレオパレスの部屋で、体育座りで脚を抱え、近所のサンクスで買ったジム・ビームに氷を入れて飲みながら、レオパレス入居者にサービスされる有料放送カードを使って見た「モヤモヤさまぁ~ず」は、20071月に単発で放映された番組の、録画だったんだ。

足す。

・ぼくが2007年の夏、国立がんセンター中央病院での任意研修時代、半年しかない東京生活を満喫するどころか、いちから勉強をしなおさなければいけないという危機感が強くて、毎日勉強をしないと不安で眠れず、毎日朝から晩までがんセンター病理に缶詰状態、いよいよへとへとになり身も心もささくれだっていたある日曜日の夜、馬込にあるレオパレスの一室で、体育座りで脚を抱え、近所のサンクスで買ったジム・ビームに氷を入れて飲みながら、レオパレス入居者にサービスされる有料放送カードを使って最初はAVを見ようと思ったんだけど、よく考えたらレオパレスの有料放送カードでAVなんか見られるわけがなくて、じゃあ何が入ってるんだと思ったら「お笑い」という項目があって、その中から選んだ聞いたことのない番組「モヤモヤさまぁ~ず」が、なんだかゆるくておもしれぇなあと思って、あれをくり返し何回か見た記憶があって、でも札幌に帰ってきても誰もそんな番組のことを知らなくて、あれはなんだったんだろうなってずっと不思議だったけど、いつからかテレビ東京で「モヤモヤさまぁ~ず2」がやっていて、ほら、やっぱり! 2って書いてある! あれが1だったんだよ! って思ったけど、Wikipedia見ると「1」はないって書いてあるし、不思議だなって思ってた奴、20071月に単発で放映された番組だったんだ、ぼくが見たのはその録画だったんだな。

そんなことを、こないだ、久々に「モヤさま」を見ながら、思い出した。

あの夏の記憶はもうほとんど残っていない。すっかり消化されて、養分となって、全身に行き渡り、今ぼくが病理医であることの一部となっていたけれど、モヤさまだけは、未消化のまま、そのままの形で、脳の一部に棲み着いている。


寄生虫みたいだ。


2016年10月25日火曜日

病理の話(11) ディーパーシリアルセクションのすすめ

ひとつ切っては患者のため、ふたつ切っては医者のため、ヘイヘイホー。ディーパーカット。

Deeper cutという手技がある。日本語では「深切り切片作成」などという。ふかぎり。コーヒーが香るような語感だ。

なにを「より深く」切るのか。



プレパラートに乗せるのは、4マイクロメートルという極薄の検体である、という話を、以前にここで書いたことがある。これくらい薄くないと、染色したときにうまく細胞の断面が見えてこない。検体を4マイクロメートルに薄く切るのは「薄切」といい、病理の技師さんの専門技術である。

これ、検体を4マイクロメートルの薄さに切っても、「元の検体」は当然、まだ残っている。うまく削るために何度か表面にカンナをかけ、いざ、エイヤッと4マイクロメートルの薄さで標本を1枚作り出しても、まだ検体はけっこう残っている。この残った検体は、病院で半永久的に保存される。

なお、検体は、そのまま保存されるわけではなく、実は、パラフィンと呼ばれる物質の中に沈められて固められた状態にある。

寒天の中にフルーツを埋め込んだ、夏の涼やかな創作和菓子を想像してほしい。ぶどうとかさくらんぼのような小さなフルーツを寒天でかためたあと、ナイフで縦にスッと切ると、フルーツの断面がきれいに出てくるだろう。病理標本作成でやっていることは、そういうことだ。寒天がパラフィン。フルーツが検体に相当する。この寒天、フルーツを切りやすくする「台」として働くと同時に、検体を末永く保存するための「保存媒質」としても作用する。

さて、4マイクロメートルで切り出した検体をプレパラートにして、じっくりと見る。そこに、少しでも……細胞1,2個でも、何かアヤシイ所見があったとする。

優秀な病理医であれば、たとえ細胞1,2個の変化であったとしても、必ず見極めて、正しい診断を下す……?

いや、実は、優秀な病理医ほど、小さい検体でいきなり診断を下すことはしない。

Deeper cutをするのだ。

保存してあるパラフィンブロック(寒天固めだ)を取り出してきて、技師さんにお願いして、4マイクロメートルの検体を、追加で15枚くらい作ってもらう。

検体が、少しずつ削れていく。すると、「面が少しずつ変わる」。

寒天にうめこんだフルーツを、次から次へと4マイクロメートルで切っていこう。フルーツの断面は少しずつ変わっていくだろう。

たった4マイクロメートルずつ切り進んでいくだけではあるけれど。例えば、赤血球の直径はせいぜい6マイクロメートルくらいしかない。ぼくらが戦っているのは、そんなミクロの世界だ。ミクロの世界で、4マイクロメートルの標本を15枚も作ると、60マイクロメートルほど、「検体がずれる」。これはでかい。

このずれを使って、さっきは1,2個しかなかったアヤシイ細胞、そしてその周りが、どうなっていくのかを観察するのだ。

Deeper cutを作ると、アヤシイ領域がぐっと広がることがある。あるいは、見えづらかった細胞が見やすくなることがある。最初の標本には全く出ていなかった、腫瘍細胞や、周囲の変化が見えてくることもある。

この、Deeper cutを、どれだけ使いこなしているかというのは、実は、病理医だけがわかる、「病理医を見極めるヒント」となる。

Deeper cutをオーダーしたことのない病理医は、あまり診断の経験がないか、そもそも「病理診断」って仕事に興味がない((c)岸)。

あるいは、逆に、「自分の診断能力に絶対の自信があり、オリジナル(一番最初)の標本だけで診断をつけられる、ものすごい病理医」のことも、ある。

うん、この世界、ものすごい病理医も、いっぱいいますよね。



ところでぼくがこのdeeper cutを使い始めたのは、今の病院に来てボスに厳しく指導を受けてからだ。

それまでは、そもそも、deeper cutがこんなに強力な情報をもたらすことを、知らなかった。まあ、見ている検体の種類にもよるのだが、それにしても、ぼくは本当に、今の何十倍も未熟だったのだ。今もだけど。

もちろん、deeper cutにも制限はある。ときに、微小な検体がdeeper cutですっかり消失してしまうことがあるから、検体のサイズによっては注意が必要だ。あえてdeeper cutをせず、step section(説明略)にしておくとか、HE1枚+免疫染色(説明略)を選択した方がよい結果をもたらすこともある。また、手術検体では、そもそもdeeper cutが必要ないケースの方が圧倒的に多い。

けど、ま、胃生検とか大腸生検、肺生検、胆管・膵管生検などでは必須のテクニックですのでね。お若い病理医の方はぜひ、覚えておいてください。

……結局マニアックな方を書いてしまった。ぼくはいったい何と戦っているんだ。

2016年10月24日月曜日

論理的であります

一緒に映画見て帰ってきた人たちと喫茶店かどこかで語り合ったとしたら、たぶん話題に上るであろうこと、「予告編ってすげぇよね」ってことだ。これはもう、ほんとに、みんなあちこちで言ってるから、今更……と思われるかもしれないけど、こないだ久々に映画を見て、改めてそう思ったんだから仕方ない。誰にも頼まれてない、誰にも言い訳しなくていいブログには、そういうことを書いたって許されるはずだ。

今度、スタートレックの新作やるらしいじゃない。こないだシン・ゴジラを見に行ったときに知ったんだけど、予告編の最初からずーっと、「スタートレック」って言葉が出てこないのよ。でも、すごく、スタートレックくさい感覚が、じわーっとわいてくるような、宇宙戦争みたいなシーンが続くんだよ。断片的に。ゴオッ、って言いながらだ。で、2分とか5分とか経った時に、極めて瞬間的に「ミスター・スポック」が出てきて、「それは非論理的であります」って言うんだよ。あっ!!! ってなるじゃん、そこで。た、確かに、あの宇宙船、あの制服、いやーまさかと思ってたけど! ってなるじゃん。ま、まさか、今からスタートレックの新作やんの!!? ってなるじゃん。

で、予告の最後の最後に、

「B E Y O N D」

って表示されてから、数秒遅れで

ス タ ー ト レ ッ ク
 B E Y O N D

って、表示されるんだよ。これ、カタルシスだよ。この数秒遅らせた人、えらいよ。すごいよ。わぁーっ、ってなってから、ま、はじまるのは「シン・ゴジラ」なんだけど。

シン・ゴジラすごいおもしろかったよ。で、映画館から帰ってくるとき、まあ夜中なんだけど、車に乗りながら、映画館っていい場所だなあ……って反芻するわけ。レイトショーは人が少なくて、公開してだいぶ経った映画だとなおさら、「もう何度も見た」みたいな人とか、「疲れ切ってなんでもよかった」みたいなお客さんしか来てないわけ。そんな中に、音を立てないようにすごく気を遣いながらポップコーン食ってる中年とか、椅子にすわるなり脱いでたコートをめちゃくちゃていねいにたたんで膝に揃えてじっと待ってるお姉さんとか、ぽつり、ぽつりと座ってる空間が、もう、すてきなわけだよ。予告編なんてさっさと終わって欲しいって、子供のころは思ってたけど、今は逆なの。予告編の時間もとても楽しかった。わぁー! うれしいー! ってなるんだな。そこから全部反芻するんだ。シン・ゴジラはあちこちで考察もされてるし、正直ツイッターでさんざんネタバレ読んじゃってたんだけど、それでも、脊髄にひびく音と、画面以外飛び込んでこないくらい視界いっぱいに広がるスクリーンのでかさが、文章で読んだのとは段違いのゆさぶりをかけてくるじゃない。ああー、映画ってやっぱりいいなあ……大学時代、やることがない日に、すすきのの端っこにあるシアター・キノで、誰も見てないモディリアーニの映画みたいなのを見た時、ああ、ぼく、映画見るの好きかもしれない、って、なんなら「ドラえもん・のび太の日本誕生」以来はじめて気づかされたんだけど、あれからもう18年くらい経って、映画なんて金もかかるし時間もかかるし、駐車場が空いてるかどうかわかんないし、自分の見たい時間に始まらないし、どうしても足が遠のいていたわけなのに、予告編でミスター・スポックが出てきた瞬間から、「しまった、そうか、足りないのは、映画だったんだ!」ってなったんだな、で、シン・ゴジラを見て、なんかもう感動しちゃった。

