2019年2月22日金曜日

楽あれば紀あり

浅生鴨ほどの感性を持ち合わせていないので、日頃、さほど珍しいことに遭遇しない。

……今なにげなく書いた一文を自分で読み返して、うんうん、そうだよな、と納得する。

「珍しいことに遭遇するかどうか」というのは、単純な運の問題ではない。

そもそもぼくに感性がなければ、遭遇したエピソードを珍しいと判断することができない、ということに、最近気づいた。




昔から、椎名誠のエッセイなどを好んで読んでいた。

あー大人はいいなあ。作家はいいなあ。

アウトドアができる社会人はいいなあ。

旅をすることでさまざまなハプニングに出会える。

うらやましいなあ。

ぼくも自分でカネを稼いで、いつか、多くの旅に出よう。

そう思った。

けれど、いざ、カネを稼ぎながら旅に出るようになると、旅にさほどおもしろいことは転がっていない。

旅をしたって日常だった。

なんだ、そんなものか、と思った。思ったより「楽しい旅」「ふしぎな旅」「ハプニングに出会う旅」というのはなかった。




最初、ぼくの旅がつまらない理由を、「仕事の旅だからだろう」と考えていた。

けれどもよく考えると、椎名誠だって、浅生鴨だって、いつも仕事で旅をしている。

その点はぼくと変わらない。

だとすると、ぼくがたまたま「珍妙なこと」に出会っていないのだろうか?

運悪く、「平凡な」旅を繰り返してしまっているだけなのだろうか?




いや、違う。

目の前を通り過ぎたできごとを、認識し、解釈する能力の差だ。

ある事象に対する主観がきちんと尖っているかどうか。

ぼくには、出来事を受け止めてふくらませるだけのセンスがなかった。

「起こったこと」を、「珍しいな、ふしぎだなと感じること」からスタートし、描写して、考えて、記載することでようやく、誰もが読んでわかるような「珍しいできごと」がうまれる。

「我思う故に我あり」と言った人がかつていたし、それを変奏した人もいっぱいいたけれど、差し詰め今回の話は、

「我思う故にハプニングあり」である。思わないところにハプニングなどない。







先日、ある会に呼ばれて講演をした。

運営側のスタッフは幾人もいたが、その多くが従来のキャリアパスでは説明できないような複数の肩書きを持っていた。中でも、医師たちの経歴はとても複雑だった。勤務医として活躍しながら企業を立ち上げていたり、訪問介護ステーションの経営をしながら医療広報に携わっていたり、とにかく、多彩で柔軟だった。

おまけに、見た目がシュッとしていて、おしゃれだ。ベンチャー企業の社長をほうふつとさせる。なによりみんなぼくより若かった。名刺にはCEOとかCOOとかCMとかいろいろな略称が書いてあったが、とても覚えきれなかった。

講演はいつも通りつつがなく終わった。そして打ち上げになった。

まずは講演を行ったおしゃれなオフィスでそのままビール片手に乾杯。立食形式で、あまりみたことのない鮮やかなケータリングをつまむ。塩分が少なくてうまい。ぼくはハンカチを持ってきたかどうかが気になった。スーツのポケットをそっと探ると、きちんとハンカチが入っていて安心した。

このままオフィスでだらだらと飲み食いするなんて、あまりない体験だし、おもしろいな、と思った矢先に、時間ですと声がかかった。そうか、オフィスを閉めなければいけないのだろう。すると即座に「次の店の予約があります」と耳打ちされた。そつがない。

20人くらいでお店に移動すると、何も言っていないのに食べ物や飲み物が出てきた。ぱっと見はチェーンの居酒屋なのだが仕込みが行き届いている。出てくる料理がすべてこぢんまりとしていて薄味で上品でうまかった。先付け(のような小物)を食べ終わったところでなぜかお開きとなった。

(今日はお通しみたいな食べ物ばかりだったけどおもしろかったな……)

ぼくは空腹を満たしたのか満たしてないのかわからなかったが満足していた。しかし、宴会はまだ終わらなかった。さらに次があるという。

若者は元気だな。

なんだか大学時代のことを思い出した。

翌日の予定にはある程度余裕もあったし、そのまま次の店に付き合うことにした。ところが次の店になかなか着かない。おまけにこれから電車に乗るという。少し非日常を感じはじめる。

普通、講演会とか研究会とか学会のときには、近場で何軒か飲んで解散する。講演者は(相対的に)年寄りが多いし、講演者の宿泊場所のそばで宴会をやらないと移動も手間も大変だ。それなのに電車に乗ってまで3次会の店に移動するって? おそらく何か思惑があるのだ、ぼくは何やら策を練っていたのであろう運営側の人々を見て微笑んだ。ほいほい後を付いて歩く。こんな遅い時間でも電車に人がいっぱい乗っている。

