2019年3月5日火曜日

病理の話(300) 日本人ってひとことでまとめるなよ

「同じ名前であっても、実際にはまるで違う病気の集合体」の代表をご存じだろうか。

知らない人はいない病気を2つあげよう。

それは、

・かぜ



・がん

である。





かぜというのは正しくは「ウイルス感染症」だ。ウイルス、すなわち外から体内にやってくる小さな小さなエイリアンが、我々の中でいろいろと悪さを起こす。悪さというのは「せき、鼻水、のどの痛み」などだ。

この「せき、鼻水、のどの痛み」を引き起こすウイルスは一種類ではない。何種類もある。

ライノウイルスとか。コロナウイルスとか。RSウイルスとか。パラインフルエンザウイルスなんてのも。ほかにもいっぱいある。

これらは本来、ウイルスごとに、「ライノウイルス感染症」とか、「コロナウイルス感染症」と名付けるべきものだ。だって原因が違うんだからね。

でも、まとめて「かぜ」としてしまう。

なぜか?




それは対処法がほとんど変わらないからだ。

ライノウイルスだろうがコロナウイルスだろうが、かぜにかかったらやるべきことは、

「無理をせず、寝て、ほどよく水分や栄養をとりながら、時間が過ぎるのを待つ」

しかない。

ライノウイルスに対する特効薬がなく、コロナウイルスに対する特効薬もない。

またこれらを安価に、迅速に見極める検査というのも存在しない。

だからまとめて「かぜ」として取り扱うのだ。




対処方法がいっしょである病気、そして見た目にも、社会的意義を考えても、分けて取り扱う必要がない病気を、まとめて同じ名前で呼ぶ。

これはとても合理的なのである。





一方、「がん」のほうはちょっと事情が異なる。

たとえば膵臓がんという病気には多くの異なる病気が含まれている。

・浸潤性膵管癌

・腺房細胞癌

・神経内分泌腫瘍

・腺扁平上皮癌

・ほかにもいっぱい。

これらはすべて、推測される将来像(ほうっておくとどうなるか)が少しずつ異なる。治療の利きやすさ、使える薬なども異なる。

ところが世の中では「がん」とひと言でまとめられている。

おまけに、おなじ「通常型膵管癌」も、その進行度合いによって治療方法は全く違う。

「ステージ1の浸潤性膵管癌」と、「ステージ3の浸潤性膵管癌」では、医療者や患者が取り組む内容はまるで別モノなのだ。

となると、「がん」という言葉で、それぞれ異なる病気をまとめて呼んでしまうことには無理がある。

「かぜ」ほど合理的ではない。少なくとも、患者にとっては。

でも、行政とか教育においては、「がん」という存在をまとめて扱うことには、ある程度納得できるだけの価値がある。






病気の分類とか名付けというものは本当はとても難しい。

難しくて、気を遣う。

いったい誰がそんな難しい作業をしているのか、というと……。

まあいろいろな人が関わるんだけど、病気の名付けに関しては、病理医が関与するケースはかなり多い(このことは普通の医者すら知らないようだ)。

病理学とは分類と名付けの学問だ。名前がもつ「強さ」や「効果」をよく知り尽くした上で、丁寧に扱う必要がある。




……世の中に、「丁寧に扱う必要がないもの」なんて、そうそう存在しないとは思うけれど……。