38歳のすれた中年を喜ばせるほどの空間が、2000円も払わずに手に入るなんてこと、ぼくが18年も無視してきた世界に誰かが毎日たずさわって、どこかの中年はきっと毎日この感動をひそかに味わっていたんだなあ、ってこと。


まあ、ぼく、スタートレックにはそこまで思い入れないんですけど。

2016年10月21日金曜日

病理の話(10) 解剖ツンデレ論

解剖を、若い人に見せることがある。

解剖は、今や、ほとんど必要のない技術だと言われることすらある。古い。

解剖でわかることは、患者の死の直前まで頭をひねった医療者が本当に知りたいことの、ごく一部でしかない。

その程度のことなのに、解剖が、ときに病理医のアイデンティティの一つとして語られることがある。

ぼくは、そういうのは、あまり好きではない。

ぼくは、解剖が嫌いだ。

解剖は、とても残酷だ。

そこに横たわる、ついさっきまで心臓が動いていた方に、メスを入れる瞬間、きつくて、うんざりする。ただ目を閉じている人に刃物を入れるのと、感触的に区別がつかない。心がねじきれそうになる。

そして、いざ、おなかの中を探り出すと、目の前から、「人間のもつ表情」や「けれん味」、「死への畏怖」といったものが、すっかり消失してしまう。

不思議なのだ。すべてを超えて、好奇心が勝ってしまうのだ。

かつて、学校に人体模型があった。筋肉とか骨の有り様を雄弁に、ときにグロテスクに語ってくれる人体模型のイメージが、多くの人が想像する解剖というものだ。

あるいは、ゾンビ、スプラッタ映画……血まみれに描かれる、しかし決して現実的ではない、せいぜい小腸をはみでさせた程度で人を驚かせようとする、安いびっくり箱。不思議なことに、医学生であっても、はじめて解剖を見る前には、ああいう「気持ち悪さ」を想像してしまう。

しかし、解剖で見るのは、まず普段は目にすることのない、精巧すぎる臓器、計算され尽くした配置。まず間違いなく「はじめてみる光景」に、たいていの人は気持ち悪さよりも驚きが先にやってくる。創造物への知的好奇心に全身が支配され、先ほどまで心に満ちていた
「医学で死を語ろうとすることへの申し訳なさ」や、「人の体に傷を付けることへのおびえ」などを、きれいさっぱり忘れてしまう。

解剖は、情報を、濁流のようにぼくに流し込んできて、良心を全て洗い流し、精神を学術探求心で満たしてしまう。

ぼくは、そういうのが嫌なのだ。

ぼくを学術マシーンにしてしまう、解剖という儀式は、最悪だ。

解剖は大嫌いである。



あ、あと。

解剖を見学するならば、部屋の隅っこから見ていてはだめだ。

遠目に見ると、人体に刃物をたてているように見える。不気味そのもので、めまいがしたり気持ち悪くなったりしてしまう。

見るならば、絶対、一番近くがいい。

科学的な目で、至極ドライに、生命の奇跡に触れることができる。あたかも、テレビを分解して喜ぶ男の子のように。目を輝かせることができる。

人の体に、そんな好奇心を向けてしまうなんて……という罪悪感も、博物館のガイド音声を聞くような気分でぼくの話を聞いているうちに、だんだん生命への尊敬の気持ちに上書きされていくことだろう。

解剖室を出る頃には、医学に侵略された自分に驚くことだろう。死者が生者に施す、最高の講義に、感謝すら湧き上がるだろう。

死者と、家族、担当医、担当スタッフ、みんなの無念に焼かれるのは、ぼくたち解剖執刀医だけでいい。

ぼくは、解剖が大嫌いだ。そして、たいていの医療者は、「また解剖を見学してみたい」という。

2016年10月20日木曜日

やがみっつ

製薬会社の営業さん(MRさん)は、病理のところにはやってこない……などと言われていた。でも、市中病院で働いていると、けっこうMRさんがデスクにやってくる。

製薬会社の人は、かつて、病理医には冷たかった、と言われる(本当かどうかは、かつての人間ではないので、知らない)。

病理医は、彼らの商品であるおくすりを処方しないのだから、そもそも客じゃないのだ。実際、白衣を着ていないぼくが病院の廊下を歩いていて、彼らとすれ違っても、スーツの他人同士がすれ違ったようにしか見えないし、お互いそのように思っている。

けど、最近のMRさんは、けっこう病理医のところにも来てくれる。研究会の案内をただデスクの上に載っけて帰っていくのではなく、顔をみて挨拶してくれる。それがうれしい。

でも、たぶん、ぼくは、いつのまにか……医師15年目になり、少し摩耗していたのかもしれない。



少し前、ぼくのデスクに、ある製薬会社のMRさんが2人やってきた。1人はこの地域を担当する人、もう1人は初めて見る顔であった。先日の研究会で使った資料を返却しに来てくれたのだ。ぼくはお礼を言ったが、初めて見る顔の方が名刺を取り出そうとしていた。

ああ、そうか、ご挨拶。はい。致しましょう。えーと病理のイチハラと申しま……。

そっけなく名刺を見たぼくの体は、そのままの角度で固まってしまった。名前に見覚えがある。車で、トンネルの中を通り過ぎる時に、窓を開けていると聞こえるような音が、一瞬鳴った。

彼は、ぼくの小学校時代の同級生だった。さほどめずらしい名前ではなかったが、なんというか、リズムがある名前というか、「や」が名字と名前の中にあわせて3つも入っていて、ついフルネームで呼びたくなる名前、というか……。とにかく、よく覚えていた。

26年ぶりに見る彼の顔は、だいぶ節くれ立った、精悍なものに見えた。彼にはぼくはどう見えたのだろうか。

「こないだ、研究会でお会いして、いやー、覚えてるかどうか不安だったんですが、名刺をお渡ししたときの表情を見て、あ、覚えてくれるなーって、うれしかったですよ!」

心の中に、桜でんぶみたいなピンクのふわふわしたものが一気に広がった。なんか、陳腐なんだけど、うれしくてしょうがなかった。

覚えていてくれた人と、こうやって会えるなんて!


仕事中であるぼくらはそんなに長いこと話はしなかったのだが、今度どこかでメシを食おう、そのときはそうだ、あの同級生も誘おうと、ひとしきり盛り上がった。

ちらりと彼の後ろを見ると、最近ぼくを担当するようになった、「無味乾燥な人」だと思っていたMRさんが、破顔していた。「よかったですねえ」という顔をしていた。


ああ、ぼくは、知らず知らずのうちに、MRさんが1人の人間であることを、MRさんたちの商売とは別に彼らが人生を持っていることを、その人たちと出会うこともまた一期一会であることを、忘れて……というか、摩耗してしまって、名刺交換もすっかりおざなりに、礼儀正しさもあくまで慇懃無礼に、こなしてしまっていたのだなあ。

外資系の製薬会社はなーんかずるい感じがしますよね。

MRが持ってくる参考資料なんて絶対に勉強のアテにしちゃだめだよ。

研究会にはいくけどボールペンは持って帰らないよ。

タクシーチケット? もらうわけないじゃない。

ランチョン? うけないよ。薬屋さんの太鼓持ちで講演なんてするもんか。

これらは、ぼくが、「正しい医師」であろうとするために、あるいは「現代に生き、清廉を求められる医師」として過ごすために必要な、「言い聞かせ」であった。偉いドクターはみなこう言った。そして、いつしか、ぼくの中でも、少しずつ、MRさんは「ていねいに接するけど、決して踏み込ませない他人」となっていった。


今回、小学校時代の同級生がMRさんとしてやってきたことも大きかった。けど、それ以上に、「ぼくの担当」だったMRさんが、小さな同窓会が目の前で展開されているのを見て、とてもよさそうな笑顔をしていたことに、ぼくは撃たれた。


彼らも、ぼくらも、みな人だったのに。

中年は一瞬で忘れていくのだ。きっと、ほかにも、忘れているのだ。

2016年10月19日水曜日

病理の話(9) わりと真っ正面から遺伝子と病気のことを

「遺伝子」と聞くと、なんというか、全能感がある。

「遺伝子に変異があり、○○病になった」と聞けば、原因は確実に遺伝子にあるだろうと、半ば信じ込んでしまう。多くの医学生、さらには医師すら、「遺伝子変異を見つければ病気の診断につながる」と思い込んでいる。……こうやってぼくが書けば、読んでいる人は、「まあそう簡単ではないんだな」と、想像はつくだろう。

