2017年6月12日月曜日

病理の話(88)

病理学会の「社会への情報発信委員会」というのに参加することになり、こないだから「CCメール」がいっぱい回ってくるようになった。

今は、一般向けの「病理の告知動画」というのを作っていて、いかにも大変そうである。途中から参加したのであまりエッジの利いた関与ができていない。早くひっかきまわしたい。

「教授」であり「えらい」はずの人が作った、動画の絵コンテを、「もっと偉い」ひとたちが、「理事会」を開いて注文をつけている。申し訳ないが笑ってしまった。

社会への情報発信委員会の中だけでは完結できないんだなあ。いちいち拡大常任理事会にかけなければ広報できないのか……。

気持ちはわかる。しかし、この時代にそのスピードでは、刻々とうつりゆく社会の「ウケるポイント」を掴みきれず、動画の方向性もなかなか定まるまい。

あきれて眺めていたのだが、そのうち、少しずつ、ぐぐぐっ……と感じることがあった。何かがわいてきた。



そうだよな……、病理とひとことに言っても、当事者によっていろいろな「病理の仕事」があるよな。えらい人や年を取った人には、今までの輝かしい人生の中で、これと信じてやってきた道があるだろうし、病理をはじめたばかりの研修医がもっている病理のイメージも、ふわふわかもしれないが、きちんと像を結びはじめてはいるだろう。

老若男女それぞれが、みんなにもの申したい「俺はこんな仕事をしてるんだぜ」という像がある。

普段、誰に見せびらかすでも無く、ほこりをもってやっている仕事に、自分の心のなにがしかを投影して、まるで毎朝鏡を見てから出勤するときのように、「よし、今日もしっかりやっているな」と、自分に言い聞かせる、何か。



そこへ飛んで出た「動画作成事業」に、理事会のお偉方も、教授陣も、若い広報担当たちも、きっと今まで静かに秘めていた「病理とは、かくあれかし」みたいな像をぶつけているのだ。

動画の方向性が定まるわけがないのだ。

元気玉みたいに、みんなのエネルギーが集まるのをじっくりと待って、大きく育てて、ぶっぱなさないといけないものなのだ、学会とか学問を「広報する動画」なんてものは。

そう考えるに至って、ぼくは、委員会が迷走しているのではなく、むしろ我慢強く、みんなが納得できるような姿を求めて大人の耐えしのびをやっているのだなあと、気づいた。




人臭くておもしれぇよな。ぼくもこれから、とても広告代理店の皆様方にはお見せできないほどの、どろくさい広報とやらに本腰を入れて取り組むことにしようと思います。


一度、ツイッターでやろうと思っていたくらいだから、ぼくにだって、一家言はあるわけですよ。