2018年12月13日木曜日

病理の話(273) 耳コピと画像病理対比

こないだ、とある研究会があった。胃カメラや大腸カメラで臨床医が撮影した画像と、病理のプレパラート像とを見比べて、

 「この病変がカメラでこのように見えるのはなぜか。

  病気の姿形を作り出している細胞は、

  いったいどのようになっているのか」

を議論するという会だ。

まあぼくが良く参加している会である。



臨床医がCT, MRI, 内視鏡(胃カメラや大腸カメラ)、超音波などでみる「患者の病気」というのは、例えるならば

 ・影絵

であったり、あるいはカメラで直接みているとしても

 ・遠くから、ナナメに、表面だけをみている

ものにすぎない。

だから、病変を体から取り除いたあとに、細かく切ってプレパラートにしたほうが、病気のより細かい部分が見やすくなるし、病気の奥に潜んでいるものも断面でとらえやすい。



けれども、「とってからああだこうだ言う」だけではなくて、多くの臨床医たちは、

「とるまえに、とったあとの像を予測」

したい。

だから研究会をやるのである。




この作業は……そうだな、「耳コピ」に近いものがあるかな。

ピアノのCDを聴く。絶対音感があったり音楽にとても詳しかったりすると、音で聞くだけで、演者がどの鍵盤を叩いているのか言い当てることができるだろう。

そして、達人であれば、鍵盤だけではなくて足のペダルがどう踏まれているかもだいたいイメージできると思う。

さらに熟達した人間であれば、実際に演者がどれくらい体をひねったり、腕をどのようにたたんで、鍵盤を叩いているのかが、だいたいわかるだろう。

叩く強さ、叩く順番、配列などに応じて、ただ音を聞いているだけなのに、イメージがわいてくる。

「音」から、「視覚」を想像するわけだ。両者は別モノなのだが、相関があるので、連想することができる。




「内視鏡像」から「病理の細胞像」を思い浮かべるのもこれに似ている。

CDを聴くだけでピアノの譜面が思い浮かんだり、演奏方法までわかるようになるには、相当な訓練が必要だろうが、内視鏡像から病理像を思い浮かべるのもこれと同じくらい難しいのではないかと思う。

たまに、研究会には、そういうことが上手な「達人」がいて……。

ぼくはそういう達人たちの話をずっと聞いているのがとても楽しいのである。達人たちの話を聞いていると、この人はかつてどういう勉強をしてきたか、どういう師匠について学んだのか、日頃どこに興味があってどのように仕事をしているか、などが、ぼんやりと浮かんでくるような気持ちになるのだ。



……まあ人間観察能力があったところで病理医にはあまり役には立たないのだが、臨床画像と病理を照らし合わせるための観察能力があると何かと便利だなあとは思う。