2018年11月15日木曜日

無限の重任

よう先輩とラジオ収録の合間に少ししゃべっていた。

ラジオトークにしても、こういうブログとかnoteなどの文章にしても言えることだと思うんだけれど、

「お題が無限にわきでてくるような能力」

があったら、楽しいだろうな、助かるだろうな、みたいなことを、どちらともなく言った。

毎日何事かを発信しようとすればどこかの段階でこの「お題不足病」みたいなことを考えるときがくる。

ぼくもしょっちゅう考えている。



「ネタがないのに書かなきゃいけない、困った……」などという悩みは、週刊誌に連載を長く続けている作家だとか、天声人語の担当者とか、ファッション誌に連載をもっている芸能人などから出てくるはずの言葉だ。ぼくのような素人が口にするのはちょっとおこがましい。「困ってるならやめれ。誰も書けっていってないべ」と北海道弁でしかられてもしかたがない。

けれどもまあここにはちょっとした意地みたいなものもあるので簡単には引き下がれない。

毎日何かをずっと書き続けていたら、いずれ楽しいゾーンに入れるかもしれないではないか。

根拠? ないよ。勝算もない。

でも書き続けるという場を自らに設けて維持することで、いずれその場で楽しいことが起こるかもしれない。

そもそも「お題を無理やりひねりだすこと」自体にも達成感がある。

しんどいイコールやめれ、という短絡的お説教には承服できない。




「困ってるならやめれ」「しんどいならやめれ」「つらいならやめれ」というのは、使いどころが難しいセリフだと思う。というか「年間・余計なお世話大賞」に常にノミネートされるフレーズではないか。

うっかり購入してしまった3000ピースのジグソーパズルがなかなか片付かないと言ったら「やんなきゃいいべや」。

スーパーマリオ2の無限増殖に失敗したまま「今日は無限に機数がなくてもなんか行ける気がする」と勇んでゲームをすすめてはみたけれど、やっぱりダメで8-2くらいで機数が足りなくなって涙目になっているときに「失敗してイライラするならゲームなんかやめれば」。

バーベキューで備長炭になかなか火が付かなければ「安い炭で済ませばよかったべさ」、

うまそうなラーメン屋に並んだはいいが列が全然前に進まないときにも「待ちきれないならマックでいいべ」。

うるさいぞ道民。

困ってる瞬間も含めて「場」なんだよ。





まあお題がいざ決まったとしても今度は別の悩みがやってくる。

「あのことを伝えたい」と思って書き始めたはいいけれど、なかなかいい表現が見つからなくて、うろうろさまよってしまうときもある。

こんなに自分は感動しているのに文章にしてみたらペラッペラになっちまったなあ。

ちきしょう。

もう少しうまいこと表現できねぇかなあ。







……ふと思ったのだが、四苦八苦している人に「そんなにつらいならやめればいいべや」とバッサリ型の説教をかましてくる北海道民も、ほんとうは、心の中で、もう少し複雑なツッコミを思い描いているのかもしれない。

でもそのツッコミでは伝わらない。あなたの共感性イライラみたいな感情も、ぼくに対するわずかな愛情も。

そして、ぼくは、人間だれしも、ベストの言葉を選んで会話しているわけではないのだよな、ということに思い至り、ぼうぜんとして黙り込む。