2018年10月23日火曜日

病理の話(255) 小石を見て河原を語ること

胃、大腸、肺。

鼻の穴、耳の中、膣の奥。

これらは、チューブ状のカメラを使ってのぞきに行くことができる。

人間というのはかなり凹凸が多い。ミクロに小型化したぼくらが、体の表面に着陸して、そこをずっと歩いて行くと、皮膚から口の中、食道、胃、十二指腸とずんずん歩いて行くことができる。十二指腸でファーター乳頭と呼ばれる火山の中に入れば、その先もまた延々とつながっており、肝臓や膵臓まで達することができる。

歩いた先で、小石を拾うように、自分の立っているところの粘膜をつまみあげる。

なにか周りの床とくらべてごつごつしていたからだ。気になったからだ。

それを体の外に持って出て、病理検査室に回す。



拾った小石を薄く切ってプレパラートにする。

病理医がみる。小石の成分を分析する。

がんだ。あるいは、がんではない。

そのような「診断」がくだる……。

これが病理診断だ。



しかしちょっと待って欲しい。

その小石は、あなたが歩いていた床の「すべて」を反映しているだろうか?

たとえばその床はステンドグラスのような模様をした色鮮やかな床だったかもしれない。

そのステンドグラスの赤い部分だけをみて、「ああ、そこはステンドグラスがあるんだよ。」と、言い当てることができるだろうか?

無理だろう。

病理医は常に、「一部しかみていない」ということを忘れてはいけない。




……ただ、付け加えておくと、病理医は先人から論文として受け継いだ集合知(エビデンス)を持っている。

人体において床がステンドグラスのような多彩な模様「にはなりにくい」ことを知っている。

実際にそこを歩いていた内視鏡医が証言してくれればなおいい。

たとえひとかけらの小石であっても、内視鏡医が、

「その赤い小石は、一面真っ赤な地面からひとつ拾ってきたやつですよ」

とコメントしてもらえば、なんの問題もないのだ。



 さて、赤い地面から拾ってきた赤い石を顕微鏡でみたとして、そこに映っているものが「緑のコケ」だったとする。

そこで「あなたがとってきたものは緑色のコケでしたよ」と報告する病理医がいたとしたら、困る。

探検して赤い地面をみつけて赤い石を拾ってきた、と、探検家(臨床医)が言っているのに。

顕微鏡でみてみたら緑色のコケでした。

それは「不一致」だ。何かおかしい、と思わなければいけない。



そこでたとえばdeeper serial section(深切り切片)をきちんと作成できるかどうか……。

(小石の表面にこびりついているコケの部分しかみることができないでいる。だから、小石をもっと深く削ってもらって、小石のど真ん中をきちんとプレパラートにしてもらおう!)

と、「ピンときてサッと対処」できるかどうか。




そこをできるのが病理診断医であり、そこを求められるがゆえに、病理診断には特殊な免許が必要とされる。




・赤い小石とは思えないような検体でしたが、きちんと深く切ったら確かに赤い小石でしたよ。
・赤い小石に見えますけれど、特殊な光をあてると実は別の色にも光るんですよ。
・赤い小石を拾ってきたとおっしゃいますが、実は赤い小石の下に、茶色い地面があったんじゃないですかね?
・赤い小石が落ちているときには、違う場所に、黄色い稲穂がわさわさと揺れていることがあるんですが、そういうのはありませんでしたか?




ここまでやるから病理診断医だ。

ただ小石をみて感動するだけならばそれは「病理見学者」である。





……ただ、実をいうと、「病理見学者」であっても、給料はもらえる。

この話をすると長くなるのでやめる。