2017年7月6日木曜日

病理の話(97) 読み手に応じて書き換えよう

あちこちに話を飛ばしながら「病理の話」をし続けてきた、(101)くらいになったら、昔書いたネタでもどんどん書き直して行こう。

「その話題は12回目に書いてありましたよ」とか、「24回目と62回目と同じ話でしたね」とか言われても、再利用はやめない。

ひとつのブログをいちいち遡る時代ではない。昔書いたからと言って、今日の読者がそれを読んでいる保証はない……。







「病理診断報告書」を書くときも、ちょっとだけ似たことを考えている。

レポートを読む対象として、「常連」だけではなく、「今回はじめて病理の話を読む人」を想定しておこう、ということだ。

ぼくの書いたレポートを読むのが「消化器内科の20年目のドクター」であれば、ぼくの病理レポートを何度も何度も読んでいる。ぼくのレポートに慣れている。この珍しい病気も、あの珍しい概念についても、説明したことがある。必要事項だけ書いておけば通じる。わかってくれる。

けれど、後期研修医(5年目)のドクターが読むかもしれないとなると、多少細かく診断の説明を書いた方がよい。参考文献も付けておいたほうがいいし、うちの病院ではこれが4例目となる珍しい症例だとコメントするところまでやる。今後の対応についても多少コメントして、わからなければ電話してくれと付記しておく……。

今回は、わかりやすくするために、今たまたま手元にあった教科書の写真を適当に選び、それについて架空のレポートを書いてみる(教科書をパラパラめくって決めました)。

レポートの書き方として、2種類。

ひとつめは、ベテランのドクターに向けて書くバージョンを。

ふたつめは、ベテランだけでなく、消化器内科にやってきたばかりのドクターにも読んでもらう場合のバージョンを書く。



1.常連・ベテランだけにあてた、レポートの例:

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胃癌: Gastric carcinoma with lymphoid stroma (GCLS), ○×○ mm, pType 0-IIa+IIc, pT1b2(SM2, 1800μm), med, INFa, ly0, v0, pPM0, pDM0, pN0, Stage IA.

EBER-ISH(+).

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病理診断報告書というのは、実はこれでほとんど用を為している。

読者諸氏は、上記の文章を単なる記号にしか思えないだろう。

でも、記号でよいのだ。というか、記号化するのが病理医の仕事のひとつなのである。

記号さえあれば、ベテランの消化器専門医は、必要な情報を抽出して、今後の診療に役立てることができる。




一方、後期研修医1年目くらいだと、上のレポートを見てもその意味を十全には理解できない。

あるいは、この患者を診ている他科の医師がいるかもしれない。この患者が例えばほかに心臓や腎臓などに病気を持っていて、別の科にもかかっていたとしたら、そこの医師は(たとえ自分の診療領域と関係ない胃であっても)病理レポートを読む必要がある。しかし、消化器専門医でないと、上記の内容はおそらく理解しきれない。



であるから、ぼくは、レポートを以下のように記述することになる。


2.研修医や他科の医師が読むことをも想定した、レポートの例:

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胃癌: Gastric carcinoma with lymphoid stroma (GCLS), ○×○ mm, pType 0-IIa+IIc, pT1b2(SM2, 1800μm), med, INFa, ly0, v0, pPM0, pDM0, pN0, Stage IA.

腫瘍浸潤部周囲に濾胞形成を伴うリンパ球浸潤像が認められ、リンパ球浸潤癌(胃癌取扱い規約第14版)に相当する組織像です。
EBER-ISHにて腫瘍細胞の核に陽性像が得られ、本病変はEBウイルス関連胃癌であることが示唆されます。
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そこまで細かくは書かない。なにより、記号のひとつひとつについて解説はしていない。

