2017年6月9日金曜日

おさむの予測変換で治虫が出てくることのすごさを噛みしめる

ここ数回の記事を書いている最中に思ったのだが、病理の話と言いながら必ずしも病理の話になっていないし、病理の話とタイトルに付けていない回でも病理に触れていたりしている。

そうだな、病理医なんだから、書く内容は毎回どこか病理医からの視点ではあるわけだし、病理の話とそれ以外、と、話をきれいに分けられるものではないよなあ。

そんなことを考えていた。


……けれど世の中にはすごい人がいて、自分の得意な領域とか専門としている分野をいくつも持っていて、その分野ごとに違うテーマで、違う読者層を相手に、ものを書いている人などというのもいる。

その代表は「手塚治虫」だと思う。

少女マンガも書けるし。子供向けも書けるし。エロも行けるし。


手塚治虫の絵というのは、どれもこれもぜんぶいっしょだ。「あっ、手塚治虫だ」とわかる。

しかし、ターゲットが違うと、ストーリーが変わり、コマ数が変わり、(マニアックだが)登場人物の表情の変化率が変わり、背景の書き方やセリフの量などもすべて変わっている。



一見しただけで「あっ、手塚治虫が描いてるな」とわかるほど特徴があるのに、読み進めていくうちに、「絵柄が同じであるにもかかわらず、描き方が違うとしか言えない」処理がされているのが、ほんとにすごいと思う。



ぼくは、病理の話を書くときも、それ以外のことを書くときも、たぶん句読点の打ち方とか、こまかな言い回しとか、脳内にある風景を展開するときの視点の高さとかはほとんど変わっていないのだろうと思うが、そこを変えずになお、ターゲットに応じて、受け取り手がよりわかりやすいような文章を書けるのだろうか……。

そ、そんなこと、無理なんじゃねぇのかなあ……。




ということでこんどから、ぼくは、こどもむけにかくことに、しますね! やんでるおじさん と よんでね!