2019年5月20日月曜日

ともだちのゆくえ

嬉野さんと「友達」の話をした1日ほど前に、ぼくは自分の半分くらいの年齢の優秀な男と、友人になった。

こちらからお願いした。願いが叶って良かった。

彼はぼくに「報酬をどうすればよいでしょうか」と尋ねてきたのだ。

そこでぼくは少し考えて、

「報酬というか、そうですね、友達になってください。お仕事については、友達としていろいろアドバイスさせていただきます。それ以外の報酬は必要ないです」

と言った。

そして、すぐに、付け加えた。

「ぼくは病理学会の、社会への情報発信委員会に所属しています。
ですから、御社の技術が進歩して、優れた病理技術が生まれていく様子を、みなさんの迷惑にならない程度に発信させて頂ければ、それが公的な利益になります。
ぼくは公的な利益を追究することで役目が果たせます。
役目が果たせればそれが報酬になります」




新しい友人と別れてから、ぼくは、「報酬として友達になってくれ」と言った自分を、おもしろく感じていた。

その翌日、嬉野さんと全く違う話をしていたはずなのに、「友達」の話になって、なんだかつながっているなあ、と感じた。

なお嬉野さんのところの若い夫婦とも友達になった。

ぼくは出張している間に、複数の友達ができたのだ。





ぼくは友達を労働で買っている。

「言い方~」とつっこまれて、アハハと笑って終わりにする程度の話であるが。





藤やん・うれしーとの対談を見た犬は、「20代のヤンデルが成仏しているようだ」と言った。

「青春の蹉跌をこれほど見事に成仏させることはなかなかできない」と言った。

しかし、ぼくはそもそも、前日に成仏していたのだと思う。

あくまで、仏に成ってもゲラゲラ笑える、ということを証明したに過ぎない。