けれど、こちらのレポートには、先ほどと大きく違う点として「取扱い規約の第14版を参照せよ」というメッセージが含まれている。

わからない人が、読み、調べるよりどころを書く。些細だがこれがとても大きい。とっかかりが必要なのだ。

医者は科が違うと、使う教科書も文献もまるで異なるが、これらを俯瞰的に眺めているのは病理医と放射線科医くらいのものだ。だから、我々は、道しるべを置くようにする。





ところで、ぼくは、もう一つの書き方を持っている。

より正確に言うと、自分では「第3の書き方」はしていないのだが、ぼくの元で病理を学ぶ研修医には必ずやってもらう書き方、というのがある。

それは、先ほどの1よりも2よりも、圧倒的に長く、細かい書き方だ。


3.読者がベテランか研修医かに関わらず、書く方が勉強している場合の、レポートの例:

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胃癌: Gastric carcinoma with lymphoid stroma (GCLS), ○×○ mm, pType 0-IIa+IIc, pT1b2(SM2, 1800μm), med, INFa, ly0, v0, pPM0, pDM0, pN0, Stage IA.

後述する理由により本病変をリンパ球浸潤癌(胃癌取扱い規約第14版)と診断します。リンパ節転移は認められません。断端は陰性。

【肉眼所見の詳細】
 胃体上部後壁に、○×○ mm大の発赤調病変を認めます。病変の立ち上がりは粘膜下腫瘍様のなだらかな立ち上がりを呈し、病変の中心部ではわずかに浅い陥凹を伴うType 0-IIa+IIc病変です。病変内に向かうひだの引き込み、粘膜集中像はみられません。背景胃において大弯のひだは消失傾向にあり、open typeの萎縮がみられます。
【組織所見の詳細】
 肉眼病変部のうち、陥凹部にほぼ一致して粘膜内癌病巣を、周囲のなだらかな隆起におおむね一致して粘膜下層に浸潤する癌病巣をみます。粘膜内では吻合状~レース状の形態を示す腺癌像であり、粘膜下層浸潤部では背景に濾胞形成を伴う高度のリンパ球浸潤を伴いながら腫瘍細胞が個細胞性~少数細胞性に浸潤しています。浸潤部に線維化(desmoplastic reaction)は目立たず、病変全体が粘膜を粘膜筋板の下から柔らかく押し上げています。浸潤先進部は粘膜下層の中層付近に留まり、固有筋層への浸潤はみられません。病変の厚みに比して硬さはそれほど上昇していません。
 EBER-ISHにて、腫瘍細胞の核に陽性像が得られ、本病変はEBウイルス関連胃癌であることが示唆されます。
 以上よりリンパ球浸潤癌 gastric carcinoma with lymphoid stroma (GCLS)と診断します。
 脈管侵襲像はありません。リンパ節転移は認められません。断端は陰性(口側断端は迅速組織診にて確認)。
 背景胃粘膜にはピロリ菌関連胃炎の像があり、病変周囲には腸上皮化生を散見する軽度~中等度の萎縮をみます。
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これは、「長すぎ」である。

まるで、問われてもいないモビルスーツの機能を延々と語り続けるだれかさんのようだ。

実際、このボリュームのレポートをぶつけられると、臨床医は驚いてしまう。

しかし、臨床医もわかっている。「ああ、病理で勉強している研修医が書いているな」ということを(署名もしてもらうのでわかる)。

研修医に病理の勉強をしてもらうため、肉眼や顕微鏡でみた「所見」を、きちんと文章化するトレーニングをしているのだな、ということをわかってくれる。

なお、臨床医たちの利便性を損ねないように、レポートの序盤には「必要事項」をまとめて書いておく。序盤さえ読めば、あとは読み飛ばしてもいいですよ、ただこちらはこちらで教育目的にも使わせて頂きます。そんなメッセージを込める。

「後述する理由により」

「所見の詳細は以下に」

のようなフレーズを付けることで、指導医ならピンと来てくれる。




病理診断報告書は、最終的にはすべて「患者のため」に書かれるものなのだが、実際にはこのように、多様な医療者を想定し、それらがみな役立てられるように考えて書く。

ときに、読者だけではなく、著者の方にもいいことがあるように書く。




……以上の内容は、このブログでは実は何度か触れてきた話ではあるのだが、まあ、著者にとって、いいことがあるので(新しいネタを探さなくてもいいので)、書いておこうと思う。