しかし。実際には、「遺伝子変異を見つければ病気の診断なんて簡単だ」と思い込んでいる医療者が、どれほど多いことか……。



一番勘違いされるのはこうだ。

「病理で、がんか、がんじゃないか、難しいって言われたんですけど。もっと技術が進んで、遺伝子変異までズバッと検索できるようになれば、そんなものすぐわかるようになるでしょう? 将来は病理診断なんて全部遺伝子検査で置き換えられるはずだ」

これは、夢としては大きいが、実現する可能性がきわめて小さく、(少なくとも現代においては)現実感に乏しい「世迷い言」だと考えている。

遺伝子を調べても、病気の「全て」は絶対にわからない。もちろん、「一部」はわかる。しかし全部を補うことはできない。



たとえば、Peutz-Jeghers syndromeという病気がある。「ポイツ・イェガース症候群」。この病気にはいくつもの症状が現れるが、有名なところでは、「消化管にポリープ(できもの)ができる」。

このポリープ、実は、腫瘍ではない。放っておくといずれ転移して命に関わるとか、そういう「悪いモノ」ではなく、過形成と呼ばれる状態である。もちろん、過形成だろうが腫瘍だろうが、できものがあることで症状が出ることもあるので、過形成だから放っておいて平気とは限らないけど、がんかがんじゃないかといえば、「がんではない」。

しかし、このポリープには、STK11遺伝子に変異があることがわかっている。遺伝子変異はあるけど、がんではない。

この、「がんじゃないくせに、遺伝子変異だけはある」という病気は、我々を非常に困らせる。

まあ、SKT11遺伝子に変異があるとたいていポイツなので、その意味では「遺伝子変異は病気をみるのに役に立つ」んだけど、そもそも、ポイツの診断にわざわざSKT11遺伝子を調べる必要はあまりない(そこまでしなくてもわかることが多い)。

どっちかというと、「腫瘍じゃなくても、遺伝子変異なんてありえるんだぜ」と言われてしまったのが、我々にとって、「痛い」。がんを診療する際に、「遺伝子変異の有無を参考にはできるけど、絶対ではない」ということになる。

これでは、病理診断と一緒ではないか、という話になる。「参考にはできるけど、絶対ではない」。



別の例をあげよう。

悪性リンパ腫や白血病という病気では、ときに「染色体検査」が施行される。異常な細胞に「正常細胞にはみられないはずの染色体異常」が観察される。濾胞性リンパ腫のIgH/Bcl2転座[t(14;18)]などは有名だ。この染色体異常は、正常の細胞には見られないし、血球細胞が腫瘍になる直接の原因となっている。

ところが。ちょっと風邪を引いてノドが腫れた小児のへんとうせんから細胞を採取すると、まれに、「よくわからない染色体異常」が観察されることがある。

うわっ、染色体がおかしい! み、見たことがない染色体異常パターンだけど……これは……悪性リンパ腫の初期像ではないだろうか!? そう疑って、風邪が治ってからもずーっと病院にかかり続ける。それっきりノドは腫れない。おかしい、おかしいと思って再び細胞を採取する。もう異常な染色体は見つからない。あれはいったいなんだったんだろう……。

こんなことが、まれにある。へたに染色体検査なんかオーダーしなけりゃよかったね、などと言われる。不必要な検査が現場も患者さんも困らせてしまう例だ。

染色体に異常をもつ細胞というのは、ある一定の確率で出現するらしいのだが、これが「人に影響を及ぼす、腫瘍」になるかどうかはケースバイケース。多くは人体の免疫機構によって、駆逐されてしまう。また、染色体に異常があろうと、問題ないケースもあるようだ。

「腫瘍じゃなくても、染色体異常なんてありえるんだぜ」と言われてしまったのは、我々にとって、「痛い」。がんを診療する際に、「染色体異常の有無を参考にはできるけど、絶対ではない」ということになる。

まただ。遺伝子変異や、病理診断と一緒ではないか、という話だ。「参考にはできるけど、絶対ではない」。


ありとあらゆる診断学は、基本的に、「たった一つの検査値だけでは決定できない」のだ。そこに風邪ウイルスがいるから風邪です、が成り立たないのと一緒で、そこに遺伝子変異があれば腫瘍です、もまた成り立たない。



コンピュータによる自動診断(AI)が今のところ不完全なのは、膨大な量の検査値を「総合的に、知性をもって」判断しないと、病気かどうかを決められないからである。病理診断みたいな形態学は、いずれAIに切り替わるだろう、などと言う人もいるが、それはだいぶ先の話だ。形態学はもちろんのこと、仮に遺伝子・染色体などを毎回フルで検査できたとしても、異常がある・ないの二元論では腫瘍かどうかすら決められない。

人間と同じくらい思考し、しゃべってくれるコンピュータが登場すれば……「ドラえもん」が実用化すれば、診断学は完全にAIに移行することができるだろう。おそらく、今まで医者がやってきた仕事のほとんどは、人間よりも頭がよいコンピュータによって深く思考され、機械によって実施されるようになる。

逆に言えば、そこまでしないと、遺伝子や染色体、あるいはタンパクを見てデジタルな判断をくだすだけでは、病理診断は確定できない。

たぶんそんな日は来ないだろう、と思った人もいるかもしれない。ならば、病理医はなくならない。

たぶんそんな日が来るだろうな、と思った人もいるかもしれない。ならば、病理医は他の臨床医と同じように不要になるし、「人間にしかできない仕事」をしなければいけなくなる。

それは何かというと、くり返し書いてきた、「説明して、納得してもらうこと」なのではないか、と考えている。特に、「納得してもらう」は難しい。のび太くんがドラえもんと喧嘩をし、仲直りをするという技術、22世紀でほんとうに実現していたら、それはすごい、すばらしいことだ、かもしれませんね。((c) SAMURAI)

2016年10月18日火曜日

読書は思い詰め将棋

自分では絶対に買わなかったであろう、哲学者の書いた本を読んでいる。まだ読み途中だ。

もらいものである。

ときどき、本をもらう。たいてい、本をくれるのは出版関係の人だ。

出版関係の人は、ぼくなんかよりずっと、本を読んでいるから、勧めてくれる本は、やっぱりおもしろい。そして、おもしろいだけじゃなくて、今のぼくが読むべき本をきちんと選んでくれている。

そういう、「今だからこそ読んでください」みたいなことが、よくわかるなあ、と思う。

あるタイミングで読むとハマる本、というのがあるように思う。それより早く読むと、必要となる知識が足りないとか、経験したことがない感情を使わないと読めないとか、とにかくいろんな理由で、本が頭にうまく入ってこない。それより遅く読むと、もうこの内容はどこかで経験したなとか、この内容はもう心の中で摩耗してしまったななどと思ってしまい、やっぱり本をうまく消化できない。そして、適切なタイミングで読むと、書き手の選んだコトバが、なにか新しい気づきをぼくにもたらしてくれる。

本を読む順番とかタイミングというものは、人生における「詰将棋」のようなものだと思っている。どんな本をいつ読もうと自由である。選択肢はほぼ無限にある。しかし、ある流れの中で、ある意図をもって本を読んでいくと、そこにはしばしば、劇的な「一手」が存在し、強烈なカタルシスをもたらす。ただし、その流れとか意図というものは、手順1個とか3個で作れるものではなく、15手、21手、33手、とにかく何手も重ねていった上でふっと浮かび上がるような類のもので、そうとうな目利きでなければコントロールすることはできない。プロ棋士でもなくプロ読者でもないぼくは、粗製乱造ならぬ粗製乱読によって、偶然降りてくる一手に期待するしかない。


***


ぼくにとって、須賀敦子という人は、ツイッターで教えてもらった大切な作家のひとりである。元々は翻訳家だ。60歳を超えてから、エッセイを中心に著作を残した。須賀敦子さんの親戚という方が、たまたまぼくのフォロワーにいたのが、読み始めたきっかけ。

見事にはまった。「なんていろいろなものを生み出してくれる言葉を書く人なんだろう」と感激した。

その後。「哲学者が書いた本」を読んでいたら、冒頭に須賀敦子の話が出てきた。哲学のことはよくわからないけれど、須賀敦子のことなら少しはわかる。いいタイミングだなあ。そう思って、読み始めることができた。

すると、この本も、やっぱりうまくハマった。

言葉というのは、何かを生み出すというよりも、「すでにそこにあったものを我々に気づかせてくれる」ものなのかもしれない。すでに読んでいたはずの須賀敦子が、ある哲学者が書いた本によって、あらたな意味をもってぼくに迫ってきた。この読書体験は、極上だった。



「須賀敦子のことを教えてもらう」→「ある哲学者の書いた本を読む」という順番は、逆であってはいけなかった。須賀敦子のことを知らずに哲学者の本を読んでも、たぶんぼくの心には響くことがなかった。また、須賀敦子を読んで10年も20年も経ってから哲学者の本を読んでも、やはり実感としてぼくの頭に本が残ることはなかったように思う。

すべてがうまくハマっていた。



それをうまいことハメ込んでくれたのは、とある編集者であったということになる。ぼくは、そういう「仕事」を尊敬するし、どうやったら「人に適切なタイミングで本を紹介する」などという離れ業をなすことができるのだろうか、と、むしろ軽く不機嫌になる。


