2017年4月26日水曜日

病理の話(73) こまったちゃん依頼

かつては、「腹立たしい依頼書」というのを、目にすることもあった。

今のように、ひとつの病院に勤め続けていると、臨床医と病理医双方が、お互いの顔を思い浮かべるようになるので、まあ、めったなことでは相手を怒らせるような言動は取らなくなる。

「病理組織診依頼書」にも、あまり失礼なこととか、突飛なことなどは書かれない。



ただ、お互いの腹の底が見えるためか、ちょっと間の抜けたことを書いてくるドクターはいる。

「○○病を疑う病変を、とつぜん見つけました。びっくりしました。御高診お願いします」

……その感想、いるか?

「○○を考えます。本人は最初いやがっていましたが、必死の説得の末に、生検採取」

……その経過、いるか?

「○○病の臨床診断。見た目は(ある野菜・伏す)。」

……その描写、いるか?



とても好意的に解釈すれば、すべて、病理診断の役に立つ文章ではある。1つ目の「びっくりしました」は、いつもと違うシチュエーション、いつもと違うボリューム感、いつもと違う患者背景などがあるのだろうなと、病理医に注意喚起をする役目を果たすだろうし、2つ目の「本人はいやがっていましたが」は、この検体ひとつでどうしても診断を決めないと、おそらく再度の検査は不可能なんだろうな、という危機感を示唆してくれるし、3つ目の「病気を食べ物などの形状に例える」は、イラストを描かずとも病理医に臨床像をあざやかに想像させるコミュニケーション手段である、などと、説明することができる。


……にしたってもうちょっとやりかたあるだろォ。




そういえば、ふと思い出した。かつて、信じられないほど汚い字で、とにかく依頼書に殴り書きで、読めない依頼を書いてくる某科の医師がいた。あまりに汚くてまったく読めないので、申し訳ないがきつめに注意した。

その後、電子カルテ化に伴って、依頼書をいちいち手書きしなくてもよいシステムが導入された(なお手書きでイラストなどを付けることもできる)とき、ぼくは、

「ああ、これであのクソ医師も、少しはわかりやすい依頼書を出してくれるだろう」

と、内心ほっとした。

後日、その医師からある依頼書が届き、ぼくはひっくり返ってしまった。

漢字変換がめちゃくちゃだったのだ。というか、ひらがなばかりである。

「他人が読むという前提で書くべき依頼書を、乱暴な字で書き殴るタイプの人が、電脳化くらいで自分のやりかたを変えるわけがない」

ということに、ぼくも気づくべきだった。

「○○びょううたがう。せいけん。おねがいしま」

せめて最後まで入力しろバカ野郎!





だんだん、こういう「失礼なやつら」の割合は減っているように思うが、その理由のひとつは、おそらくぼくにある。

ぼくが、病院の中で、言ってみれば「異分子」である間は、臨床医の方も、胸襟を開いてくれない。病院という世界、病理学会という世界、医療という世界で、ちょっとだけキャリアが増えてきたから、その分、周りの医師たちも、ぼくを人間として扱ってくれるようになったのだろう。


こっちもあんまり変なこと、言わないようにしないとなあ。医局で、先生のツイッターおもしろくないですね、とか話し掛けるのは、とりあえず、やめようかと思い始めた。