2017年12月29日金曜日

忘年のゆくえ

今年はとうとう忘年会に出られなかった。でも、今年あったことは無事忘れているから大丈夫。会に出なくても忘年はできる。

ま、お世話になった人たちと目をあわせて、おつかれさまおつかれさま、とやることはいいことだ。出られるときは、出る。

けれど、正直にいうと、最近人と会って飲むことがとてもめんどうになった。

さまざまな仕事の予定があって忘年会には出られなかった、それは本当なのだが、最後、出られるはずだった忘年会のひとつは、体調不良を言い訳に欠席した。

無理すれば出られた。

けれど、出なかった。

いい人ばかりいる職場である。ほんとうは飲んで話して楽しくすごせた。




「誰かに話したかった胸の内」みたいなものを、ぼくはさんざんネットに放ってしまっていたから、いまさら飲み会で話す目新しい話題がない、という理由もある。

挨拶もお礼もメールで済ませてしまっているし、直接会ってどうこうというのにこだわらない、という理由もある。

懇親は、若い者どうしの方が盛り上がるだろう、と思っているのも事実だ。




いろいろな理由を思い浮かべている。

けれど、たぶん、「理由がないと安心できない」という理由があったからこそ出てきた「理由」だ。

どれも本当のことではない……本当のことなのかもしれないが、それはきっと大切なことではないと思う。




今朝、若い検査技師がぼくを呼び止めて、「先生の腰は大丈夫ですか? わたしさっきから急に腰がいたくて」と話し掛けてきた。

ストレッチが効くから試してみたらいいよ、しびれはないかな、同じ腰痛と言っても原因が違うと対処が違うから、一度みてもらったほうがいいかもねと短く伝えた。小さな感謝を得た。自席に戻った。

必要十分な伝達を終えた瞬間に会話が終わる暮らし。

慣れてしまっている。

ああそうか、最近のぼくに足りなかったのは、食材を大量に買い込んで、大量のゴミを出しながら、濃厚な食事を作って、後片付けで気が遠くなる、けれど楽しかったしおいしかったね、あはは、みたいな暮らし。





無駄なことはしない、とか、効率よく、とか、つまらないったらない。





ツイッターばかりやってないで勉強をしなさい、という言葉がずっと頭に響いている。

今日、7万円を振り込んだ。教科書代である。ぼくは勉強にはげむ。

そうしないと何も忘れることができないのである。




※次回更新は1月4日(木)の予定です。本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。