だいたい君はいつだって、書けとは言わず、読ませようとする。それはいったい何手先を読んでのことなのか。

あるいは君も、動かせそうな駒を、ぼくの動きに合わせて動かしているだけなのか。

2016年10月17日月曜日

病理の話(8) 秒速4マイクロメートル

ぼくらが見る顕微鏡標本、プレパラートには、2枚のガラスが使われている。スライドガラスとカバーガラスだ。皆さんも、小学校の理科の授業で習ったことがあるのではないか。

2枚のガラスの間に、検体を挟む。その厚さは、一般的に、4マイクロメートル。1mmの4/1000。髪の毛の太さが100マイクロメートルくらいだといわれる。つまり髪の毛の25分の1だよ。4マイクロメートルの厚さでモノを切る、というのは、はっきり言って特殊技術だ。薄切(はくせつ)という。鋭角な響きがかっこいい。

ミクロトームという特殊な「かんな」で、検体を向こうが見えるほどに薄く切る。薄く切ったものをスライドガラスに載せ、ヘマトキシリン・エオジンなどの染色液によって色を付け、カバーガラスをかけて、ようやくプレパラートが完成する。

この、たかだか4マイクロメートルの厚さしかない検体を、顕微鏡で見ていると、「厚いなあ」と思うことがある。

それは、たとえば、結核菌を探しているときだ。

結核菌は、ほんとうに探すのに骨が折れる。長さは2マイクロメートル程度、太さは0.3マイクロメートル程度しかない。グラム染色では見えてこない。チール・ニールゼンという特殊染色を用いて、わずかに薄い赤色に染まる。

長さが2マイクロメートルだと、対物レンズ20倍や40倍程度ではかなり見づらく、見落としてしまう可能性が高い。対物レンズを最強レベルの60倍にして(学生用の顕微鏡にはついていないレベル)、視野すべてを丹念に探していかないといけない。

ベースとなる接眼レンズが10倍、対物レンズが60倍。あわせて600倍。最高にズームをかけた状態で、検体すべてを見るのは、とても時間がかかる。

しかも。厚さ0.3マイクロメートルしかない菌に比べれば、検体の4マイクロメートルという厚さも、かなり厚い。4マイクロメートル「も」ある検体を、浅層から深層まで、ピントを微妙に変えながら探さないと、菌は捕まらない。ピントを上下にくるくるずらしながら、検体すべてをなめるように観察する。

結核菌は、「ほんのちょっと」しか含まれていない事が多い。1つの検体内に、「菌2,3個しかない」ということもある。2×0.3マイクロメートルの物体が、ばんそうこうのガーゼ部分くらいの大きさの検体中に、たった2、3個!

気の遠くなるような作業である。


***


かつて、結核菌を見つけ出すのがとてもうまい病理医がいた。大学院時代、ぼくがプレパラートを必死で探して、とうとう見つけられなかった結核菌を、彼はほんとうに「一瞬」で探し出した。うわっ、すげえ……と思うよりも、その人並み外れた検索能力に、「むしろキモい」と思った。

数日後。

彼は、とあるプレパラートを手に持ち、太陽光にかざして、「これ、Crohn病じゃないかな」と言った。まだ顕微鏡を見ていない。ぼくはびっくりしてしまった。ぼくが1時間以上かけてようやく診断した標本だぞ、それを、レンズを覗くことすらせずに、診断するなんて……。結核菌を見つけるのが早い人の目ってのは、いったいどうなってんだ! 

驚くぼくに、彼はこう言った。

「見てみ、これ。遠目にかざすと、このように、壁内にリンパ濾胞がぽつぽつ分布していることに気づく。これなら見えるだろう?」

見える。しかし、それが何なんだ。

「腸管の壁内に、こうやってリンパ濾胞が散在するタイプの炎症というのは何種類かある。加えて、この人、ここに裂孔潰瘍(非常に幅が狭く、深い潰瘍)もある。こういう所見は、どちらかというと、顕微鏡の強拡大でみるよりも、ルーペ像で見た方がとらえやすい」

プレパラートを光にかざしたことなんて、なかった。

おどろくぼくを前に、彼は言った。

「うーん、驚いてるようだけど、ほら、ぼくも、顕微鏡はちゃんと見るよ。でも、ほんとうにものが見える病理医ほど、プレパラートを作る前の段階……、採ってきた臓器を目で見ているときに、すでに診断がほぼ終わってるね。まあ今回、ぼくはこの方の肉眼診断してないから、かわりにプレパラートを光にかざしてみたんだけど……意外とわかるもんだよ」


***


今回のエピソードを書き終えて、自分自身の「病理に対する印象」というのが、また少し見えてきた気がする。

ぼくはやはり、顕微鏡を細かく見る仕事をどこか、
「自分だけがわかっていればいい、人にわかってもらえるとは思えない、マニアックな技術」
だと思っており。

逆に臓器を肉眼で見ることや、臨床医と同じように患者の情報を加味して判断することなどを、
「医療者としてのおもしろさがある、人にもわかってもらえるだろう、普遍的な魅力をもつ技術」
だと思っている。

ぼくは、「マニアックすぎる病理の話」を避けて、「実は一般受けする、病理の話」を書きたがっているのだろうか?

2016年10月14日金曜日

タンチョウ鶴と言いますが正式名称はタンチョウです

この10年間、毎月釧路に通っている。釧路は、北海道の右側の方にある。一番右端では無い、それは根室。一番上にあるのは稚内。一番下にあるのは襟裳岬。

釧路は、食い物がうまい。全国津々浦々に出かけると、どの土地も少しずつ魚の種類が違ってそれぞれに楽しくおいしいと思うが、釧路と稚内は「別格」、ただひたすらに、何を食ってもうまい。

北海道のグルメとして有名なザンギは、釧路では「たれザンギ」というアレンジが加わっていて暴力的なうまさだし、シャリのかわりに蕎麦(!)を用いた「蕎麦寿司」は、まあ一度食べれば十分だけどしみじみする。鉄板にスパゲティを乗っけたものを名物と言い張ったり(しかし有名になるだけはある)、荒削りな日本酒が味わいを出していたり(福司は銘柄毎に味のばらつきが大きくて楽しい)、厚岸からの牡蛎、根室からのカニなど、近隣の海の幸がばんばん集まってくるし、おすすめできる料理が山のようにある。

そして、これだけ魅力があっても、人は少ない。何がいいって、それがいいんだ。釧路は、もはや、限界集落……ではないけど……限界地方都市である。


***


特急・スーパーおおぞらで、札幌から4時間。毎月JRに乗って、釧路に向かった。往復で8時間ともなると、読む本のセレクトが重要となる。途中、疲れて眠くなって2時間くらい寝てしまうこともあるが、それでも往復で4時間。普段読めない本が、少なくても1冊、うまくいけば2,3冊読める。

おそらくだが、ぼくは大学院を卒業してからの10年間、「釧路があったからこそ、本を読めた」。

窓の外には終わりの見えない原野。出たり入ったりするトンネル。まぶしくてカーテンを閉めてしまう。指定席はだいたい50%の入り……帯広を越えると、3割?2割?せきばらいも聞こえない。隣にはまず誰も座らない。こういうとき、「ああ、田舎に行くんだな」と思うし、「最高の環境で本が読めるな」と思う。

古くはハイペリオン、最近でいうとペルディード・ストリート・ステーション、これらの長編SFは釧路行きのJRの中で読んだ。SFを好きな人にあこがれていたから、自分もSF好きになろうと、多少無理をして読む。ストーリー云々というよりも、設定に溺れ、整合性に震え、想像力に身を溶かすような本だなあ、と思う。時間がないと読めない。没入できないと、読んでいる甲斐がない。


***


最近、2つのSFを読んだ。「アグニオン」と「横浜駅SF」である。どちらも、知ったきっかけはツイッター。そして、読んだ場所は主に……マクドナルド。

実は、今年の4月から、スーパーおおぞらに乗らなくなってしまった。

釧路の業務内容がハードになり、優雅で腰の痛くなる4時間の旅路を選択できなくなったぼくは、空路の時間割が変更されたことを機に、往復とも飛行機に切り替えた。プロペラ機で45分。上昇に15分、下降に15分かかるので、水平飛行は10分弱しかない。落ち着くひまもない。うとうとしたら着陸している。落ち着いて長編小説を読むような環境ではなかった。

こうして、本を読む時間が、あからさまに減った。

もう、しょうがない、腹をくくって、時間を作って、自宅で読もうと思った。しかし、どうも、参った、困ったことに、自分が一番落ち着くはずの座椅子で本を読むと、2分で寝てしまう。

なんだ、いつからだ。何に適応したんだ。ぼくの体は。最高に適応すると0.93秒まで短縮できるに違いない。

ユーザーの尻に対する優しさがゼロで、決して居眠りには向いていないだろう、と見込んだマックの椅子を選んだ(実際、期待通りだった)。クオーターパウンダーチーズセットで1時間半、これが、花も恥じらう中年男性がマックに居座れる限界である。3時間も4時間も座っていることなんて、恥ずかしくてできない。これを2日にわたって2回くり返すことで、アグニオンを読んだ(余談だが伴走者もマックで読んだ)。横浜駅SFも、マックで読んだ。

