2019年3月18日月曜日

ものすごいくしゃみの擬音みたいなアレ

「こんだけ働かされて今さら時間外もへったくれもあるかよぉ」

なるつぶやきを見て、へったくれとは何なのか、と少し気になった。

ググり続けていると、へったくれの「くれ」は「あらくれ」とか「飲んだくれ」と同じような意味ではないか、みたいな、本質にかすっているのかどうかよくわからない知識がいくつか手に入った。結局「くれ」とはなんなのだ。そして「へったくれ」とは何のことなのだ。

「へちまがまくれたもの」?

へちままくれ へちまくれ へっちまくれ へまっくれ……

へちまがまくれてへったくれになるだろうか?

なんだかウソっぽいなあ。「まが抜けている歴史」ではないか。




さておき。

ネットのなかった時代に、「へったくれとは何なのか」を調べようと思ったら、とりあえず辞書とか辞典のようなものを調べるしかなかったわけだ。それに比べりゃ、今のほうが、まだましか。

昔は辞書とか辞典が全てだったんだよな。

じゃあその辞書というのは、いつからこの世の中に存在しているのであろうか。




辞書 いつから で検索をする。

すると、日本最古の辞書は空海が作ったのではないか、という説が出てきた。漢字のお経をきちんと読むための漢和辞典みたいなものだろう。たぶん。

真贋はともかく、うーん、確かに空海が最初に作ったものというインパクトには心惹かれるものがあるけれど、

「へったくれって何なの」

という疑問に答えてくれているようには思えない。

ぼくが考えている、実学や雑学がたっぷり詰まった辞書とは、ちょっと違うなあと思った。

「いつの間にか世に広まって、広まりすぎて、いつしか語源がわからなくなったけどみんな当たり前のように使っている言葉」の、歴史とか、由来とか、隠れた意義とか、そういうことをきちんと書き記した書物。

いったいいつから歴史に登場したのであろうか?

この疑問は、結局、調べても調べてもよくわからなかった。

Googleは博物的な事象の羅列にはかなり強いけれども、時系列をどんどん遡るタイプの検索には(強いことは強いけど)もろいこともあるなあ。

今この瞬間に世の中にあるモノについては、とても多くの人々が一斉に調べて、書いて、探って、とやっている。

けれども過去に生じたことは、過去の段階で記録していなければ、あとはもう考古学といっしょで、推理して仮説を打ち立てるところまではいけるのだけれど、その先の「こたえあわせ」は決してできないのだった。




仮説形成法(アブダクション)は、ぼくの仕事においてはかなり重要なのだけれど、帰納法や演繹法に比べるとちょっと立場が弱い、脳の使い方。

きらいではない。むしろ好きだ。

「へったくれの由来は、へちまがまくれたものじゃないかな。」

「辞書をはじめて作ったのは、空海さんだと思うよ。」

これらの仮説がどれだけ確からしいのかをじっくり調べていく作業は楽しい。

けれども、うん、Googleには荷が重いなあと感じる。

アブダクションはビッグデータやAIとの相性が、良いようで、悪い。

アブダクションは人間がアナログな脳作業でやっていかなければいけないんじゃないかなあ、と思う。