2017年8月17日木曜日

病理の話(111) 白衣のいらないぼくら

病理医とはどういう仕事ですかと聞かれた時、一番インパクトがあって説明も簡単なのが「顕微鏡をみる仕事です」である。

顕微鏡をみる仕事は、えーとなんというか、固定観念的な映像が存在すると思う。

よくあるだろう、

”白衣を着て顕微鏡を覗き込むポニーテールの女性を横からアップで抜くカメラワーク”。



でも、ま、よく考えると、白衣の役割というのは、
・服に汚染がつかないように着る
・患者に医療者であると伝えるために着る
などである。そもそも、顕微鏡をみるときに白衣を着ている必要はあまりないのだ。

特に病理なら、顕微鏡をみる上で白衣を着ている必要は、ほとんどない。


万が一、顕微鏡でみる「試料」、あるいは「検体」が、なんらかの感染症を引き起こす可能性があるならば、我々はきちんとマスクをして、ゴーグルもつけて、白衣だけではなくディスポーザブル・ガウン(使い捨てのカッパみたいなやつ)を着て、手袋もして臨むべきだ。

けど、病理でみるプレパラートというのは、ホルマリンという強烈な変性効果をもつ液体で処理されているし、スライドガラスとカバーガラスで試料を挟んでいるし、9割9分のケースでは感染の危険はなく、素手で扱ってなんの問題もない。

白衣はいらんのだ。そもそも。


だから我々はいろいろなかっこうで仕事をしている。

白衣を着ている人もいる。ただそれは、通常の医療者とは異なる理由で着ている。



「医療者である」とわかりやすい見た目でいたい、とか。

白衣を着ると医療をやってる感が出て気持ちがひきしまる、とか。

顕微鏡はともかく、臓器切り出しのときには白衣を着てないと汚れが気になるから、とか。

ほかの医療スタッフがみんな着ているから、とか。



ぼくが1日の中で白衣を着るのは、ボスと二人で食堂に行って昼飯を食うときだ。

ふつう、食堂には「白衣を着てくるな」と言われる。それはそうだ。食べ物を扱う場所に、臨床の汚染を持ち込んでいいわけがない。

けれどぼくらは逆である。

「食事のときしか白衣を着ていない」のだから。

行ってみればぼくにとっての白衣は「スタイ(よだれかけ)」である。

ナポリタンはよく跳ねるんでちゅよ。




仕事場での衣類というのは実用目的もそうだが、仕事相手になめられないためとか、一人前の人間として見てもらうためとか、信用してもらうために必要だと思う。

ぼくは就職したころ29歳だった。病理医としてもそうだが、そもそも医者としても若すぎて、みんなまともにぼくの話を聞いてくれないだろうと思った。ほかに代わりのいる医者ならゆっくりと研鑽を重ねることだけ考えていればいい年齢だった。でも、29歳だろうが5年目だろうが、カンファレンスはあるし、病理の話は聞いてもらわないといけない。ぼくらが成長するためには、臨床医がぼくらをまともに見てくれることが絶対必要なのだ。画像を勉強しようと思ったら臨床検査技師や放射線技師に声をかけてもらわないと話にならない。ぼくは見た目をどうしたらいいかと考えた。ケーシー(白い上下)やスクラブ(コードブルーでみんなが着てるやつ)だと、いかにも研修医然としていてかんろくがない。だからぼくは毎日スーツで出勤して、ノーネクタイでジャケットを脱いで、カンファレンスルームの一番前でぐいぐい画像を読めばみんなのインパクトに残るだろう、そう思って、背伸びをしながら毎日スーツを着ていた。

そういうことを思い出しながら、テレビやYouTubeの映像で、病理医が白衣を着て顕微鏡をのぞいているシーンを見ている。



わかるわかる、だれかに訴えかけるならまずは服からだよな、と思いながら、やさしく眺めている。ポニテにするのはAVのアレと同じ効果を狙っているんだよな、とか、口に出さずに眺めている。