2018年5月8日火曜日

病理の話(197)

病理診断にどれだけ時間がかかるか、というのは、患者からすると大きな問題である。

自分からとりだされた一部分が、がんなのか、がんではないのか。

一刻も早く知りたいと思うのは当然だ。



一方、臨床医は、その患者が一刻一秒を争う状態かどうか、ある程度見極めが付くので、「急いで病理の結果を知りたいけれど、まあ、そこまで大急ぎでなくてもいいよ」というくらいの気分でいることが多い。

いやいや、診断というのは早いほうがいいに決まっているだろう、と反論する方もいるかもしれないが。

病理診断は、その性質上、必ずしも「スピード」を最重要課題とはしていない。

「確実性」こそが第一である。

岸先生も言っていただろう。「ぼくの言葉は絶対だ」と。「ぼくの言葉はすぐ出るぞ」ではない。こんな決め台詞だったらどっちらけである。



医療という不確実な世界で、絶対、とか、100%正しい、ということばはあり得ない、と反論する人がときおりいる。なんと医療の世界にもいる。「フラジャイルは煽りがひどい、絶対なんていうな!」みたいなことを、マンガをろくに読みもしないで言っている人をみたことがある。

けど、病理診断は、ほんとうに「絶対」なのだ。ただし、ニュアンスはちょっと複雑である。

「絶対に正確である」ということではない。

「病理診断を絶対の基準として、今の医療は組み立てられている」という意味だ。



病理が、「Aという病気です」と診断したら、ほかの臨床医がなにを考えていようと(たとえばひそかにBという違う病気ではないかと思っていても)、Aに対する治療がはじまる。

病理の結果があっている、間違っているという検証は、なかなか行われない。だって、病理が基準だから。

「病理診断は絶対」だと思われているから。

診療においては、病理を正義としないと先に進めない場面がある。

特に、がん。

がんの組織型については、臨床医が他の手段で「反論」できることはほとんどない。



そう、病理診断が「絶対」というのは、「絶大な影響力がある」という意味に近い。

「あの上司がダメって言ったら絶対だめなんだよねー」みたいなかんじだと思って頂ければいい。



病理医は、ときに、「難しい、わからない」とはっきり述べる「勇気」を持たなければいけない。

疑問を残したまま、「この病気は、Aです」と断言してしまうことは、病理診断を基準として行われている診療の世界では、もはや犯罪に等しい。

ときに、今ある情報だけではわからない、と言い切ることも必要だ。そして、それを丁寧に臨床医に説明することが肝心だ。

なぜ悩ましいのか、どういう推論プロセスを経て悩んでいるのか。追加検査で何をしたら、答えに迫れるか。

病理医がこれほど慎重であればこそ、臨床医も病理医に「絶対の基準点」を与えることができる。




病理のことをよく知っている臨床医は、病理の結果について、

「急いで知りたいのはやまやまだけど、まあ、確実に決めてくれた方がいいな」

というくらいの気分でいる。そして、たとえば病理診断を待っている患者に、このような説明をする。

「……今日の検査は終わりです。この後、お帰り頂けます。そして、次に病院にお越し頂いたときに、病理診断の結果をお伝えいたします。結果をみながら、今後の治療方針を、あなたと私で一緒に決めます。

では、次に病院にお越し頂くタイミングですが……病理診断というのは、1週間とか10日くらいかかることがあります。もちろん、それより早くわかれば、結果をすぐにお伝えすることもできます。ただ、できれば電話などではなく、外来をちゃんと予約して、一緒に病理報告書をみながら、しっかりご説明したいのです。結果によって、今後の治療方針も変わってきますので。

ということで、おそらく確実に診断が出ているであろう、2週間後に、また病院に来ていただく予約を入れるということで、いかがでしょうか?」



帰宅した患者は、たとえば、家族に説明する。

「今のところ、急いで治療する必要がないから、2週間後にこいってさ。そこで病理の結果を教えてくれるってさ」

その家族が、思う。

「病理診断って2週間も待つんだなあ……」




いや、ま、ほんとはもう少し早く結果が出ることもあるんです。

HE染色だけで「絶対Aだ」といえる場合もありますのでね。

けれども、病理診断は、最後の砦みたいなもので。

慎重に慎重を期さなければいけないのです。

慎重のために染色を追加したりしますと、検体の処理や染色に時間を要します。化学反応は、人間がいくら努力しても早めることができません。ぼくらが精一杯努力しても、所要時間を縮められない場合もあります。

2週間お待ちいただくことも、場合によっては1か月お待ちいただくことも、あります。どうもすみません。