今回のエントリは書評目的ではないので(じゃあグルメ回かと言われても困るが)、秀作2つに対する感想を述べるのはまたの機会とする。本筋はどちらも最高だった。

ただ。

この2つの本を読む間ずっと、なぜか、共通のイメージに心を囚われてしまっていた。

曇り空の下、どこまでも続く湿原、そこを貫く単線をなぞる1本の列車、そして、車内でただ1人、靴を脱いでひざを抱えて、いつまでもいつまでも本を読み続けている中年男性の姿が、ストーリーなど無関係に、ただ設定だけ放り出されたような状態で、心のデスクトップの背景にずっと表示され続けており、その灰色が2つのSFの最下層レイヤーとして、ずっと鈍く、遠くに光っているのだ。

2016年10月13日木曜日

病理の話(7) 細胞だけではわからない世界

肝臓という臓器には、いくつかの病気が現れる。大きく分けると、「肝臓全体が侵される病気」と、「肝臓の一部分に出現する病気」だ。
前者の代表は、肝炎。
後者の代表は、がん(悪性、放っておくと命を縮める)や、血管腫(良性、放っておいても問題ない)である。

病理診断はこのいずれに対しても、強力な診断能力を示す。しかし、強力なだけであって、絶対ではない。

ぼくは、様々な臨床医達と何度も会話をするうちに、以下のように告げるようになった。

「肝臓病理診断とは、めちゃくちゃすごい画像検査、くらいのレベルに”過ぎず”、最終診断を与えることはできないと考えてください」。


***


「がん細胞を見れば、がんとわかる」
これは、形態診断学という世界の、絶対のオキテのように信じられている。しかし、「インテリヤクザ」の項でも書いたように、ときには、
「ぱっと見ただけではそれががんかどうかわからない細胞」
というのが存在する。

肝臓には、そういうやつが、たまに出てくる。
「がんと似たようなカタマリを作る、がんではない病気」というのが、まれながら存在する。
カタマリの中から細胞を採取してきて、がんじゃないことがすぐに分かればラクなのだが、これがまた、揃いも揃って、「細胞を見ただけでは判定が付かない」ものばかりだ。


FNH(限局性結節性過形成)という病気がある。病気と書いたが、これは症状を引き起こさないし、患者さんの命にも別状はない。ただし、カタマリを作る。

このカタマリ、治療する必要がない。手術で採らなくてもいい。ただ、がんと区別が付きづらいため、「もしも、がんだったらヤバイので」という理由で、しばしば手術で採ってくるはめになる。診断が難しい。

こんな、がんに似たカタマリが、どうしてできるのか?

肝臓には、多くの血液が流れ込む。血液の一部は、肺でたっぷりと酸素を充填した「動脈血」である。さらに、腸管でたっぷりと栄養素材を充填した「静脈血」もやってくる。この2通りの血流を受け入れて、酸素や栄養素材を複雑にジャグリングするのが、肝臓だ。

酸素は、肝細胞自身が生きるために必要。
栄養素材は、肝細胞の仕事相手。肝細胞によって様々に処理される。

「人体最大の臓器」である肝臓は、人呼んで、加工工場(実はゴミ処理場でもあるがここでは省略)。とにかく複雑なイン・アウトを絶妙にさばいていく、「人体最強に仕事ができるヤツ」である。

これらの血流バランスが、比較的まれに、乱れることがある。異常というよりも、体質に近い。

肝臓の一部に、酸素ばかり豊富で栄養の少ない「動脈血」がごっそり流れ込む。そして、栄養素材たっぷりの「静脈血」があまり流れてこなくなる。動脈血と静脈血のバランスが、狂ってしまった状態だ。肝臓全てがおかしくなるわけではなく、たいていはどこか一部分だけが……せいぜい直径2cm前後の領域だけが、狂う。

こうなると、何がおかしくなるか?
普通は均等に配列している肝細胞たちが、動脈血流が豊富な領域において、妙に増えてしまう(過形成)。自分が生きるための酸素ばかり与えられ、自分の仕事の対象である栄養素材があまりやってこないと、ま、たぶん、すっげぇラクになっちゃって、生きやすいんだろうな。だから、増える。

細胞の数が増えると、周りに比べて細胞の密度が高くなる。満員電車の中に人が満ちるとドアからはみ出そうになるかの如く、パンパンに詰まって、カタマリとなって、周囲を押し広げる。あたかもがんのように、「腫瘤(≒カタマリ)」を形成する。

なあに、増えている細胞は単なる正常肝細胞だ……がんではない。なら、病気をわざわざ手術で切って採ってこなくても、皮膚から細い針を刺してやって、腫瘤のごく一部だけを採取して、顕微鏡で見れば、がんじゃないことはすぐにわかる。

……とは、なかなかうまくいかない。満員電車の中では、普段善良な人々の怒号や悲鳴、怨嗟の声が満ちるのと同じように、細胞の密度が上昇すると、まるで早期のがん細胞のような像を示すことがある。進行がんの細胞がコテコテのヤクザだとすると、早期がんの細胞は町場のチンピラ。満員電車の中で舌打ちする一般市民と、コンビニで舌打ちする場末のチンピラを正確に区別することができるか?

このように、細胞だけを見ていては、がんか、良性細胞なのか、区別がつかない場合がある。では、どうするか。肝細胞だけではなく、その周りにある「血管」、さらには「間質(スキマの部分)」などを、丹念に見る。これにより、細胞そのものの変化に加えて、「血流の異常」が起こっていないかどうかを探す。これは、顕微鏡だけだと、本当にめちゃくちゃ難しい。

だから、「肝臓が得意な病理医」は、CTやMRI、超音波などの画像を見て、血流の変化を読むのである。病理医なのに画像をすごく読む。もちろん、放射線科医にはかなわない、肝臓内科医にもかなわない、だから、彼らと協力して、一緒に読んでもらって、肝臓に何が起きているのかを、細胞だけでなく血流のダイナミズムを加味して、総合的に診断する。

「病理検査」+「画像検査」+「血液検査」+……。これらの「検査」が総合した先に、「診断」がある。


***


顕微鏡で見ているのは、時間を止めた世界だ。検体を取り出してきた瞬間から、血流は全て止まっており、ホルマリン固定によって細胞の活動も全て停止している。これにより細胞は細かく観察できるが、FNH(さっきの良性のカタマリのことですよ)のように、「血流のバランスが乱れることによってできてくるカタマリ」を診断しようと思ったら、細胞だけではなく、「そこに何が流れ込んでいるのか」というダイナミズムを考えなければいけない。

放射線科医が造影CTや造影MRIを駆使して予測した診断に、病理医が顕微鏡を駆使して答えを出す。そんな一方通行の診断は、こと、肝臓においては、既に過去のものとなりつつあるのかもしれない。顕微鏡も一つの検査に過ぎないという視点、画像もあわせて全員が等価で話をしようというスタイル、「顕微鏡はマジで超役に立つし、病理がないと診断なんてできないけど、病理だけでは決められないんだよ」。

顕微鏡をひたすら見て、専門技術を磨くことで、顕微鏡を用いない人にとっての「ツール」となりたい……。これは、病理医のプライドであり、揺らいではいけない部分だ。できることとできないことを、分ける。自分の役割を、探す。立場を守って生きる。チーム医療の根幹が確かにここにある。

けど、ぼくは、まだ顕微鏡に対してそこまで絶対の信頼がないのかもしれない。画像系の研究会やカンファレンスで、病理診断そっちのけでCTやMRIの解釈を尋ねたりして、肝臓内科や放射線科の医師に笑われる。

その笑顔が、どういった種類の笑顔かを、子供の頃よりは読み解けるようになった。勘違いかもしれないが、縁の下から時々顔を出すぼくを見る彼らの笑顔は優しいように思う。

2016年10月12日水曜日

あそこに立てなかった男

「ジャイアントキリング」というサッカー漫画に、佐倉監督というキャラクタがいる。

彼は、小学校・中学校・高校とサッカーをやってはいたものの、運動センスがなく、リフティングもまともにできず、高校の途中で受験を言い訳にサッカーをやめてしまった。

小学校時代。パスをもらってもトラップすらできず、ボールを踏んづけて転んで後頭部を打ってしまった佐倉はベンチに下がる。そのときコーチに、
「トラップくらいできないと試合には出せないけど、あそこにいたのはよかった。君は、サッカーを見る目はあるんだな」
ということを言われる。

サッカーを見るのは好きだった。細身のメガネは、国内外のサッカーを見ながら分析をする。すごい選手の動きや考え方をトレースしながら、なぜあんなところにパスが出せるのか、なぜそこに飛び出せるのかと驚嘆しながら、サッカーを見て、サッカーにのめり込んでいく。

サッカーをやめて何年も経ち、大学の同期はそろそろ就職活動が忙しいというころ、彼は何かを考え、そして何事かの行動を起こす。

詳しくは書かないが、下積みからスタートし、サッカーにプレイヤーとしてではなく指導者として携わるようになる。

「ジャイアントキリング」の、このエピソードを軸とした回は、とても好きだ。



佐倉がサッカーに再び関わり出す直前に、ある試合を観戦し、ある言葉を絞り出す。

ぼくは、指導者になってからの泥臭くも輝かしい数々のエピソードと同じくらい、あるいはそれ以上に、「達海猛の試合を見た佐倉が自分の心に気づいた瞬間のセリフ」が好きだ。

