2018年4月27日金曜日

病理の話(195) 富嶽三十六景を病理診断する

顕微鏡をみたときに、みたものをどういう言葉で表現するか。それを読んだ人が、何を思い浮かべるのか。

これを、ひとつの絵を例に挙げて説明しようと思う。お題は「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」である。誰もが知っているあの有名な絵だ。


(画像はWikipediaからの引用)(おこられたら消しますごめんね)


1.ある人の説明

 ・神奈川の沖から富士山をみた絵です。富士山をモチーフとした一連の浮世絵の一枚で、とても有名です。

2.ある人の説明

 ・葛飾北斎「富嶽三十六景」の一枚です。波にゆられる舟、遠くに見える富士山が印象的です。

3.ある人の説明

 ・波の上に舟が3艘あって、そこにへばりついている人の表情がとても気になります。富士山は小さいです。

4.ある人の説明

 ・波しぶきがまるでシャッタースピードをすごく短時間にした現代のカメラで撮ったようで、葛飾北斎の目ってのはいったいどうなってんだと驚きます。



たとえばあなたなら、もっとうまく言い表せるかもしれない。あるいはあなたが絵の専門家なら、ぼくの知らない専門用語も用いて、もっと高度な解説ができるかもしれない。

ただ、1枚の絵を言い表すにはさまざまなやり方があって、どれが正解とよべるものではないというのは、わかっていただけるのではないか、と思う。


その上で。



顕微鏡で画像を眺めたときに、病理医がレポートに書くべきポイントは、(ぼくの個人的な意見ではあるが)以下の2つに集約されると思っている。

 1)この絵は結局どういうタイトルなのか。どういう絵に分類されるのか。

 2)まだこの絵をみていない人に、文章だけで、絵のだいたいの雰囲気が伝えられるだろうか。

1が、主診断文。
2が、所見文と呼ばれるものだ。

忙しくて要点だけを掴みたい臨床医(?)には、「主診断文」をとにかく読んでもらう。
そして、自分の患者に対する情報をとにかく事細かに知りたい、病理まで踏み込んでじっくり考えたい人むけに、「所見文」をしっかり書いておく。

両方用意してあるレポートが、よい病理診断報告書だと、ぼくは思っている。ただ、これは読み手のニーズに応じて調整すべきものでもある。

その上で。臨床医のニーズが「とことん所見を書いてくれ!」だったときに、ぼくが普段書く病理診断がどんな感じなのかを、富嶽三十六景の描写になぞらえて、以下、やってみる。先に言っとくけど長いよ。




診断:  葛飾北斎, 富嶽三十六景, 神奈川沖浪裏。

所見:
 多色刷りの木版画が提出されています。
 葛飾北斎の連作浮世絵、富嶽三十六景の一枚、神奈川沖浪裏と診断いたします。規約事項は以下の通りです。
  ・感動度:高度
  ・知名度:85%
  ・思わず語彙が:減る

 以下に詳細な観察所見を記載します。

 全体像: 「海上から、富士山の方向を見た風景」を想定して描かれた絵です。やや黄ばんだ紙に、海の波と、波にもまれる舟、そして波の向こうに遠く小さく富士山が刷られています。左上にタイトルが記載されており、神奈川沖浪裏、とあります。
 構図: 富士山をモチーフとした連作ながら、版画内に描かれている総量としては富士山よりも波の方がはるかに多く観察されます。画面の下3分の1は海で、その波は激しく猛って海面がへこんだり盛り上がったりしています。盛り上がりのうち最も激しいものは画面の左上に鎌首をもたげるかのような大波として描かれ、この波が画面中央から右側に向けて白くはじけて波しぶきとなっています。波しぶきは一つ一つが独立した中小の点(あるいは小楕円)として描かれており、あたかも実際の波を高速度写真で撮影したかのようで、「一瞬を切り取った絵」であることをはっきり意識させられます。鎌首をもたげる大波を含めたすべての海面は、画面の下1/3から左側にむけて複数の円弧を形成し、円弧の中心の部に遠方に望む富士山が小さく描かれています。
 拡大所見: 波間には舟が3艘描かれています。これらは当時活魚輸送などに使われた押送船であり、3艘の船の上には合計30人程度の男性が小さく描かれています。彼らは一様に、身を小さくして船のへりにへばりついており、船が波に大きくもまれて振り落とされるのをおそれしがみついているのだろうと推察できます。富士山は山頂に多くの雪をたたえ、全体が明るく影のない状態として描かれています。葛飾北斎の他の作では、時刻や太陽の角度に応じて富士山に細かく陰影を付ける技法が用いられていることから、おそらく観察者の背側から光が当たっている早朝もしくは夕暮れの時刻を描いていると推察でき、神奈川沖から富士山を眺めているとするならば本例は早朝の風景であると考えられます。富士山の裾野付近は波と同系列の深い青で塗られており、富士山がはるか遠方にあることを示唆します。なお、前述した波しぶきは遠方の富士山に「降りかかるように」描かれており、あたかも富士に降りそそぐ雪のような印象を絵に与えています。画面全体から寒々とした冬の海の印象を受ける一因であるとも考えられます。

添付画像1:ルーペ像。
添付画像2:署名部、拡大像。
参考:「逆巻く波の向こうに一瞬富士山が見えた瞬間」を描いた構図のダイナミックさ、遠近法、時間の描写などいずれも秀逸で、日本を代表する絵画として海外でも高く評価されています(参考文献:The British Museum Collection Online)。

(2018/04/19 病理診断医 市原 真)



あ、浮世絵の解説はもちろんですがWikipediaに教えてもらっただけです。ぼくそんなに浮世絵にくわしくないからね。