2017年5月19日金曜日

病理の話(80)

ぼくら、「お気軽にご連絡ください」という立場である。レポートによく書く。わかんないことがあったらどんどん連絡してね!

……でも、臨床の医療者は、決して気軽には病理に連絡できないようだ。

というか、ぼくらは互いに、「科をまたいだ連絡」に対して、とても抵抗がある。

自分と違うタイムスケジュールで働いている専門家の時間を、電話やメールで削ってしまうことに対して、かなり躊躇してしまう。相手がどれだけいいよいいよと言ってくれても、である。

だって仲良くなればなるほど、相手の忙しさ、大変さが見えてくるし、余計な仕事増やしたくない(たとえそれが患者さんのためだったとしても、本来相手の仕事ではないものを相談するというのは、こと同僚にとっては「余計」なのではないか、と、邪推してしまうのが人の常である)。

「気軽に連絡をとりあえる」という関係は、なかなか達成できない。



臨床科同士の横の連携が密になっていると、診断の精度は上がるだろうなという予感がある。しかし、その予感と同じくらい、「ま、結局最終的に診断を下すのは自分だから……」と、連携をめんどくさがる感覚も、ある。

とりあえずガイドラインに表記されている事項を遵守していれば、細かいクリニカル・クエスチョン(臨床現場で医療者がもつ細かい疑問)をすべて解決しなくても、医療は回っていくし……。



あるいは、病理の勉強をしている臨床医などは、自分でもある程度「病理学的な事項」について判断ができるようになっているので、かえって「まあこの細かい疑問は病理医に聞くまでもないか」と自己解決してしまって、病理との連携をめったに取らなくなる……なんてケースもある。



とかく医療者は、とくに医師は、「自分ですべて解決できる」ということに、武勇伝的な何かを感じがちだ。

一方では、「お互い忙しいんだから、細かい疑問くらいなら自分で解決できるようにならんとな」という心遣いから出た行動であったりする。責める筋合いのものでもない。

けどぼくは、医療者のそういう「まあ相手も忙しいだろうし、聞きに行くまでもないか」は、さまざまな機会逸失につながる、「悪行」であると考えている。

善意から出た行動であっても、悪い何かをひっぱってくる可能性があるのなら、それは悪習としてきちんと是正していった方がいいと考えている。



細かいクリニカル・クエスチョンを、病理をはじめとする他科と連携せずに解決すると、いつしか病理医は「臨床で細かい検討が行われていること」に気づかなくなる。

医療は日進月歩なのに、いつまでも過去に必要とされたデータだけを出し続けるマシーンとなって、いつのまにか臨床の中で取り残されてしまう。

「こんな細かいことを病理にたずねるの、悪いかなあ」ではない。

「こういう細かいことがあると、病理をライブ・アップデートしてやろう」くらいの気持ちでいていただかないと、ぼくらはついていけなくなるのだ。

逆に、ぼくらが臨床に新たな気づきを与える情報を、別ルート(たとえば病理学会など)から持っているかもしれない。臨床のアップデートを病理から発信する機会は結構多いのだ。



お互いのために、連携は絶対必要なのである。



さて、お互いに連携を取る方がよいと言いながら、心理的障壁によって電話するのを躊躇する臨床の医療者たちを、どのようにアクティベートしていくか。

正解はないのだが、ぼく自身は、いくつか「こうしたらよいのではないか」という武器を実装している。



まず、病院の集まりに参加する。それは会議でもカンファレンスでもキャンサーボードでも飲み会でもなんでもいい。顔を見てもらう。血の通った人間がおたくの病理を担当しているんですよと、ちゃんと周知する。

次に、病理レポートを書いているときに、ちょっとでも何か臨床情報にひっかかることがあったら、ばんばん電話する。相手の時間を奪うことになる。迷惑かもしれない。だから、外来の担当時間などを逐一チェックし、各科の処置(手術など)のスケジュールをチェックして、「少なくとも今は大丈夫だろう」という時間に電話をかける。

病理レポートにも血の繋がった文章を書く。データベースを作りたいであろう臨床医が邪魔にならない程度に、「付記」欄を設けるようにして、その付記に「疑問なら答えるから連絡してこい」という雰囲気をばりばりにおわせる。

問い合わせがあったら秒で答える。とにかく自分の仕事を後回しにしてでも(どうせフレックスだ)、臨床からかかってきた電話にはその場で全て対応する。

プレゼン作成の依頼があったらなるべく詳細に解説を作る。パワーポイントのコメント欄に、時間がなくても読める、しかし必要条件をちょっとだけ越えるくらいの細かい説明を添えておく。




コミュニケーション重視の病理を心がける。それが、「次善の策」であろうと考えている。




……次善の策、と書いた。これらはすべて姑息的手段である。

本当は、いちばんいいのは、「あいつに聞けばものすごくいろいろ解決する」という実績をきちんと積み上げることである。

知人に、普段むだぐちをほとんど叩かない、病理検査室の奥に籠もって丹念な仕事を紡ぐ、ほとんど影のような存在の、それでいて病院内外から圧倒的な信頼感を得ている、しょっちゅう問い合わせの電話がかかってくるタイプの病理医がいる。

誰が呼んだか、彼のあだ名は「ジーニアス」。撮る写真が美しい。なんでも知っている。参考文献がスッと出てくる。

ああいう病理医を知ってしまうと、コミュニケーションのためにFacebookにいいねを付けまくるぼくなんぞ、合戦前にさんざんしゃべってフラグを立てたあげくに関羽に一合で斬られる魏のモブ武将みたいなもんだよなあと、自戒してしまうのだ。