読みたい人もいるだろうから書かない。



「自分が好きなものの理由をうまく語る能力」は、オタクの必要条件でも十分条件でもないと思っている。

そもそも、オタクであることに条件も素質も必要ない。

ただ、「自分が好きなものとの距離を知ってしまってから、それでもそこに関わる理由を見つけ、関わろうとするオタク」は、今も昔もぼくにとってのヒーローなのである。

サックラーはオタクでありぼくのヒーローなのである。

2016年10月11日火曜日

病理の話(6) その後何度も語り倒されるヤクザの話

病理医ががん細胞を見つけ出す作業は、渋谷のスクランブル交差点にうごめく人々の中から「ヤクザを探し出す」作業に似ている。

善良な人の群れの中に、頭にはリーゼントがギンギン、胸元からは入れ墨がちらちら、金の鎖のネックレスを二重にかけて、黒塗りの高級車からのっそり出てくるおじさんがいたら、「あっ、悪い奴だ!」とすぐわかる。それも、徒党を組んでいれば、なおさらわかりやすい。

正常の細胞は規則性・法則性があり、分布も細胞のカタチも予測しやすい。一方、がんの細胞は非常にいびつで不規則な形をしており、核の中身(クロマチン)もかなり濃いし、核小体が目立ったり、細胞質に余計な粘液があったりと、ごちゃごちゃうるさく修飾がかかっている。そのため、正常の細胞に混じってがん細胞があると、「普通の頭に混じってリーゼントが混じってやがる!リアルヤクザ発見!」といった感じで発見することができる(わりとガチな例え方です)。

しかし、悪い奴というのはしばしば狡猾である。見た目ではわかりにくい悪人、というのが問題となってくる。

世の中には「インテリヤクザ」というのがいて、極めて整った身なり、実に落ち着いた風貌で日常生活を営みながら、ネットで大犯罪に携わっていたりする。

がんの世界にも稀にそういうのがいる。「細胞はちっとも悪性に見えない、むしろ良性に見える」にも関わらず、転移をし、人体に重大な被害を与えるやつだ。

細胞界のインテリヤクザは、細胞1つを見ていてもなかなかヤクザであると気づけない。正常細胞によく似ている。徒党を組んでクラスタを作っても、ヤクザっぽいカタマリ(「○○組」?)に見えてこない。見極めるためには、専門的な技術と経験、そしてある程度の運が必要となる。

「いやいやそのメールに書いてある口座番号おかしいからwwwwインテリヤクザ乙wwwww」

「よし見つけた、お前、善良そうに見えるけどがんだな、だまされねぇよ、はい早期発見乙」

似たようなものなのだ。



さて、一般人(正常細胞)に偽装したインテリヤクザ(がん細胞)を見つけ出して逮捕したとき、おどろくのはインテリヤクザ?いや、実は、おまわりさん(臨床医)が驚くのである。

「えっ……これ……良性じゃないの!!!」

紳士だと思ったけど念のため興信所に身分照会したらヤクザでした、みたいなものだ。

こういうケースで、病理医は臨床医に何を伝えるべきなのか。

病理医はヤクザだと思った。臨床医はヤクザだと思っていない。この場合、「ほら病理はこれこれこうで、こんな証拠を掴みましたので、見た目は誠実そうですけどぜったいヤクザです」と説明するだけでは不十分だと考えている。

「なぜ、臨床医にとって良性に見えてしまうのか」を、細胞像を駆使して説明する。臨床医に電話をし、あるいは直接、顕微鏡の前で対話をする。

「このがんにはこういう性質があるから、良性に見えやすいんです」

「いやあ、しかし先生これ見てくださいよ、この病気のカタチ、がんに見えます?」

「なるほど……しかし先生、こちらの造影所見でみると輪郭は……」

「ううむなるほどそう言われれば……ところで過去にこれと似た画像で実際良性だったことも……」

「おっ、くそっ、なるほど、いやまてよ、こちらはどうです、顕微鏡みるとこういう線維化はこっちにはなくて」

「ほほう……」

インフォームド・コンセント(説明して納得してもらうこと)が完成するまで、延々と会話をする。

臨床医に納得してもらえば、その臨床医が今度似たような症例をみつけたとき、「こいつ、インテリヤクザでは……?」と疑って検体を採取するようになるかもしれない。そうすると、病理診断はさらに楽になるかもしれない。よいスパイラルが生まれるかもしれない。

ヤクザに見えるけどいい奴……いい奴に見えるけど実はヤクザ……。

見た目と中身が乖離。

「インテリヤクザが一般企業を装った悪い会社を創設し、ネットを駆使しながら世間にばれないように悪事をたくらむ」

「じゃりン子チエに出てくるようなコテコテのヤクザが、縁日の屋台などで普通に民間人と交流してなじんでいる」

浮かんでは消えていく。


ちなみに、この話はあちこちでしているのだが、ある地域で「先生、あんまりヤクザをバカにするの、この地域ではヤバイっすよ」とか言われたことがあるので、ちょっとだけ覚悟して書く。

2016年10月7日金曜日

不念願・造影居着く

「フィネガンズ・ウェイク」という大著を翻訳したことで知られる柳瀬尚紀氏は、1982年ころに「英語遊び」なる本を書いている。「英語遊び」が文庫本になったのは単行本に遅れること16年後の、1998年。現在、あたりまえのように絶版である。じわじわ売れて、すでに売れ終わった本ということになる。

飛行機の中で「本の雑誌」という書評雑誌を読んでいたら、「英語遊び」なる極めて凡庸な書名を目にした。しかし、紹介している記事を読んでいるうちに、欲しくて欲しくてたまらなくなり、うおっ買うぞっとなり、着陸後に直ちにスマホでAmazonを探り、かなり割高の古本を注文した。絶版なんだから古本で買うしかない。各方面に詫びる。よく考えれば図書館で探してもよかった。はなから選択肢になかった。


かつて、不可能と言われていた「フィネガンズ・ウェイク」の邦訳を一人で成し遂げた人がいる、という話は知っていた。文学方面の教養なんぞないぼくが、「フィネガンズ・ウェイク」を知っているのはなぜか。ぼくに限らず、おそらく、世の中の多くの「理科っ子」「物理っ子」たちは、かなりの高確率で、「ユリシーズ」は知らなくても「フィネガンズ・ウェイク」のことを知っている。

これには理由がある。

素粒子物理学という世界に搭乗する「クォーク」という言葉の由来が、「フィネガンズ・ウェイク」だからだ。素粒子学を多少なりとも習うと、すぐにクォークにたどり着く。そこにたまたま興味を持ち、クォークに関するアンチョコ本を読むと、高確率で「フィネガンズ・ウェイクに出てくるカモメのような鳥の鳴き声がクォークなのです」といううんちくにぶち当たる。

理科が好きな子供たちは、昆虫好きが昆虫の住む木や草に興味をもつように、仮面ライダー好きが他の特撮映画に興味をもつように、理科そのものだけではなく、理科を作り上げた科学者たちや、理科が内包する叙情的エピソードにも、ちらりと興味をもつ。だから、クォークを学ぶ過程で、フィネガンズ・ウェイクのことも覚えてしまう。

「原子はそれ以上小さくできない単位だ、とされていたけど、実際には原子をさらに割ることができる。原子は最小単位ではなく、クォークというものからできている。クォークとは、もともと、フィネガンズ・ウェイクという本に出てくるカモメの鳴き声である。クォーク理論の提唱者は文学にも造詣が深く……」

突拍子もない文章に出会った理科少年の心には、不思議な声で鳴くカモメの姿がちらりと焼き付くことになる。


ちらりの記憶が、20年以上経って、ぼくのところに「英語遊び」という本を運んできた。


「英語遊び」はとてもよい本だった。いかにも解釈の難しい英語がちらちら出てきて大変なのだが、翻訳者・柳瀬尚紀氏は英語以上に日本語に堪能であり、さまざまな「日本語の言葉遊び」や「オヤジギャグ的思考」を使いこなす方で、「極めて高度にくだらない知的作業」を読者に強いる。とてもエキサイティングで、楽しい読書だ。

さすが、「フィネガンズ・ウェイク」を翻訳した人である。恐ろしいほどに思索の荒野が広い。フィネガンズ・ウェイクは実に難解な書らしく、同じ音に違う意味をもたせていたり、違う言葉を同じイニシャルで揃えて共通の意味をもたせたり、新しい言葉を生み出していたり、作品の最後が尻切れで終わっているように見えるが実は冒頭の文章とつながっていて、作品全体が循環した世界を構築していたり……。フィネガンズ・ウェイクの何重にも張り巡らされたモチーフを鋭く理解し、日本語流のウィットを込めつつも、世界観を壊さないような絶妙な言葉選び、英語遊び。うーむ……元本もすごいし、柳瀬尚紀氏もすごすぎる。

仮に、ぼくがこの本を「理科少年」だった頃に読んでいても、理科に対する興味が全く満たされない上に、英語が難しくてついていけず、ウィットにも気づけず、なんだか不完全燃焼で終わってしまったのではないか。「理科中年」になった今なら、読めた。いいタイミングで出会えたもんだなあ、と、僥倖に感謝する。


しかし、本の雑誌は、なぜまたこのタイミングで柳瀬尚紀氏の絶版本を紹介してくれたのか。あっ、と思い立ち、検索をかけた。

2016年の7月に柳瀬尚紀氏はお亡くなりになっていた。同時代の人であったにも関わらず、興味をもったときにはすでに亡くなっているということがたまにある。いつもなぜかよくわからない悲しさで満ちる。別に、同時代に生きているならいつか会えるだろうとか話を聞けるだろうとか、死んでしまったらもう会えないから悲しいとか、そういうことではないんだけれど……。

