2018年5月17日木曜日

青春それは君が取り込んだ光

自分の裁量で仕事したいなあとずっと思ってきたのだが、いざこれができるようになると、

「今ここで俺が気づかなかった問題があったら、その問題は誰も気づかないままスルーされ続けるのだな」

という恐怖におびえるようになった。


うまくできている。


「いつかなりたい自分」の姿に、理想を見ていた。けれど、いざそれになってしまうと、理想が自分の中に取り込まれて、自分の目では見えなくなる。

理想は光のようなものだ。ぴかぴかと輝かしい。

それが体内に取り込まれる。

光がなくなる。

また、どこか、外にある別の理想をうらやむ。

自分の目にうつる光を自分の体の中に取り込んでしまったら、その先はもう暗闇の中を歩いていくしかなくなってしまう。



ぼくはある程度職業人として成熟したら、次の目標として「教育」をしよう、とずっと思ってきたのだ。

しかし、最近、教育はまあもちろんやるんだけれども、それだけじゃ迷ってしまうな、という実感がある。




教育というのは、他の人にとっての光になるということだ。

自分が光る。これはたいへんなことだ。がんばらなければいけない。

けれど、ぼくの体がぴかぴか光っても、ぼく自身の目でそれが見えるわけではない。

真っ暗闇の中で自分だけ光って、ほかに光るものがなければ、結局ぼくはどちらに歩いていけばいいのかという話になる。

だからほかの光を探さないとなあ。




「教育する立場になっても、生涯成長し続けようとしないとだめっすよね」

まあ、ひとことでいうとそういう話なんだけれども、ぼくが今ここで書き切れていないニュアンスがある。

「体内の光を強くするだけじゃ足りないんじゃないかな」

ってことをいいたいのだ。

そりゃあ後からついてくる人にしてみれば、ちょっと前を歩いている人の光がどんどん強くなることはうれしいだろう。

それはもちろん目指す。

けど、自分が今やれていることのレベルをどんどん上げていくことだけでは、自分の体の輝きが強くなるばっかりで、周りは依然として暗いままではないか?





ぼくが今、外に新たに見ようと思っている光がある。

まだぼんやりとしか見えていない。しかも遠い。

今まで自分の体の中にうまく取り込めていなかったものだ。




「いかにも楽しそうに振る舞う」という光である。

「働いているときほどにこにこする」という光である。

たぶん本当に難しい。

今まで育ててきたものとは違う、別個のスキルがいる。

人生には目標が多い。