2018年5月16日水曜日

病理の話(200)

感染症という病気がある。

この病気は、「病原体(細菌とか、ウイルスとか、カビとか)」が人体に住みつくことで引き起こされる。

人類としては、これらの病原体を残らず撲滅してしまいたい。そうしたら、感染症もこの世からなくすことができるだろう。

そんなことはできるのだろうか?



ある1種類の病原体を地上から撲滅させることは、できなくはない。

現に、天然痘ウイルスというのは地球上から撲滅できている。

けれども、ほとんどの細菌やウイルス、真菌などは、ほぼ撲滅できていない。



撲滅できない理由はさまざまだ。細菌かウイルスかによってもそれぞれ異なる。

とりあえず今日は、「細菌」を例にあげて考えてみることにする。

細菌は、まず第一に小さすぎる。次に多すぎる。どこにでもいる……。

そして、もうひとつ、非常にだいじな問題がある。

「よい細菌と悪い細菌を見分けて、悪いやつだけを倒すことが非常に難しい」ということ。

これが実はけっこうでかい。



あるひとりの人の、体の中にいる細菌を絶滅させることは、できなくはない。

超強力な「抗生物質」を作り上げて、人体に投与すればいい。

ところが、そんなに強い薬を使ってしまうと、病気の原因になっている細菌だけではなく、皮膚とか腸などの中に元から住んでいた「善良な」細菌を全滅させてしまう。

すると困ったことになるのだ。

元から住んでいた「常在菌」たちは、そもそも、人体にとってバリアのような役割を果たしてくれている。常在菌がいるからこそ新たな病原体の侵入を防ぐことができる。さらに、バリアだけではなく、実は栄養吸収とか栄養産生の役割までも担っているのではないか、とさえいわれている。

悪い細菌だけを倒せるならばともかく、人体にとって役に立っている細菌まで倒してしまうのはまずい。




たとえ話をする。

東京ドームで野球の試合が開催されている。伝統の巨人阪神戦だ。

ここにテロリストが侵入し、どこかに爆弾をしかけるらしい。

テロリストは20人くらいいるという。こまった。どうする?

ここでSAT(特殊急襲部隊、だっけ?)が提案する。

「テロリストを確実に全滅させる手段が1つあるぞ。東京ドームに火を放ってしまえばいい」

そんなことを言いだすSATはクビだろう。

テロリストだけじゃなく、50000人くらいの観客がまるこげだ。なにを考えておるのだ。




感染症を撲滅するためには、「悪い奴だけを選んで攻撃する手段」が必要だ。

とりあえず強すぎる薬では解決にならない。

微生物のうち、病原性の微生物だけを選び取って利く薬、というのがいる……。



これが難しい。

テロリストといっても人間だ。

善良な野球ファンと同じ、人間なのだ。

いかにもなリーゼントに入れ墨、サングラスで武装しているテロリスト、なんてのは果たしているだろうか?

まあそんなやつは入り口で警備員に止められてしまうだろう。

たいていのテロリストは普通の恰好をしているはずだ。

「テロリストだけをうまく見つけ出し攻撃する薬」が、極めて難しい機能を必要とするだろうことは、おわかりいただけるかと思う。





感染症だけに限らない。

「がん」だって、同じような難しさがある。人体からがん細胞を全滅させる一番かんたんな方法は、超強力な抗がん剤を大量投与することだ。ただしこの場合、正常の細胞も大ダメージをくらう。

だからぼくらは、がん細胞だけを見極めて、そこだけ攻撃する手段を探す。




体内に潜んでいる悪人は、善良な人とよく似ている。

こまかな違いを抽出して、「お前が悪だ」ときっちり指摘することが必要だ。

病理学とは、正常の細胞や正常の微生物などをきちんと学ぶところからスタートする。

わずかな違いに意味があるかどうかをじっくり考える必要がある。