2018年1月4日木曜日

病理の話(156)

あけましておめでとうございます。

新年なので信念の話をしましょう。

お題は「現代の医学教育の特徴」について。

医学教育だけではないかもしれない。もっと広く、教育全般の話と考えてもよさそうだが、ぼくはとりあえず医学の世界にいるので、医学教育に話を限定させてもらう。




医師が知性を修得しようと考える際には、いちどでよい、「徒弟制度」についての自分の考え方を確認しておくとよいと思っている。

徒弟制度とは、単一の師匠についていって、弟子となって、技術や観念を学ぶことである。

誰かの弟子になる。何かの派閥に所属する。そうしてワザを継承する。

利点と欠点があり、賛辞と批判とを浴びる。



まず、徒弟制度の利点を語ろう。

「体に覚えさせなければいけない技術」を学ぼうと思った場合には、師匠につきっきりで勉強するのが一番かんたんだ。

誰かの背中についていく。実際に手を動かしながら指導を受ける。聞いて納得し、疑問があったら伝え、ときに見て盗む。

これができるのが徒弟制度の利点。

あと、師匠が使っているインフラをそのまま継承することができる、というのも地味にでかい。専門的な機器とか、資料とか。



次に、徒弟制度の欠点を語ろう。

徒弟制度では、師匠次第で自分の限界が決まってしまうときがある。

言語化できていない領域を背中で示せる人ばかりではない。行動があまり教育的でない人もいる。

黙ってついていったら、その先が、地獄かもしれない。

相性の問題もある。万人にとっての師匠、ということはまずない。相性が悪いといろいろめんどうだ。

これが欠点。




医学生達は、だからこそ、「キャリアパス」を気にする。

自分がこれから歩いて行くであろうキャリアの道筋(path)を思い描く。

どんな師匠について歩けば、どんな師匠を超えようとすれば、自分がより遠くへ羽ばたいていけるのかというのを考えて進路を選ぶ。



で、だ。

徒弟制度は、最近ちょっとずつ、利点が薄れてきたかもしれない。

「たったひとりの師匠に人生をゆだねること」についての評価は、かつてよりも厳しくなっているように思う。

なぜか。

たぶん理由はインターネットのせいだ。





デジタルネイティブ世代は、すでに小学生くらいの頃から、無数の師匠を持っている。

顔も名前も知らない、師匠。いつも一緒にいるわけではない。生涯でたった一度しか関わらないときもある。そんな師匠。

あるひとつの路線について詳しい。ピンポイントで困った点を、ピンポイントで解説してくれる師匠。

ファストフード的に自分の前を通り過ぎていく、無数の小粒な、しかしぴりりと辛い師匠。

そんな師匠達の居場所は、もちろんインターネットの中である。




インターネットは虚構の世界と呼ばれるが、実際には完全な虚構ではなく、現実の一部を秒で切り取ったリアルの断片をランダムに組み換えたものである。

無数の師匠たちもまたリアルの断片だ。

若い医学生たちは、断片化したリアルを絶え間なく摂取して、要素を組み換えて同化代謝し、自分の中で新たなリアルを構築することで、今を生きている。



ブログ記事で救急のピットフォールについて語る顔も知らない教授。

臨床のちょっとした診断にとても役に立つ画像の見方について毎日更新しているツイッターアカウント。

iPadですぐにダウンロードできる、数百キロ離れた大学の講師が公開している講義のパワーポイント。

無料お試し版だけでジーニアス英和辞典なみの記述量を有している医療辞書。

病院で毎日感じたことをおもしろおかしく書き連ねているはてなブログ。

自分の大学の教授が大喜びで出した業績の数十倍の業績を出している、アメリカの期限付き特任助教のウェブサイト。

これだけの師匠(の断片)が、自分のすぐそばにいる(ある)。




そんなすばらしい世の中で、あえて「ひとりのボスにつく」ことに、どんな意味がある?

すでに無数に師匠がいるのに、今さら、「生涯をかけるに値する師匠を選ぶ」ことなど、できるのだろうか?




ある想像をしてほしい。あなたは医学生である。

地元の中規模の民間病院に、見学に来ている。

性格もよく、優秀そうな、消化器内科の医師に会う。

彼は言った、「ここで研修するならじっくり教えてあげられるぞ」。いい人そうである。優秀そうでもある。

けれど、あなたはこう思うかもしれない。

この内視鏡医よりも、さらに有名な人の名前を、ネットでいっぱい見ているんだよなあ。

あの大学にも。あのハイボリュームセンターにも。教科書で有名な人。テレビに出るくらい有名な人。雑誌でしょっちゅう名前を見る人。

キラ星たちをいっぱい知ってしまった今、この「ふつうの師匠」を、尊敬しきれるものだろうか……。









ま、そうは言っても、大多数の医学生は、結局、現実世界で少数の師匠を探すことになる。

これには理由がある。インターネット師匠には、苦手なジャンルがあるからだ。

ネット師匠がうまく伝えられないこと、断片ではないまるごと師匠でなければ伝えられないもの、とはなにか?

それは「医術」である。



医者になるための訓練では、「医学」と「医術」の両方を学ぶ。

「医術」とは、さまざまな処置、処方の仕方、立ち居振る舞い方、診察方法など、本で読むだけではなかなか覚えられない、手を動かして修得するスキルのようなものをさす(ことにする)。

一方、「医学」のほうを学ぶときは、手がメインではない。脳だ。

脳をどれだけ動かすか。脳をどれだけ外部に接続するか。

無数のネット師匠が脳に接続してくれることは、「医学」を極める上で、とても役に立つ。

けれど、ネット師匠は手取り足取り教えてくれるわけではないので、「医術」を身につける上では信頼感が落ちる。

動画をみるだけで胃カメラを動かせるようにはならない。YouTubeもVRも、ないよりはあったほうがずっと役には立つ。けれど、やっぱり足りない。

手の動かし方を学ぶためには、現実世界にも師匠を設定しておいたほうが便利である。

いかにデジタルネイティブ世代の医学生であっても、最終的には自分の師匠をどこかに設定する。

医学と医術、どちらか一方だけでは医者はできない……。




けれども、病理医だけは。




病理医は、医術を用いない。治療をしない。処置をしない。手術も採血も診察もしない。傷を縫いもしなければ人工呼吸もしない。

医学をひたすら学ぶのが病理医なのである。

だったら。

「病理を学ぶとき、現実世界の師匠は必要だろうか?」



まあたいていの人は、「何言ってんだ、師匠もつけずに病理を学べるわけないだろう」って怒る。

けれど、ぼくは、デジタルパソロジーの底力を知れば知るほど、この先どこかで病理教育に革命が起こるのではないか……起こさなければもったいないのではないか……起こすべきではないか……と考えている。

もう怒られてもいいや。ツイッターもやってねぇし。





デジタルネイティブ世代が、これから、どうやって病理診断を学ぶのがよいか。

徒弟制度でよいのか。

今まで考えもつかなかったような、もっとはるかに高度な学習の仕方があるのではないだろうか。

ぼくなりに考えている。

「AIを用いた次世代形態解析と統計処理が病理診断の一角を占める未来に、医学と医術を兼ね備えた病理医が必要であり、そういう病理医をどう育てるのがよいのか」について、ずっと考えている。

また、「病理医のもつ医術とはなんだろうか」についても、少し考え始めている。




けれど今日はやめておこう。だいぶ長くなってしまった。

新年から語る信念としては重すぎたようだ。まあいっか。