2019年3月22日金曜日

病理の話(306) 顕微鏡をみる仕事ではなく

「顕微鏡をみて病気を診断する仕事です」。

日頃われわれは、病理診断のことを、このように説明する。

実際には、やまほど言いたいことがあるのだが。



たとえば顕微鏡をみていない時間はとても多い。ほかにもみるべきものはいっぱいある。

けれども、一番イメージがしやすく、他と差別化しやすいから、「顕微鏡をみてます」と伝える。まあこれが一番キャッチーだということだ。

すると、たいていの人の脳内には、パッと顕微鏡が出てきて、少し前のめりで接眼レンズにメガネをくっつけた白衣の男が浮かぶようである。

このようにして病理医のイメージが整う。



昔はこれで十分だったのだが、最近は、脳内に顕微鏡を覗き込む白衣男性のイメージを植え付けた人々から、このように問いかけられることがある。

「『みて判断する仕事』ってことですね。ならば、この先AIが発達したら、コンピュータのほうが見て判断するのはずっと得意でしょうから、病理医はいらなくなりますね」

あなたもあるいはこのような物言いを、どこかで目にしたことがあるだろう。




こういう勘違いがちらほら見られるのにあわせて、ぼくらの説明方法も少しだけ進化した。

病理診断ってどんな仕事なんですか、と聞かれたら、

「顕微鏡をみて考えて語る仕事です」

と答えるのだ。




不思議なもので、「考えて」「語る」をつけると、とたんに「AIに奪われるんですよね」とは言われなくなる。

みんなAIが考えないと思っているようだ。

AIは語らないと思っているのだろう。

まあ考えるし語るんだけどな。




ぼくはこのあたりの話を、かつて、「いち病理医のリアル」の中で、「ドラえもんに会う前に」という章を設けて、とつとつ語ったことがある。

この章が一番人気があった。

AIはいずれドラえもんになるだろうか。

ドラえもんといってもポケットから便利な道具を出すロボットという意味ではなく、「のび太と普通に会話をできるロボット」という意味だ。

そんなの無理だ、という人はいる。

けれどぼくはいけるような気がする。

そして、ドラえもんに会えるようになった日、病理医を含めた大半の人間の仕事は「理論上」失われることになる。

理論と現実とはまたちょっと違うのだけれど……。