2019年5月31日金曜日

病理の話(328) 病理医は細胞の何をみているか

今日のは熱心に病理学を勉強している医学生向けだよ。よろしくね。なお、後半ではちょっとエッチな人妻が登場するよ。



顕微鏡で病気の細胞をみるとき、ぼくら病理医はいったい何をみているのか。

よく「細胞の顔つき」などと表現される。これはいかにも主観的だ。

細胞が癌かどうかは、病理医の気分によって決められている! なんて、したり顔でつぶやく人もあらわれてしまう。

けれども実際にはもう少し客観的で、根拠がしっかりとある観察をしている。今日は、そのへんの話をしよう。あと1000文字くらい書いたら、エッチな人妻を登場させるから待っててね!





すべての細胞は、あるべきタイミングに、あるべき場所で、決まった働きをすることが望まれている。

配置。周囲との関係・量比。機能。そして活動している時間の長さ。

これらは、すべて細胞ごとにコントロールされていなければいけない。そうしないと、人体という複雑なシステムは自己を保っていられない。

逆にいえば、これらのどれかが狂っている細胞は、「がん細胞」かもしれない。正常の細胞からかけ離れた何かを示している細胞を探す。それが、病理医の仕事だ。



一例をあげよう。



細胞の「配置」は、細胞同士のくっつき方とか、細胞が作り上げる構造の形をみることで、わかる。

細胞がしっかりと手を繋ぎながら並んで、試験管のような構造を作っているならばよし。

細胞どうしの手の繋ぎ方がおかしく、細胞と細胞の距離が一定せず、試験管であるはずのものが丸底フラスコみたいになったり、三角フラスコみたいになったり、あるいは枝分かれする”しびん”のようになっていたら、異常だと判断する。

これらのうち、特に、枝分かれはやばい。

試験管を作るはずの構造が枝分かれしているときには、どこかに必ず、「本来の細胞どうしの手の繋ぎ方では達成できない、分岐」がある。

手が2つしかない人は、両隣の人としか手をつなげない。人が手を繋いで並んでいる限り、「分岐」なんて起こりようがないのだ。

それなのに、人の列が「分岐」しているとしたら、誰かが手を3本以上持っているということになる。

わかるかな? 分岐がないはずの構造が分岐する、というのは、「圧倒的な構造の異常」なのである。




手が2本あるか3本あるか、というのは、「主観的」に決めるものではなく、「客観的」に判断できる。

「なんとなく正常の構造からかけ離れている細胞集団を探せ」というと、えらく主観的な作業に感じられてしまうけれどね。

病理医は、「なんとなくかけ離れを探す」のではなく、「根拠をもって、客観的に、かけ離れを意味する像を探す」のだ。それが職能である。





ごめんね800文字ちょっとしか書かなかったわ。1000文字に達しなかったので、エッチな人妻はまた今度にします。残念ですね。