2016年10月20日木曜日

やがみっつ

製薬会社の営業さん(MRさん)は、病理のところにはやってこない……などと言われていた。でも、市中病院で働いていると、けっこうMRさんがデスクにやってくる。

製薬会社の人は、かつて、病理医には冷たかった、と言われる(本当かどうかは、かつての人間ではないので、知らない)。

病理医は、彼らの商品であるおくすりを処方しないのだから、そもそも客じゃないのだ。実際、白衣を着ていないぼくが病院の廊下を歩いていて、彼らとすれ違っても、スーツの他人同士がすれ違ったようにしか見えないし、お互いそのように思っている。

けど、最近のMRさんは、けっこう病理医のところにも来てくれる。研究会の案内をただデスクの上に載っけて帰っていくのではなく、顔をみて挨拶してくれる。それがうれしい。

でも、たぶん、ぼくは、いつのまにか……医師15年目になり、少し摩耗していたのかもしれない。



少し前、ぼくのデスクに、ある製薬会社のMRさんが2人やってきた。1人はこの地域を担当する人、もう1人は初めて見る顔であった。先日の研究会で使った資料を返却しに来てくれたのだ。ぼくはお礼を言ったが、初めて見る顔の方が名刺を取り出そうとしていた。

ああ、そうか、ご挨拶。はい。致しましょう。えーと病理のイチハラと申しま……。

そっけなく名刺を見たぼくの体は、そのままの角度で固まってしまった。名前に見覚えがある。車で、トンネルの中を通り過ぎる時に、窓を開けていると聞こえるような音が、一瞬鳴った。

彼は、ぼくの小学校時代の同級生だった。さほどめずらしい名前ではなかったが、なんというか、リズムがある名前というか、「や」が名字と名前の中にあわせて3つも入っていて、ついフルネームで呼びたくなる名前、というか……。とにかく、よく覚えていた。

26年ぶりに見る彼の顔は、だいぶ節くれ立った、精悍なものに見えた。彼にはぼくはどう見えたのだろうか。

「こないだ、研究会でお会いして、いやー、覚えてるかどうか不安だったんですが、名刺をお渡ししたときの表情を見て、あ、覚えてくれるなーって、うれしかったですよ!」

心の中に、桜でんぶみたいなピンクのふわふわしたものが一気に広がった。なんか、陳腐なんだけど、うれしくてしょうがなかった。

覚えていてくれた人と、こうやって会えるなんて!


仕事中であるぼくらはそんなに長いこと話はしなかったのだが、今度どこかでメシを食おう、そのときはそうだ、あの同級生も誘おうと、ひとしきり盛り上がった。

ちらりと彼の後ろを見ると、最近ぼくを担当するようになった、「無味乾燥な人」だと思っていたMRさんが、破顔していた。「よかったですねえ」という顔をしていた。


ああ、ぼくは、知らず知らずのうちに、MRさんが1人の人間であることを、MRさんたちの商売とは別に彼らが人生を持っていることを、その人たちと出会うこともまた一期一会であることを、忘れて……というか、摩耗してしまって、名刺交換もすっかりおざなりに、礼儀正しさもあくまで慇懃無礼に、こなしてしまっていたのだなあ。

外資系の製薬会社はなーんかずるい感じがしますよね。

MRが持ってくる参考資料なんて絶対に勉強のアテにしちゃだめだよ。

研究会にはいくけどボールペンは持って帰らないよ。

タクシーチケット? もらうわけないじゃない。

ランチョン? うけないよ。薬屋さんの太鼓持ちで講演なんてするもんか。

これらは、ぼくが、「正しい医師」であろうとするために、あるいは「現代に生き、清廉を求められる医師」として過ごすために必要な、「言い聞かせ」であった。偉いドクターはみなこう言った。そして、いつしか、ぼくの中でも、少しずつ、MRさんは「ていねいに接するけど、決して踏み込ませない他人」となっていった。


今回、小学校時代の同級生がMRさんとしてやってきたことも大きかった。けど、それ以上に、「ぼくの担当」だったMRさんが、小さな同窓会が目の前で展開されているのを見て、とてもよさそうな笑顔をしていたことに、ぼくは撃たれた。


彼らも、ぼくらも、みな人だったのに。

中年は一瞬で忘れていくのだ。きっと、ほかにも、忘れているのだ。