2017年7月24日月曜日

原宿いやほん

もう6年くらい使っているイヤホンがある。高い。5000円くらいする。ツイッターをはじめたばかりのころ、「音が違うのだ」とおすすめされて購入した。

あのときはどうかしていたのだ。イヤホンだぞ。ヘタすると100均でも売っている。

職場ではずっと音楽を聴いているのだが、周囲の病理医や技師、臨床医などがいつ話し掛けてくるかわからないから、イヤホンは耳に「軽く腰掛けている程度」にしか挿していない。音量もかなり絞っている。電話や迅速診断のコールを聞き逃すわけにもいかない。

つまりは、5000円の意味なんて、なかったと思う。ほとんど無駄だった。



けれど、ぼくは、この6年間、毎朝、イヤホンを耳に挿す度に、「これはいいイヤホンだからなーあ」と、ものすごく小さく悦に入っていた。

いいものを買って働いているんだというよろこびを、毎日少しずつ、値段を思い出すことで、得ていた。

たぶん、この5000円を使わずに大切にとっておいて、ほかのいかなる5000円のものを買ったとしても、ここまで長時間に亘って、スイカに塩をかける程度の、カレーにスライスチーズを入れる程度の、ささやかな幸せを「毎日得続ける」ことはできなかったと思う。

このイヤホン、とてもいい買い物だったと思っている。



ぼくは元々、5000円をきっちりけちっていく男だ。

スーツの半額セールで、25000円の安売りスーツと20000円の安売りスーツが並んでいたら、絶対に25000円の方は買わない。

25000円のスーツは、元値50000円。

20000円のスーツは、元値40000円

このどちらを選ぶかについて、人々にはいくつかの考え方がある。

25000円のスーツのほうが、「安くなった値段がでかい、すなわちお得である」という考え方。

20000円のスーツのほうが、純粋に安いという考え方。

25000円と20000円の違いは無視して、純粋にスーツのデザインで勝負すべきという考え方。

ぼくは、「並んでいる中で一番安いものを買う」という基本姿勢である。

そのためか、今まで、数々の失敗をしてきた。買ったものが、基本ださい。

けれど、スーツがださくても、仕事がきちんとできていればかっこよく見えるからいいのだと、よくわからない言い訳でここまでやってきた。




そのぼくが、6年前に5000円のイヤホンを買ったことに、純粋に驚いているし、そして喜んでいる。

いいものを買ったなあ!




仕事が落ち着いた夜、そういえばこのイヤホンの「本気」ってどうなんだろうと、気になった。

人はいない。電話もかかってこない。

イヤホンを耳に深く挿す。

LOSTAGE「In Dreams」にしよう。スリーピースなのに音が厚い。リフが泣ける。置いたベースが響く。ドラムが沁みる。

20分。30分。名曲を聴き続ける。

……いい曲たちだ。




帰るころには、イヤホンを試していたのだということを完全に忘れていた。「イヤホンによる良さ、違い」は全くわからなかった。ただ名曲を聴いたというだけである。

5000円返してくれ。俺は100円のでよかった。