2017年9月21日木曜日

病理の話(123) 大河ドラマのあとは歴史本が売れる

ありとあらゆる医者は、タテマエ上、学生時代にほぼ全ての臨床科のことを「習っている」。

これは、義務教育の際にすべての小中学生が、日本の歴史について「習っている」というのと同じ構造だ。

習っている。

それだけである。




医学生は卒業後、まず第一に、手先を動かす訓練をする。

現場でここぞというときに、体が硬直しないように。

電子カルテの書き方。入院患者に対する基本的な対処法。外来での事務処理。

急変した患者の対応。救急外来での最適化された行動順序。

医師に求められている数々の手技。挿管、血液ガス採取、大血管へのカテーテル挿入。

「脳よりも先に体が動いてくれないと話にならないよ」という、現場からの期待が大変はげしい。

脳は置き去りにしてでも、身につけなければいけない。



脳に待っていてもらっている2年間で、「日本史」のことは、ほとんどすべて忘れていく。

どれだけしっかり勉強していても、ほとんどすべて忘れる。

ただし、「ほとんどすべて」だ。すべてではない。

自分が将来にわたって使い続ける知識については忘れない。



研修医は、自分が日本史の中で、「どの時代」を勉強したいかを見据えている。

 縄文時代の第一人者になるか。

 室町時代なら誰にも負けない人になるか。

 江戸時代の中期を学ぶか、末期を学ぶか、あるいは江戸時代成立前後を学ぶか。

 日清戦争のなりたち。

 田中角栄のやったこと。

これらは同じ日本史と言ってもまるで違うだろう。

田中角栄の業績に詳しいからと言って縄文土器を見極められるわけがない。

たとえば消化器内科と整形外科というのは、それくらい違う。




小中学生のころ習った「日本の歴史」だと、みんな、どこを一番覚えているだろう?

最初の方で学んだ、「前方後円墳」とか、「聖徳太子」とか、あのへんか。

多くのマンガやドラマで描かれている、「戦国時代」とか「織田・豊臣・徳川」とか、そのへんか。

ザビエルを思い浮かべる人もいるだろう。

平安京だけは忘れない人もいるに違いない。



循環器内科とか救急というのは、ザビエルとか平安京みたいなものだ。

昔習ったなあ、というのを強烈に覚えている科。

頭に残っている科。

「ぼくは日本史に詳しいよ」と人に言って回るときに、説明のしやすい科。




じゃあ病理は?

うーん、そうだな。少なくとも、特定の時代とか、特定の人物ではない。

「日本の文化史」とか。

「日本の外交史」とか。

何かひとつの視点で、すべての歴史を俯瞰しているようなイメージ。

「どこかの時代」を学ぶのではなく、すべての時代について、ある決まった視点でまとめ直すような感じ……。






医学生がときどきツイートしているのをみる。

「病理の試験めちゃくちゃきつい、将来病理医にだけはぜったいなんねー」

「顕微鏡実習マジで意味無い、病理は進路としては消えたな」

これは、学校で日本の歴史を学んだ小学生が、

「年号覚えられない、社会はきらい」

「歴史資料館の見学行ったけどちっともおもしろくない、歴史はつまらない」

と言っているのに似ているなあと思う。




そりゃあつまらんだろう。

病理が「そういうもの」だと思っている間は、つまらんだろうな。



昔、社会に苦労した子供達の中には、たまに、大人になって、もはや社会の勉強なんてしなくてもいいんだよというポジションについてから、ある日、大河ドラマみたいなちょっとしたきっかけで、

「あっ、今なら勉強できるかも、今なら社会がおもしろいかも」

という気になる人がいる。




病理というのはそういうアレだと思うんですよ。大河ドラマが好きなら病理が嫌いなわけないんだ。