柳瀬尚紀氏が亡くなったからこそ、書評にとりあげられる機会があり、ぼくのような「非文学中年」の目に留まり、読むことができた。

理科が好きだったからこそ、理科の文脈でいつまでも覚えていたエピソードがあり、その弱い記憶をきちんとたどる機会に出会えて、結果的におもしろい文学に出会うことができた。

ま、いろいろとポジティブな解釈はできるけれど。

「このダジャレおじさんが生きているうちに、リアルタイムで新しいエッセイを読めたらよかったのになあ」
という、見てもいなかった夢、もはや叶わないことが確定した夢に、今更とりつかれてしまっている。

念願なんぞしていなかったけど、くっきりと浮き上がってしまった夢が、ぼくの心に。つまりは、

2016年10月6日木曜日

病理の話(5) ボスは細胞ではなく患者をみていた

生命科学研究の片手間に病理診断のまねごとをしていた大学院時代、すぐ近くに、「病理診断こそわが使命」と、研究そっちのけで診断に邁進する同僚がいた。後輩に実験の手伝いを頼みながら(要は実験をサボっている)、代わりに後輩が悩んでいる難しい診断をばんばんこなしていく女医さんであった。「もちつもたれつよねー」。そう言ってカラカラと笑っていた。

そういう人がいたから、「病理診断を一生の仕事にすること」がだいたいどんな感じかというのも、まあわかったつもりではいた。


「朝から晩まで病理診断をする」ということは、「朝から晩まで新しくがん症例を見つけ出す」ということに近いな、と考えていた。20件の生検標本をみれば、少なくとも1件、多ければ10件以上のがん症例が新たに定義される。5件の手術検体をみれば、およそ4件はがん症例であり、「このがんは、およそ3年で命に危険を及ぼすだろう」「このがんはどうやら人を殺さなくて済みそうだ」という判断をすることになる。病理診断とはそういう仕事なんだろう。



この日、ぼくが診断するプレパラートは100枚程度だった。患者1件につきプレパラート1枚というわけではなくて、たいてい複数のプレパラートがあるので、おそらく30~40件分の診断をしたと思う。

全部に目を通して「1次診断」を書く。1次診断とは、プレパラートを最初に見た人が書く診断のことだ。

1次というからには、2次診断もある。同じ標本を、ぼくとボス、2人が順番に見ることになっている。

病理診断は、患者と医者の双方に対する発言力が非常に強い。誤字脱字を含めた小さなずれも含めて、間違いが許されない。したがって、病理医が複数いる施設であれば、たいてい「ダブルチェック制度」をとる。1次診断をぼくが書いたら、ボスが「チェック診断」をし、2人の目で間違いを減らそうと試みる。

ぼくが1次診断を書き終わるまでに2時間半かかった。続いて、ボスがチェック診断を行う。1次診断の段階で診断文、解説文ともできあがっているので、ボスのチェック診断は基本的にぼくよりもだいぶ早く終わる。

しかし、この日、ボスのチェックは2時間ほどかかっていた。いつもより少し遅いな、と思った。

チェックを終えたボスがぼくを呼んだ。

ぼくの1次診断に問題がなかった症例は、ボスの「印刷して、電子カルテ送信してね」の一言で、診断修了。

診断が難しかった症例については、集合顕微鏡(複数人で一緒にのぞける顕微鏡)で、一緒に細胞を見ながらディスカッションをする。

今日は、診断が難しい症例はそんなに多くなかった。

代わりに、がん症例が多かった。

ボスは、チェックのとき、「がんがあったプレパラート」については、ぼくの1次診断が合っていようとずれていようと、必ず一緒に顕微鏡をみる。この日、一緒に顕微鏡をみる症例が、とても多かった。


「この人も、がんだね。ちょっと進行してそうだなあ」

「これもだ。よく見つかったねこれで」

「これもがんだ。うーん、この人はちょっと、若いなあ。かわいそうになあ……」



この日のことをぼくがやけに覚えているのは、ぼくがはじめて

「ああ、ボスは、プレパラートを見てるんじゃなくて患者を診ているのか」

と気づいた日だったからだ。



「このがんだと、バイパス手術じゃないとだめだろうねえ。しんどいなあ」

「これは見つかってよかったねえ。ちゃんとdeeper cutした甲斐があったねえ」

「この人は前回の検診でひっかからなかったのかなあ。どうしてかなあ」


ボスは、もの言わぬプレパラートさんと、会話をしているように見えた。




「朝から晩まで病理診断をする」ということは、「朝から晩まで新しくがん患者を見つけ出す」ということに近い。20人の生検標本をみれば、少なくとも1人、多ければ10人以上のがん患者と新たに出会う。5人の手術検体をみれば、そのうち4人に対して、「この人は、およそ3年で命が危険を及ぶだろう」「この人は、どうやらがんで死なないですみそうだ、よかったなあ」という診断をすることになる。病理診断とはそういう仕事なんだろう。

2016年10月5日水曜日

さてと、そして、これはトマト

人が何かをしゃべっているとき、すばやく全体像を把握しよう。「要はこういうことなんだな」。そして、解決策を誰よりも先に提示しよう。「つまりこうすればいいんだよね」。

こういうことができる人が、頭がいい人だから。がんばって、頭のいい人になろう。

言葉にするとあきらかに下世話だけど、なんだか、そう信じていた時期がある。それも、とても長い間。


***


ぼくは大人になったらしい。たまに、宴席で偉い人がえんえんとご高説を開陳している場面だとか、タクシー車内で後輩同士が青春トークで盛り上がっている場面だとかを経験するようになった。出しゃばりすぎないように、じっと黙って居酒屋のフラワーロックになる。呼吸するドライブレコーダーになる。そんなシーンが、少しだけ増えた。

こういうとき、会話に入っていかなくていいぼくは、ゆっくりと全体像を俯瞰するけれど、しなくてもいい。解決策をつい考えてしまうけど、提示する必要はない。


あのときも同じで、ぼくは居酒屋の灰皿みたいな存在だった。目の前で、若者なりの怠惰さとベテラン故の厳粛さがぶつかりあい、激しい口論が展開されていた。

突然、「ぼくが沢木耕太郎だったら」という思考実験がはじまった。直前まで「テロルの決算」(だったと思う)を読んでいたぼくは、
「沢木耕太郎だったら、この喧嘩をどのように書くだろう」
と、考え始めたのである。

口角の泡を書くだろうか。乾いていくサラダを書くだろうか。いや、そこまで細かく静物写生はしない人だ。若者の心にちらちら見える刃物を書くだろうか。ベテランが出し惜しみしている過去に触れるだろうか。ありそうだ。そして、

彼はおそらく、この喧嘩を「把握する」だろうけど、「解決策は出さない」だろうな……。

「彼がこうしたのは、こうしなかったのは、なぜだろう。こんなことがあり、こんな人がいる。彼は彼をこう理解した。あれはこれと、こうつながった。ここにはこんな、ミスマッチがあった。ぼくは、こう思った。それにしても、彼がこうしたのは、こうしなかったのは、なぜだろう……。」


***


バスが止まり、地面に降りると、一面の荒野だった。目の前には、棒と紐だけで簡単に囲われた、やけに下草が伸び放題の、荒れ果てた畑のようなものがあった。

雑草よりも背が低いトマトの木が、だらしなく頭を垂れている。数個、トマトがなっていた。トマトの横には、すっかりしなびたナス、からからに乾いた枝豆、オブジェのようにでかくなりすぎたズッキーニなどが無造作に植えられていた。

バスガイドさんが、バスの中からぼくを見ていた。ドアを閉めていいのかと、たずねるような顔をした。

ここは畑でいいんですよね。彼女はうなずく。ずいぶんひどい畑ですね。彼女は少しうなずく。ほっぽらかしだ、誰かが途中まで面倒みてたのかな。答えはない。これ、どうするんですか。答えはない。トマト、1個食べてみていいですか。彼女はおそらくうなずいた。トマト、食べない方がいいですかね。彼女は少し笑っていた。

バスのドアが閉まり、バスは行ってしまった。

トマトに近寄って、1個もぎとる。少し熟れすぎているように思うが、ここにはカラスも虫もいないのか、ついばまれた後も小穴もなかった。食べようか、どうしようか。

それより、この畑だ。いったいなぜ、誰がどうしてこんなところに畑を作ったのか。どうしてトマトを植えようと思ったのか。途中で放り出してしまったワケは。このトマトはこのまま放っておいたら腐って落ちるだけなのだろうか。それとも、忘れた頃に畑の主が戻ってきて、大きすぎるズッキーニ、ひからびた枝豆、しなびたナス、そしてトマトの収穫をするのだろうか。

ぼくは、トマトを手に持ちながら、畑をぐるぐると歩き回った。周りはなにもない荒野である。この後、どこに歩いて行こう。トマトは食べないで持っておくべきだろうか。バスの轍はもう消えてしまっていた。


***


物事には真実があり、問題には解決策がある。原則には例外があり、例外はたいてい少数である。

そして、ぼくは最近、「解決策を誰よりも先に提示する人」が「頭のいい人」かどうか、わからなくなってきている。

俯瞰したり、ズームアップしたり、観察をして、分析をするのは、楽しくて不安だ。楽しいときにも、不安なときにも、脳はめいっぱい動いている。働いている。そのダイナミズムを、「解決策」ひとつで止めてしまうことが、どうにももったいなく思えてきてしまった。

