2018年11月20日火曜日

病理の話(265) 他院プレパラートの診断

別の病院から自分の病院に患者が移ってきたとき、患者とともに、前の病院で診断されたプレパラートもやってくることがある。

患者が自ら持参したプレパラート。

あるいは、患者とは別に、後日郵送されてくるプレパラート。

パターンはいろいろだ。



一昔前、CTとか超音波の画像がフィルムだったときには、患者が病院を移る際に、フィルム一式の入った大きな封筒を持たされたこともあったという。

自分の体がうつされた写真を手に持ってバスに乗る患者の気分は、いかばかりだったろう。

ぼくはわりとそこを気にしてしまうタイプだった。

だから今でも、患者がプレパラートを持ち歩いているところを想像すると、「郵送してあげたほうがよかったんじゃないのかな」と思うこともある。



でもまあいろいろな事情もある。

郵送より直接持参のほうが純粋に「早い」こともあるから、一概に患者に持ってきてもらうことが悪いとは言えない。




そんな歴史があってか、あるいは全く関係ないのかは知らないが、一般に、別の病院で一度診断されたプレパラートをもういちど診断することを、

「他院からの持ち込み標本の診断」

と呼ぶ。最初、この言葉を目にしたときには、思わずジャンプ編集局に原稿を持ち込む新人マンガ家のようなイメージが脳内に浮かんだ。




他院から持ち込まれたプレパラートの診断は難しい。

まず、染色のクセが微妙に異なる。

同じ細胞を見ていても、染色する技師さんが変わると、わずかにHE染色の色合いが変わる。この微妙な差分を脳内で調整して、きちんと平均的な診断をくだすために、脳の中では0.5~1秒ほど時間が必要となる。

この1秒がけっこうでかい。栄養も150キロカロリーくらい余計に消費する気がする。

次に、そもそも病気の診断自体が難しいことも多い。

(きっと、前の病院でこれをみた病理医も、苦労したんだろうな……)

そんな同情を胸に抱えながら丁寧に診断をする。

ときに、ぼくが専門としている分野のプレパラートのときには、前医の病理医が「わからない、診断できない」とコメントをつけていても、ぼくは診断できるということはある。

逆に、ぼくが普段あまり見ない分野のプレパラートだと、ぼく一人では診断ができず、周りの病理医たちに尋ねながら二人三脚ならぬ四人五脚くらいでなんとか診断を出すこともある。




持ち込み標本の診断の精度を高めるためにやることはシンプルだ。

病理医だけでなんとかしようとしない。

必ず、臨床情報を集める。臨床医にたずねることがとにかく重要だ。

なぜこの患者は我々の病院にやってきたのか?

内視鏡像やCT画像はどのようになっているのか?

何が問題点か? 今後なにをしたいのか?

そういうことをしっかりと把握する。

ところが、自分の病院の臨床医もまだ患者のことを把握していないというケースもしばしばあるわけだ。

だって患者は転院してきたばかりだから。

すると、「前の病院の医師」にも連絡をとる必要がある。



患者が持ち込む標本を診断する際には、ぼくら病理医と臨床医との連携がいつもよりも長くなり、深さも求められる。

「もうプレパラートはできてるんだから、病理医にちょろっと見てもらえればすぐ診断つくよね」というわけにもいかない。

いずれは患者のスマホに、それまで患者が受けた血液検査や画像検査の結果がすべて入力されるような時代がくるかもしれない。

そうなれば、いちいち前の病院にデータの確認をとらなくても済むようにはなるだろう。

でも、そうなったとしても、ぼくは、「前の病院の主治医」にはやはり電話をかけると思う。

未来において医者の存在がどれほど重要視されているかはわからないけれど……。

ま、人と人とが話し合うことで見えてくるものは、やはり大きいと思うのだ。

AIが完全にぼくらを食い尽くす日がこないかぎりは。