2019年3月14日木曜日

いんようラジオもひとつのかたち

「病理の話」は300回を超えた。

今までもやってきたが、今後はもっと、昔書いた内容を定期的に掘り返して、今の読者に伝える作業をしたほうがいいと思っている。

 バックナンバーにありますから、というのは不親切だろう。SNS時代なのだから目の前に飛んできた記事にライトにアクセスしてなんぼだ。バックナンバーを掘り返すような奇特な人は、ぼくのフォロワーにはせいぜい1000人くらいしかいない。

昨日の記事にも書いたけど、説明を繰り返すごとに上手になる場合と、説明を繰り返して飽きてしまって雑になる場合があるので、そのあたりはきちんと意識して、丁寧に書き直しをしていこうと思う。

がんの話なんてのは何度語っても語り口が変わってしまう。どれが一番いい、ということもなく、記事によってアプローチするクラスタが少しずつ変わっているのだろうな。




たとえば今日の記事のような、「病理の話の間に挟まっている記事」についても触れておく。

これはつまりエッセイだ。病理の話「以外の話」なので、オールジャンルであり、ノンジャンルである。基本的に本の話が1/3くらい。あとは旅先で思ったこと、自室で考えていることなどが多い。

管理者権限でアクセス数を見ていると、病理の話も、それ以外の話も、アクセス数は毎日ほとんど変わらない。たぶん定期的に見てくれる人や、定期的にRTしてくれる人がいるからだろう。ありがたいことだ。

ぼくはもともと、「病理の話だけでは世に届かないだろう、だから一般的な話やキャッチーな話などを交互に織り交ぜて、幅広い人々に読んでもらいたい」という計算をして、このブログの「書き方」を決めた。

でも一般的な話と病理の話のアクセス数は結局変わらない。そうなのか、おもしろいなー、と思う。

タイトルが毎回「病理の話」のものと、タイトルを毎回変化球気味に設定している記事のアクセス数が変わらないのだ。広告代理店だったら首になるレベルである。



実際のところ、このブログの読者が何を思い、どういうところに引かれて記事を読みに来ているのか、ぼくはあまり「対策」していない。

どちらかというと多くの手数で違ったアプローチを「し続ける」ことに重点を置いている。ぼくの使える媒体がもしブログだけだったら、もう少しいろいろな対策をしたかもしれないが、Twitterもnoteも紙の書籍も、学術研究会での講演や論文執筆、さらには日本病理学会の学術評議員活動もあるわけで、これらにはそれぞれ異なる「読者・視聴者」がいるわけで、それぞれに少しずつ本気を出していくというのが現状、ぼくが信じている「一番広く届く手段」なのだ。



たぶん世の中には「もう少し手段を減らしてリソースをつぎ込んだほうがいいものが出せるタイプの人」がいる。一方のぼくは八方美人であり、単一の手段に依存していると自分が飽きてしまう。

こういうやり方で届く人も届かない人もいる。ぼくのやり方がうまく届かない人に対しては、ぼくとは異なるやり方で、ぼくがいいと思う手段をとっている人を、ツイッターで例えるところの「リツイート」していくのがいいだろうな、と思っている。

そうすれば、望外に集まったこのフォロワー数を、一番活用できるのではないかな、という話だ。




あと3か月ほどしたらnoteをはじめる(追記:この記事を書いたあとに結局すぐはじめました: https://note.mu/dryandel )。書く内容は、三省堂池袋の「ヨンデル選書フェア」に出した本の書評だ。数日おきに125冊程度を紹介する予定である。noteにはバックナンバーを参照しづらいという大弱点があるのだけれど、書評なんてものは日々移り変わっていってなんぼなので、かまわないだろう。もはや病理とは何の関係もない、ある意味ぼくにとっては一番エッセイっぽい企画であるが、もしかするとその書評こそが一番届く奇特な人も、世の中にはたぶんいるだろうな、と思っているのである。