2017年11月7日火曜日

病理の話(137) 一眼レフとルーペ

ミクロの世界は顕微鏡でないと見られない、というイメージがあるが、実際、人の目はものすごいので、ふだん顕微鏡を使って見ている情報のほとんどは、

「よくよく見ると、肉眼でも見える」。

よくよく見ようと思うと、ホルマリンにひたしたあとの臓器に、目をぐっと近づけなければならない。水洗いしてから見ればほとんどにおいはのこらないが、それでも刺激物であるから、ゴーグルをしてマスクをして……。

ま、ちょっとだけめんどうである。けれど、今はとてもよいものがある。

デジカメだ。それも、マクロレンズを装着したやつ。

目を皿のようにしてじっくり見るのもいいけど、デジカメできれいに写真を撮ってから、それを拡大すれば、とてもよく見える。



具体的にどれくらい見えるか。

そうだなあ。

毛穴は余裕で見える。

胃の粘膜や大腸の粘膜の表面にあるつぶつぶも、ま、普通に見える。

肝臓は、漫然とながめていると、「詰まった臓器」に見えるが、目をこらして(あるいはデジカメで撮影して拡大して)ぐっと見ると、詰まった実質の中に走行する、細かい胆管や門脈、動脈の枝が、きちんと見える。

肺は、本気を出すと、肺胞まで……はちょっと大げさかな、けれど、気道のごく細かい部分までは、見ることができる。




顕微鏡がなくても、「セミ・ミクロ」の構造までは、なんとか見ることができる。

昆虫学者が蝶の羽を虫眼鏡で眺めるように、病理学者も昔はルーペを手にしていたという。

ぼくのデスクにも、ルーペが置いてある。ボスからもらったやつだ。

今はデジカメが強力なので、あまり使わなくなってしまったけれど……。

たまーに、取り出して、使うこともある。




昔の臨床医は、ルーペを片手に検体に向き合う病理医を見て、なんだか、オタクっぽいと思っていたろうな、と思う。

わざわざホルマリンくさい臓器に目鼻を近づけなくても、さっさと顕微鏡を見ればいいのに、と。

なんかああいうチマチマしたものを見るのが好きなやつらなんだな、と。









今、臨床医の目は、すみずみにまで行き渡るようになった。

CTやMRI、超音波検査などの「解像度」は昔とは比べものにならない。内視鏡だって、拡大内視鏡だけではなく、超拡大内視鏡なんてものまで現れてきている。

技術の発展によって、マクロの世界で診断していた臨床医たちが、少しずつ、ミクロの方に手を伸ばしてきているのがわかる。

そんな、診断学の最前線にいる臨床医たちと話をしていて、先日、「ぼく、今でもときどきルーペ使いますよ。ボスにもらったんです」と言ったところ……。




「おお、いいねえ! やっぱ顕微鏡だけじゃなくて肉眼もきちんと見てくれる病理医のほうが、ぼくらと『オーバーラップする部分』が多いんだよなあ!」

と言ってくれた人がいた。

オーバーラップ。

マクロからミクロに手を伸ばす臨床医がいて、ミクロからマクロに手を伸ばす病理医がいると、お互いが手に触れている領域がだんだん広がることになる。

臨床医と病理医、それぞれの目に触れる部分というのは、きっと、どちらかしか見ない、わからない領域に比べれば、「めっちゃ見られている」。「しっかり解析できる」。「見逃しも少なくなる」。




うん、そうだな、顕微鏡はぼくらの武器だけど、ルーペもきちんと使っていくことも、大事だよな。

今、ふと、ルーペを見たら、ほこりをかぶっていた。いかんいかん。デジカメのことばかりほめてごめんな。