2018年6月6日水曜日

去る者がおわす

今はカンファレンスを待つ時間である。

時計をみると 17:39 とある。

あちこちが痛む。ちょっとのめりこみすぎた。ぐぐっと椅子に体を預ける。

あずけたまま、ワイヤレスキーボードを手前にひいて、かたかたとこれを書いている。

雰囲気しか見えないほど遠くなったモニタに、ぽちぽち文字が走って伸びていく。



実はぼくはたいていこのような書き出しでこのブログを書いている。特に、「病理の話」以外のときはだいたいこういうかんじだ。

できあがった記事の冒頭数行は、けっこうな割合で消してしまっている。今回はあえてこの数行を残してみた。

助走部分はのちのスポーツダイジェストには放映されない。

ゴールシーンを中心に編集をする。

だいたいの記事がそうだ。

いつも、公開している記事の長さは、もともと書いていた記事の8割くらいになっている。




たとえば世の中には、自分一人でものごとを書くといってもどうしていいかわからない人がいるだろうと思う。

ぼくもたぶん、この場に誰かがいてべらべらととりとめもなくしゃべっていた方が、新しいことを思い付くタイプではあるのだろうと思う。

しかし、ブログというのは一人で書くものだ。どうしたら「話のとっかかり」が出てくるだろうかと考えた。

とりあえずその日書きたい主題みたいなものが、あったとしてもなかったとしても、最初は助走として、今ある状態とか、さっき見ていたものとかを書き付けてみることにした。

そうやったあと。

自分で書いたものが、モニタの向こうで立ち去っていくときと、こちらを振り返ってじっと待っているときとがある。

こちらを振り返って待っている「ぼくの文章」はすでにぼくのものではなく、ぼくは彼に話し掛けることにする。

「おい、それはどういうことだ。」

すると彼が答えてくれる。「うん、それはだね」

そこでぼくは押しとどめる。「いや、いい、わかった気がする。今日はそれを書こうと思うよ」

彼は去っていく。「よかったね。あとはできるよね。じゃ、そういうことで。」




ぼくはいつも彼に用があるのだが、彼はいつもちょっと立ち止まってまたすぐ歩き出して消えてしまうので、なかなかしっぽりと話し込む機会がない。

今回の記事もまた彼が連れてきたものだ。こんな展開になるとは全く思ってもいなかった!




(17:46)