2018年9月4日火曜日

病理の話(239) 富山病理夏の学校の話

先日、「病理夏の学校・中部支部」をおとずれた。そのときの話を少し書こう。


病理夏の学校というのは、全国の病理学会地方支部(北海道、東北、関東甲信越、中部、近畿、中国四国、九州沖縄)がそれぞれ開催している、医学生向けのイベントだ。

1日だけでやる地域もある(関東・近畿)。しかし地方においては基本的に1泊2日の合宿形式で行われる(首都圏でも宿泊でやればいいのに、と思うが、いろいろ事情もあるのだろうな)。

かなり予算を使ったイベントだ。趣向も懲らされている。



このイベントには、その地域の病理医がごっそり集まってくる。

大学で基礎研究に邁進する病理医もいれば、ひたすらプレパラートをみて診断している病理医もいるし、学生教育に熱心な人、ラボを作ってお金をもうけてる人、AI診断の開発をしている人……。

実は病理学会よりも「夏の学校」のほうが、多彩な病理医がやってくると言っても過言ではない。

ぼくも病理医のはしくれだが、このイベントに参加するといつも、「病理医ってホントに人それぞれだなあ」という思いを新たにする。




色とりどりの病理医たちは、交代交代で、医学生向けの講演をしたり、NHKのドクターGのような症例カンファレンスをやったりする。

医学生たちはほとんど金がかからずに高級宿に宿泊して飲み食いができ温泉にも入れる(地方の場合)。満喫したあげくにちょろっと病理医の話まで聞ける。

レアキャラ・病理医のいうことはたいてい刺激的だ。

だからこのイベントは人気がある。それに……。

北海道の場合は学生参加費は無料。

近隣の大学から送迎バスまで出る。

上げ膳据え膳なのである。

人が来ないわけがない。



北海道を例にあげると、病理医側のスタッフが50人くらい、医学生が90人くらい、合計140名、なんて集まり方がふつうだ。

北海道には病理診断医は100名しかいない。研究ばかりしている大学院生を集めても、病理と名の付く場所にいる人間の数なんてせいぜい200人くらいだろう。

そのうちの50名が集まってくるのだからすごい。

おまけに北海道には医学部のある大学は3つしかないのだ。医学生の数だってせいぜい1学年250名。6年生まで全部かきあつめても1500名しかいないんだぞ。

そのなかの90名が「病理に興味がある」「病理医に話を聞きたい」といってやってくるのだ。

いかにすごいイベントかわかってもらえるだろうと思う。




というわけで、先日、病理学会中部支部に招かれて、夏の学校 in 立山(富山)に行ってきた。

ぼくは「いろんな病理医」のうちどのワクで呼ばれているのかなと考えると、ま、ふつうに考えて、コレ(スマホ)だろうなと思う。道化役である。

偉い人たちがすごいことを次々と発表して学生を感動させる中、ぼくだけなんだかチャラチャラした発表をした……。

……ということにしておこう。

参加者もここを読むかもしれないが、黙っていて欲しい。読者には夢を与えた方がいい。




で、発表が終わった夜、医学生と話をしていて思ったことがある。

数年前に参加した夏の学校のときよりも、医学生が、「病理に詳しい」。

変わったな、と感じた。




昔は、とにかく格安で飲み食いできるイベントだから来ましたとか、通っている講座の教授に数あわせに呼ばれましたとか、将来は臨床医になるつもりですけれど病理医といちど話をするのもいいかなと思ってきましたとか、そういう医学生が多かった。

つまりは、「病理・夏の学校」に参加しているけれども、「それほど病理には興味がない」医学生のほうが圧倒的に多かったのだ。

でも今回は違った。

参加者の多くが、もともと病理医という仕事に興味をもっている。

医学部の1年生とか2年生なんて、まだまだ医学の勉強なんてしていない。世間一般の知識とそう違わない。病院の内情なんて知るよしもない。

それでも病理のことを知っている。




これはすごいなあと思った。

まあどう考えてもフラジャイルのおかげだ。

マンガ、ドラマというのは、世間の動きをまるごと変えてしまう。

仮にフラジャイルを読んだことがなくても、フラジャイルをきっかけにして書かれたウェブ記事とか、テレビの番宣とか、そういったものを目にする。

社会における総和としての「病理に触れる機会」がまるで変わってしまったのだ。

ぼくはずっと病理の「広報」について考えていた時期があった。フラジャイル以降の世間の変わり方には目を見張った。

「こんなに変わるものなのか」と思った。




もちろん、「フラジャイル」の一般的な知名度はまだまだ高いとはいえない。

講談社漫画賞まで受賞している名作だが、マンガ自体を好んで読まない人もいる。

けれども、フラジャイルのことを全く知らなくても、病理医というキーワードにひっかかって興味を持った人は確実に増えている。




実は医学生にもそういう人がいっぱいいる。

「ああ、マンガは読んでないんですけれど、普通に医学部の授業を通じて、病理に興味をもったんですよ」

という医学生によく出会う。

でもこういう医学生自体がフラジャイル以降にすごく増えたのだ。

ぼくはそれを知っている。なんだか楽しくなってしまう。




先日の中部支部の話ではないのだが。

ある年の「夏の学校」で、有名な病理医が講演をした。医学生たちにドッカンドッカンとうけていた。

その病理医が宴会の場でこういうことを言った。

「ぼくはあのフラジャイルというマンガが病理医のすべてだとは思っていないんですよ。だからちょっと違う方向で、医学生たちの興味をひきたかった。今日はそれがうまくいってよかったなあと思うのです。」

医学生たちはやんややんやとはやしたてた。

ぼくもにこにことそれを見守りながらひそかに思ったのだ。




「フラジャイル以前にあなたが講演したときには、これほどうけなかったですけれどもね。」




なんだ、夏の学校の話をしようと思ったのに結局フラジャイルの話をしてしまった。

失敗失敗。いや成功か。