2016年12月2日金曜日

病理の話(24)

病理医は、訴訟に備えて保険に入る。病理専門医として診断業務に携わっている場合、最高1億円の保障を有する保険に、ほぼ必ず入る。人によっては複数の保険に入っている。

今日はいきなり金の話だ。

夢も希望もなくて誠に申し訳ない。



なお、実際に病理医が訴えられて、億単位の賠償金を請求されたケースというのは、ぼくはまだ知らない。ぼくの知人にはいない。いたら大変なことだけど。

「……いやいや、医者なんて、どの科にいてもたいてい訴訟の対象になるでしょう。あの医療ミスとかあの医療事故だってさ、病院が訴えられてたじゃないの。いくら病理のブログだからって、病理医だけ特別扱いしなくていいんじゃないの?」

と、違和感を覚える人もいるかもしれない。

けれど、あえて「病理医が抱える、訴訟のリスク」を強調するのには、わけがある。



病理医の仕事は、ほぼすべて、公的文書として残る。「病理診断書」「病理組織報告書」などと呼ばれる「レポート」こそが、病理医が仕事をした証だ。

我々は患者さんと直接話をしない。その代わりと言ってはなんだが、臨床医をはじめとする多くの医療者と会話をし、コミュニケーションをとる。ディスカッションを行い、情報をすり合わせた末に、一つの診断を書いて、臨床医に託す。

患者さんに届くのは、この、診断書の「文面」だけだ。

医療者と話し合ったニュアンス、ひそかに懸念していた可能性、自信の深さなどは、患者さんには伝わらない。



たとえば、救急現場で一刻一秒を争うときに、医療者が瞬間的にとまどい、処置が2秒遅れたとする。その2秒が、結果的に、患者さんの命を奪うことが、あるだろうか。

あるかないかと言えば、おそらく、「わからない」と思う。

その2秒が、真に患者さんの命に肉薄するものだったかどうかなんて、誰にも評価できない。だいいち、高度な専門技術を要する局面を「適切だった、適切ではなかった」と評価するなんて、素人には絶対に無理だし、なんなら、医療者でも難しい。

すなわち、医療系の訴訟というのは、基本的に、もめる。

けれど、病理診断をめぐる訴訟というのは、比較的もめにくい。文書で「癌です。」と書いていたものが実は「癌じゃなかった。」となれば、誰もが「ああ、間違いだな」とわかるからだ。

病理医がとまどい、逡巡した瞬間があったとしても。病理報告書に書いておかなければ。「迷いました」と書かなければ。そのゆらめきは、患者さんには伝わらない。



病理医は常に「10割」を出さなければいけない、ということだ。実際には、診断が難しい症例など腐るほどあるし、3割、4割に悩んで、6割くらいの診断しか出せない、出したくないことだってある。

しかし、患者さんに届くのはいつだってレポート1枚だ。



この、レポートをめぐる「考え方」というのは、病理医によって少しずつ異なる。

大別すると、「断定的な、簡潔な書き方を好む病理医」と、「様々な可能性に言及する、あいまいな書き方を好む病理医」に分かれる。

レポートの書き方については、ぼく自身にもあるポリシーがある。自分が抱える訴訟のリスクが頭にちらつく一方、結局、誰のためのレポートであるかを考えた結果、ぼくはこのように書こう、と、今のところ決めているやり方がある。

長くなるので、次回に続こう。