連れて行かれた先は東京ドームだった。イルミネーションがきれいだ。東京ドームシティの中には飲食店がある。ぼくのような札幌の民にとって、ドーム球場というのは試合がないときにはカーナビの目安くらいにしか思われていないが、東京ドームや福岡ドームなどは周囲も含めてアミューズメントゾーンとなっている。まあここで飲むんだな、きっと夜景のきれいなところでもあるのだろう。

そして目的地がスーパー銭湯だったのでぼくは心から驚いた。たぶん声に出ただろう。

「これからフロってことですか?」

みんな楽しそうにしている。「大丈夫ですよ、スパリゾートですから」。意味はよくわからなかったが大丈夫だと言っているのだから大丈夫だと思うしかない。とにかく流れに乗り遅れるとどうなるかわからない。こういうときはおどおどするとかえって失礼になるとも思った。

スタッフたちと一緒にそれぞれロッカールームに向かい、だだっぴろい風呂に入った。露天風呂もあった。今日はたまたま飲みすぎていなかったから良かったようなものの、もう少し飲んでいたらさすがに断っただろう。けれども東京で突然入らされた風呂はそれなりに気持ちがよかった。

風呂から上がると談話スペースの広さにまた驚いた。地方のスーパー銭湯とは違って若い人が多い。最初から夜通し飲むための場所として一定の認知を得ているのだろう。ビールを飲んで1時間ほど会話して過ごした。周りにはひっきりなしに客が出入りしていた。ぱっと見はリゾートのビーチサイドにある飲食ブース。時刻だけはド深夜だが、人々はなんだかちょっと楽しそうだった。確かにスパリゾートといえばスパリゾートだ。まったく下品ではなかった。ただ決して上品でもない。いい意味で中くらいの品性が、ゆっくりと羽を伸ばすニュアンスを感じた。自宅の延長として使う人も、飲み屋の延長として使う人もいるようだった。東京というところは、自宅以外にいかにリラックスできる場所を見つけるかで人生の質が変わってしまうのかもしれない。くだらないとも思ったが、それ以上に、共感できる自分もいて、我が内心の振り幅にどぎまぎとした。

夜2時を少しまわったところで、参加者のうち2名が居眠りし始めたのを見て、ぼくはホテルに戻ることにした。そろそろ帰ります、というとみんなニコニコと挨拶をしてくれる。まったくお疲れ様だなと思った。懇親会をするにしても体を張りすぎている。講師を連れてスーパー銭湯に連れて行くというのは運営側としてどれほどの覚悟というか手間というか。オフィスキューの衣装を担当する小松おやびんの名言「本末転倒な心意気」が脳内にちらついた。

館内着からスーツに着替え直したが、ぼくを含めて3名しか着替えない。残りは館内着のままだ。このまま朝まで飲み続けるのだろう。たいした若さだ。ぼくは心底感服してしまった。完全に大学生のやり方だ。もっとも、このスパリゾートはそれなりに金がかかる。おそらく一人4000~6000円くらいは取られていたと思うし、ある意味宿泊料金込みなのだろう。その意味では大学生っぽさは全くない。ここで稲妻のようにひらめいたのだが、そもそも「大人が」とか「大学生として」みたいなごくベーシックな年齢区分・業種区分すら、今はとろけてしまっているのだな、ということをぼくは急速に理解した。

東京ドームシティの外気温はちょうど0度くらいだった。札幌の冬と比べたら圧倒的にあたたかいが、それでも、酒と風呂でほてった手や顔の熱が少し冷まされすぎるようで、早くホテルに帰ろうと思いスマホで宿を検索した。宿泊先の飯田橋のホテルまでは歩いて14分。足早に歩きはじめた。

道すがら、このことをツイートするとしたらどうツイートするかな、ということを考えた。でも、なぜか、おもしろくいじれるとは思えなかった。珍しく不思議なことがいっぱい起こったな、と感じていたし、おもしろい一日だったなとも思ったのだが、このできごとをどう書いたら「多くの人が楽しく感じられる」かがわからなかった。

翌日ぼくは飯田橋を出てからいったん別の場所に向かい、一度用を済ませたあとで、もう一度飯田橋に戻ってきて、「紀の善」で抹茶ババロアを食べた。14年ぶりくらいになるその味は全く覚えていなかった。おいしかった。そして、不思議なことに、お茶請けに出てきた薄焼きのおせんべいの味を、ぼくは完全に覚えていて、そこで少し泣きそうになり、前日の出来事が完全に頭の中からふっとんで、こうしてラクーアのことを書いておいてなんだが、実は細かいエピソードをよく思い出せないでいる。ぼくはエッセイストにはなれない。ぼくは「どれが自分にとって一番大事なハプニングなのか」しかわからない。ぼくはあれだけ苦労した講演、あれだけ変なことが起こった懇親会をすべて忘れて、紀の善の薄焼きに涙をにじませていたのだ。