2019年4月2日火曜日

吉本新皮質

先方のミスで、ぼくのメールが見逃されていた。

「迷惑メールに入っていたのかもしれません」などと言われたが。

それがウソだというのははっきりわかった。

ぼくのメールが迷惑メールに入っていた可能性は、確かにゼロではない。

でもぼくは、先方が単純に間違えたのだろうと思った。

根拠はない。

けれども、しいていえば、電話がかかってきたこと。それが根拠だ。

電話口でもわかるくらいに汗ばんだ人から、あわてた声で。

ああ、この人は、間違えたのだろうと思った。




ぼくは、

「確かに、迷惑メールとして判定されたのかもしれませんね」

と答えた。つまりは怒らなかった。




どういう対処が「正解」なのかはわからないなーとも思ったが、

「責めたり、なじったりして、状況をいい方に持っていけることはめったにない」

という格言のような文章が、最近ぼくの脳内に掲げられており、ぼくはそれに従った。




人間活動を俯瞰すると、数パーセントの人為的なミスというのは絶対に防げない。

誰かを怒っても、けなしても、今後につながることなんて、ない。悪い人なんていないのだ。

最近そういうことをよく考える。





ぼくはデフォルトだともっと怒りっぽい人間なのだと思う。

でも最近は、大脳の表面による抑制がうまいことかかっている。あんまり怒らなくなった!

……ただ、見る人から見ると、ぼくは怒りを抑えているつもりなのに、ぜんぜん抑えられていないのだという。

「今、怒ってるでしょう。」

「口数が少なくなっていると、ああ、怒っているなあと思いますよ。」

難しいな、機嫌が悪いときに黙り込んでもいけないのか。

そこでぼくは一計を案じた。「なるべく怒らない」だけで通じないと言うのなら、なるべくニコニコしていることにしよう。




名実ともに中年になって、よかったなあと思うことがひとつある。

バカみたいにずっとニコニコしていても、不自然に見られなくなったこと。

ぼくは、最近、ずっとニコニコしている。

万が一にも不機嫌を悟られることのないように。

……そもそも、不機嫌で居続けるほどの体力も、もうないのだ。

残された選択肢はそんなに多くない。