2018年12月28日金曜日

病理の話(278) 患者とみるか検体とみるか

患者の名前を覚えている医者、というのがいる。

そんなの当たり前では? と思われるかもしれない。

けれどもこれはまったく当たり前ではないのだ。



患者と会話して、その雰囲気や顔色、言葉使い、家族構成や家庭での過ごし方などをきちんと把握してから診療に入るというのは、確かに診察の基本だ。

だから熱心で患者思いの医者であれば患者のことはよく覚えている……と考えがちである。

けれども、医者は常に患者の個人的な情報ばかりを強く記憶しながら働いているわけではない。

現代医学において患者をみるポイントというのは無数にあるし、みかたも複数ある。

たとえば救急に運び入れられてそもそも意識がない患者であれば、患者本人の話はまわりの家族や友人などから聞き取るしかない。

放射線診断部門や病理診断科のように、患者に直接会わない場合は、患者そのものではなく「患者からとりだしてきた画像や検体」しか目にしないことだってある。

そこまで極端な例でなくても。

たとえばある外科医は、患者の顔はあまり覚えていないのだが、患者のCT画像をみて、手術時に撮影したお腹の中の写真をみると「ああ、あの人ね」と思い出すという。

胆嚢や膵臓、胃などのまわりにどのように血管が走行しているか、という一点において患者のことを強く記憶しているような外科医もいる。

患者の顔も名前も覚えていないが、レントゲン写真を1枚みると「ああ、あのときにぼくが診断した、あの病気の人か」と思い出す呼吸器内科医。

血液検査データをみて「○年前の寒い冬の日に、ぼくの外来でみかけた人だったなあ」と思い出す肝臓内科医。




彼らのことを、「患者を検体としか思っていない、冷酷な医者」だとは、ぼくはまったく思わない。

実際、顔をみれば思い出すのだ。「ああ、○○さん、おひさしぶりですね」と。人間の顔がもつ情報というのは非常に深くて、実際に目を合わせると様々な連想がそれこそディープラーニング的に脳の奥から湧き出してくる。

でも、年に何千人もの患者をみている医者たちが、本当に覚えてなければいけないことが、患者の顔や名前とは限らない。





だから普通の医者はそこまで患者のことをひとりひとり覚えてはいないのだ……。

けれども、たまに、いるのだ。

無数の患者をみながら、患者のパーソナリティまで完全に記憶している、ばけものみたいな医者が。

ぼくに言わせればそういう医者は単なるバケモノであり、「実在する大魔王バーン」みたいな存在である。人間離れした異常な脳を、彼らは自慢するでもなく、こともなげにいう。

「こんなのは別に能力でもなんでもない、たまたまですよ」。

なんだそのメラゾーマではないメラだみたいな発言は。

こわいこわい。