2017年11月30日木曜日

病理の話(145) エンドレス細胞トーク

ちょっとメタな話で外しワザの回となるが、書いておきたいことがある。

病理医をやっていると言うと、かつては、「そんな細胞ばっかりみる仕事、飽きないの?」と言われることがよくあった。

ぼくは、その声に反論するためにブログをはじめたふしがある。

つまりはこの、「病理の話」をはじめたきっかけについて、今日は語ろうと思う。




ブログの題材として、2回に1回「病理の話」を選ぼうと決めた。ブログ開設の段階で、ある程度明確な目標があった。

その目標とは。

「病理の話」を100個書けたらホンモノだ、100回書こう、ということだ。

病理の話を100本書けたら、ぼくはこのブログをやる価値がある、と思っていた。

より正確に言うならば、病理医という仕事を人に語るにあたって、「ブログ記事を100個書けない程度の思い入れ」であるならば、ぼくが誰か他の人に「この世界おもしろいよ」と説明する説得力の部分が心許ない、と思った。





パイロットになりたい。

花屋さんになりたい。

電通に勤めたい。

アイドルになりたい。

いろんな夢がある。それらには勝手なイメージがついている。

勝手なイメージだ。実際に夢を叶えてみれば、きっと、そうそういいことばかりではあるまい。

けれど、オトナになった自分が、子供のころからもっているポジティブなイメージの中で今暮らしているのだ、という満足感は、その人の心の大切なところを支えてくれるだろう。何ものにも代えがたいだろう。

勝手なイメージであってもよい。良いイメージであればよいのだ、職業イメージというものは。




……けれど、病理医についているイメージというのは、さほど良いイメージではない。「地味」だ。

「1日中顕微鏡見ている」。

これは果たして、多くの人にとっての夢になりうるだろうか?

一部のマニアックな人にとってはパラダイスかもしれない。けれど、大多数の人にとっては、1日中レンズと向き合っているというのは、職業を語るイメージとしては、かなりダメダメなのである。




こういうセリフが出てくるのも納得だ。「飽きないの?」





ぼくはそこに「飽きないよ」というために、実例が多く必要だろうと思った。良いイメージで塗り替えるというのも手だが、良いイメージを1、2個用意したくらいでは、当初の地味なイメージを払拭できるとは思えない。

だから、物量で勝負しようと思ったのだ。具体的には、こうだ。

「いいオトナが100回も200回もブログの記事を書けるくらいに、働いていて考えることが多い世界」





100回を超えたころ、思った。ああこれは、いつまででも書けるなあと。

病理ってのはやっぱり、医学の根幹なんだな。とても幅が広い。

題材が枯渇することがないんだ。

病理の話だったら、いくらでも書ける。病理の話「以外」の日の方が、題材に迷うくらいだ。





ほんとうは以上の内容を、「病理の話(101)」くらいでやろうと思っていたのだが、101回目にえらそうにこれを載せて、102回目に更新がとまったら失笑されるだろうな、それはこわいな、と思って下書きに入れたまましばらく忘れていた。今日、発掘した。


題材は尽きない。それは今でも変わらない。ただ、うまく書けるかどうか、潜り込んで書けるかどうか、というところで毎日うんうんうなってはいる。




偉そうなことをいっぱい書いたけれど単なる苦行体質なのかもしれない。