2018年7月23日月曜日

ウィンドウズ佐藤

パソコンがだんだん重くなってきた。大量にメモリを積んだ特注品だったのだが、さすがに買って5年経つ。よく今まで持ったな、というくらいだ。限界だろう。

キーボードはぶっこわれて外付けのキーボードを別に用意しているし、ブラウザ内はしばしば広告表示のときに激烈に動きが悪くなりいかにもマルウェアと戦っている予感がする。売りだった起動の速さも今や見る影もない。メールクライアントソフトはしばしば真っ白になる。

何もしてないのにぶっこわれたわけではない。

さまざまに使い倒した。

アップデートも大量に行った。

だからもう限界なのだ。

次から次へとアップデートしなければいけない製品というのは結局、出荷時に不完全な状態で売られているわけで、買っらあとはほうっておいても末永く使えるテレビとか冷蔵庫とかファミコンなんてものがいかにすばらしい製品だったかと古き時代を懐かしむ。




けどまあパソコンってのは人間を目指して人間を超えていくものだから。

人間だって日々、アップデートをしないと生き残っていけない。あらたな驚異にさらされ、気づかぬ恩恵を受けられなくなる。

同じようにパソコンはアップデートを繰り返すし、そのうちアップデートしたファイルでハードディスクがぱんぱんになり、動きが悪くなり、かんじんなときに寝落ちする。まったく愛着がわくこと程があるにもこの上ないったらありゃしない。




買い換え。




ぼくはMacを買わない。使わない。iPhoneもiPadもMacbookもデザイン、コンセプト、使い勝手、すべて大好きだけど、Macを使っている人たちが基本的にあまり好きではないからだ。本人はなんにも悪いことしてないんだけどその本人を使ってどうこうしている人たちと合わないので本人とも距離をおいてしまう。そんなところも、人間に似ているなあ、とか思う。




だいたいスタイリッシュなパソコンが好きな人というのはだめだ。

多少のどろくささ、多少の得手不得手、多少の滋味みたいなものと根気よくつきあうような人のほうが、一緒にいて居心地がいいに決まってる。

あれ、パソコンを人に例えていたのか、人をパソコンに例えていたのか、なんだかわからなくなってきた。

とにかくぼくはWindowsだ。仕事ではWindowsしか使いたくない。





という文章を今、自宅のMacで書いている。

なあに、何もまちがってはいない。これは仕事じゃないのだから。