2017年7月12日水曜日

病理の話(99)

ひとりの患者、ひとつの病気をいろんな視点から見れば、さぞかし多彩な情報が集まるだろう。

たとえば、血液検査。

たとえば、画像検査。

たとえば、病理検査。

たとえば、患者自体が話す声を聞くこと。

たとえば、患者の体に出ているものを見たり聞いたり押したりすること。



これらのどこに特化するか、という考え方と、これらをいかに網羅するか、という考え方があって、前者はスペシャル、後者はジェネラルとか言われたりする。



では、通常の臨床医はどことどこに長けておくべきか?

「それはもちろん、患者の話すことばに耳を傾けること。これが一番だよ。」

ああ、名医くさい。

「問診と診察と検査値と画像とを見比べて矛盾がないかどうか探す知力こそがカギだよ。」

ああ、名医くさい。

「それはもちろん、病理だよ」

なぜかこれだけは、ヤブ医者くさい、と言われてしまう。

病理は、別なのだ。

病理だけは、どうも、「臨床(ベッドサイド)」のくくりには、入れてもらっていないのだ……。

診断を考える上で、病理だけはすごく浮いている。なぜだろう?

病理は、専門性が高すぎるから? そうは思わない。胃の拡大内視鏡診断にしても、肺の間質性肺炎CT診断にしても、心エコーにしても、どれもめちゃくちゃ専門性は高いではないか。病理と大きく違うとは思えない。

病理が一部の場面でしか用いられないから? これもたぶんうそだ。だって、腎臓内科は胃の拡大内視鏡を用いないし、皮膚科は心エコーの細かい設定を知らない。あらゆる医療技術は限定的な場面でしか用いられない。

病理医の数がそもそも少ないから? TAVI(血管内カテーテルを使って心臓の人工弁をいじる手術)をできる循環器内科医だってほとんどいない。エンドサイトスコピー(超拡大内視鏡)を使いこなせる消化器内科医も数えるほどしかいない。でも彼らは胸を張っているぞ。

なぜ病理だけが、「ぽくない」と思われているんだろう。







と、まあ、このように書いて、考えて、問いかけることを、このブログで、ときおりやってきた。

病理ってマイナーで、臨床扱いされてなくて、ニッチで……。

ところが最近、ぼくが会う人々は、実は、このように言うのである。

「病理って大事ですよねえ」

「病理勉強しはじめてから診断学が楽しくなりましたよ」

「後輩の放射線技師にも病理教えたいんですけど、いい教科書ないですか」

あれ、思ったより、ビョウリって悪く思われてないし、仲間はずれでもないな。

あいかわらず一般的な認知度は低いけど、「どうせ病理なんて仲間はずれだろ」みたいに卑屈になっていたぼくは、ちょっと先入観にとらわれていたみたいだ。

思ったより、臨床の人達は、病理のこと、ご存じだ。




ぼくは、輸液のことがよくわからない。縫合のこともよくわからない。窓口でクレームに頭を抱える総務課のつらさも、ドラッグ・インフォメーションをどんどん更新していく薬剤部の精緻さも、グリーフ・ケアも、レセプトも、病診連携も、NSTも、廃用症候群の予防も、認知症のことも、麻酔のことも、なにもしらないけれど、医療者であった。

親を亡くしたことがなく、祖父の死に目には会えず、自分ががんになったことはなく、身内の狭心症におびえたことがなく、親族をがんで亡くしたことはあり、自分が入院した経験はなく、任意保険をどうしたらいいのかわからず、告知されたこともなく、出産に立ち会ったことはあり、性病になったことがあり、骨折したことはなく、介護する立場になったことがないけれど、患者でもあった。



そんなかんじで、病理について、自分の知っていることを書いていけばよいのだろうなあと、思った。

病理って、ご存じな方もご存知ない方も、いらっしゃるんですよ。