ぼくは、頭のいい人よりも、頭をきちんと動かす人のほうがかっこいいのではないか、と思っているふしがあるようだ。

2016年10月4日火曜日

病理の話(4) 11時30分の男

大学院を出て、病理診断医にでもなろうと思ったぼくは、札幌の市中病院に就職した。そこには、とても温厚な「ボス」がいた。

ボスは、ぼくといっしょに毎日昼ご飯を食べる。患者を直接みない病理診断科の人間は、昼飯の時間を自由に設定できるから、食堂が混雑する時間より前に、ささっとめしにする。

それはかつて、「11時32分」だった。おそらくボスの時計では「11時30分」なのだろう。いつもきまって32分になると、ボスが席を立ち、ぼくに声をかける。

「ひるめし、行きますか」

ぼくはそれにはいと答えて、地下にある食堂まで一緒に歩く。

ボスは、とにかく食べるのが早い。カウンターから、先にボスの食事が出ようものなら、ぼくの飯が来る前に食べ終わってしまうこともある。メニューをそろえて、同時に受け取って、いっせーので一気にかきこまないと追いつけない。昔、うちの病院は、今の何倍も検体が多かったらしく、昼飯を食う時間はおろか晩飯を食う時間もなかったと聞くが、そのときの名残なのだろうか。あまりの食事の早さに、ボスの胃には歯がついているのだろうなと半ば本気で信じていた。




時間を巻き戻す。ぼくがこの病院に就職を決める前、大学院時代。バイトで週1回、この病院にやってきて、「切り出し」という作業を担当していた。

切り出しについて、多くを説明するのはまたの機会にゆずるが、この仕事、普通は1日に2時間も従事すれば長い方であろう。平均してそれくらいの業務、それくらいの負担だと思っていればいい。

ところがこの病院では、ぼくが1時から切り出しをはじめると、たっぷりと4時半までかかった。3時間半である。しかも、これとは別に午前中に「切り出しの下見」と呼ばれる作業を1時間半やっている。合計5時間。あまりに検体が多い。切っても切っても終わらない。なるほど、これはバイトを頼みたくなるのも当然だ。

ボスは、切り出しの下見をぼくといっしょに済ませたあと、切り出しの本番が始まる前に、ぼくを食事に誘う。食事をさっさとすませると、ぼくにこう言う。

「さあ、休憩休憩。午後はがっちり切り出ししてもらうから、休んでおきなさい」

ぼくはそれに従って、医局でコーヒーを飲む。ボスは一足先にデスクに戻り、仕事を続けているようだった。



バイトは朝の9時から夕方の5時まで。5時になったらぼくは大学院に戻って研究の続きをする。8時間のうち、1時間半を昼飯と休憩に、5時間を切り出しに使うと、残りは1時間半しかない。

この1時間半を使って、手術検体の標本を1件みせてもらっていた。たった1件である。胃癌とか、大腸癌の手術検体。プレパラートを見て、癌がどこにあるかを確認し、臓器の肉眼写真にプロット(マッピング、という)して、診断を書く。……書くとは言っても、当時、ぼくはまだ病理専門医ではないし、下書きしたものをボスに見せるだけ、赤ペン先生の指導を受けるだけの「仕事」であった。

このころのぼくは、胃癌や大腸癌のプレパラートであれば1件につき平均20分くらいで見終わっていた。1時間半もあるなら、時間はたっぷり余ってしまう。なるほど、あまりバイトにひっかきまわされたくないんだろうな。勝手にそう納得して、じっくり、ゆっくりと標本を見て、教科書をたぐったり、取り扱い規約をひっくり返したりしていた。



バイトをはじめて1年ほど経ったある日。午前中、切り出しの下見が始まる前に、ある「癌」の標本を1件だけ見た。ボスにそれを渡して、ぼくが切り出しをしている最中に、チェックしてもらう。切り出しを終えたら夕方4時半である。大学院に戻るまであと30分。のんびり本でも読んでよう。そう思ったら、ボスに呼ばれた。

「ちょっといいかな」

午前中にぼくが見た標本を出してきた。リンパ節と呼ばれる部分のプレパラートを、集合顕微鏡(複数人で同時にみられる顕微鏡)で、一緒に見ようと誘われた。

「ここに、癌細胞がある。見逃しているよ」

ぼくは、午前中の診断時に、「癌のリンパ節転移」を見逃していたらしい。なんてこった。いけねぇ。ちゃんと見たはずなのにな……。どこを見ていなかったんだろう。

ボスと同じ視野を見る。

見つからない。癌が、見つからない。

瞬間的にぼうぜんとした。

「ここだね」

ボスが顕微鏡の拡大を上げていく。対物4倍レンズから、10倍。20倍。そして、40倍。

そこには、小さな低分化腺癌の細胞が、1個だけあった。

1個である。大きさにして、10マイクロメートル程度。対物レンズ40倍、接眼レンズ10倍、かけあわせて400倍の拡大にして、かろうじてわかる程度。それも、周囲のリンパ球やマクロファージにうずもれており、すぐには癌かどうかがわからない。

えっ……これ……だけ……。

「この癌は、まれにこういう転移の仕方をするね。でも、ま、これを見逃すようだと、病理医がいる意味はないわなあ。グフフ」



見ていなかったんじゃない。プレパラートのこの場所は、確かにサーチしたはずだ。

見えなかった。

目に入っていたけど、「小さすぎて」、見えていなかったんだ。

これを、ぼくは、今まで、20分でこなしていた、つもりになっていた。



あれから、13年経つ。

今のぼくは、切り出しを2時間程度で終わらせられるようになった。ちなみに、胃癌や大腸癌の診断には、1件平均20分かかる。

癌細胞1個を見逃したあの日から、標本をみるスピードは激烈に遅くなった。何か見逃しがあるかもしれない、思いもよらない所見が隠れているかもしれない。それまで15分、20分で見ていた標本は、1時間半かけても見終わらなくなった。13年かけて、ようやく、1件平均20分まで戻ってきた。今でも、何かおかしいと思った症例については、もう本当に何日もかけるようにしている。




ボスは一度定年退職をしたが、嘱託職員となって、今もほぼ毎日通勤して、ぼくらの標本をチェックしてくれている。昼飯も相変わらず毎日一緒だ。A定食とB定食、どちらも好みの場合にはたいていB定食を選ぶ。麺類があるとほぼ必ず麺類を選ぶ。鶏肉が嫌いなので、A定食に鳥が使われていればB定食を選ぶ。ラーメンのチャーシューはぼくのどんぶりに移す。

ボスに聞いてみたことがある。

「当時、なぜぼくを、あんなにのんびりとバイトさせてたんですか」

「さあねえ、なんでだろうねえ、グフフ」



彼はとにかく答えを急がない。飯を食うのは相変わらず早い。そして、最近彼が昼飯に行こうと声をかけるのは、「11時36分」になった。

そろそろ時計を直した方がいいのではないかと思う。

2016年10月3日月曜日

猫町には乳酸菌をとる女がいるらしい

コンビニで乳酸菌飲料を買う日が続いていた。浴びるように酒を飲んだ後、下っ腹が緩くなった朝がきっかけだったように思う。乳酸菌は腸に優しいという。飲む。飲料としておいしいね。夕方にはお腹のぐるぐるも治まっていた。リスクと戦う乳酸菌とやらを飲んだからかもしれない。

そんなわけないということはわかっているし、そういうものかもしれないということも知っている。


中学校だったか、高校だったか、「緩衝液」のことを習った。

緩衝とは衝突を緩めると書く。外部からの刺激をゆるめる効果がある液体、ということだ。弱酸と弱アルカリを混合した液体は、外部から多少の酸とかアルカリを加えても、pHがあまり変化しなくなる。学校では、そこんところを詳しく習う。弱酸と弱アルカリが加わった液体が平衡状態になり……。

まあ、そんなことはいい。高校生が学んで大学受験の道具にすればいいことだ。



どんぶりに一杯のしじみ汁が食いてぇ。特に飲んだ次の日の朝はとっても食いてぇ。ZAZEN BOYSがそう歌うから、飲んだ次の日の朝は乳酸菌飲料をやめてしじみ汁にした。飲料としておいしいね。夕方にはお腹のぐるぐるも治まっていた。リスクと戦うしじみ汁である。

人体という緩衝系に何をぶちこんでも、そうそう何かが変わるわけはない。ものすごい数の人を対象とした二重盲検法で差が出ると判明した特殊かつ金のかかる科学の結晶を、熟達したプロ野球投手のような技術を持つ専門家が丁寧にインローに投げ込むことで、ようやく人体に何かが起こり、病が揺らぐ、ことがある。

そんなものだろうとわかっている。そういうものなんだろうと知っている。


もし、そうでないとしたら。
単純な何かで生命のどこかがぐらぐらと揺らぐのだとしたら。
そこは、「心」と呼ばれる番外地ではないかと思う。

人体はほとんど緩衝系、社会も実は緩衝系、この世はすべて複雑系、そして心もまた弱酸と弱アルカリで満たされているように思っていたが、どうも心だけは容易に突き動かされる。

生涯を通じて、心に丹念に弱酸と弱アルカリを流し込み続けた人がいるとしたら、その人はきっと、乳酸菌飲料に何の健康効果も求めないし、しじみ汁は晩ご飯においしくいただいてそれ以上とも以下とも言わないだろう。



ところで今になって気づいたのだが、向井秀徳は先のフレーズに続き、「しじみ汁を肴に吟醸酒が飲みてぇ」と歌っていた。迎えちゃってんじゃねぇか。