2019年6月14日金曜日

病理の話(333) グレーゾーンをどう語るか

國松淳和先生の「仮病の見抜きかた」は芥川賞の候補作になるべき作品なのでぜひ読んでほしい。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784307101974

この本はブンガクなのであるが、ゴリゴリの医学書でもある。

医学書? そんな、小難しい医学の専門知識を使ってミステリとかやられても、ワシにはさっぱりわからんで! という反応も予想されなくはないのだが、ぼくは最近思うのだ……。

ぼくら、ルミノール反応がどうとか、死後硬直がどうとか、くわしいことはまったく知らんけど、刑事ドラマ普通にみてるやんけ、と。

京極堂が何言ってるかぜんぜんわかんなくても、憑き物落としの空気感は、十二分に楽しんでるやんけ、と。

たぶんこの「ゴッリゴリの医学書なのに芥川賞GO」というニュアンスも、ふつうに世間には通じるのではないかと思う。

だからあなたが医療者じゃなくてもぜひ読んでみてほしい。おもろいで。理不尽さもある。爽快感もある。



最近は、医学情報だからってなんでもかんでも、噛んで含めて子どもに教えるように……読者を子ども扱い・素人扱いして平易に語らなくてもいいんじゃないかナーとか、考えており。






さて今日の話は、國松先生の本に出てきたあるフレーズから連想したものである。

詳しくはネタバレになるので書かないが、この本のある章において、國松先生は、「グレーゾーン」みたいな部分のことを重層的に語るのだ(とってもすばらしい表現なのでぜひ体験してもらいたい)。

医学というか医術には「グレーゾーンをどう扱うか」という大きな命題がある。

あなたはかぜです、ズバーッ、見事に診断が確定して、その瞬間にふさわしい治療が決定する、というクリアカットな臨床ばかりではない。

優れた臨床医というのは、白黒はっきりしない中間色の部分に対する「さじ加減」が見事だ。

ただ……同じ医療者と言っても、病理医の場合は、どうも事情が異なるように思う。




臨床医が、粘膜から細胞を採取して、病理に提出する。

「これはがんですか、あるいはがんではない、なんともない粘膜ですか?」と、まさに、白黒決めてくれ! という願いを込めて、病理検査室に検体を搬送する。

ここで病理医が、「グレーです」というと……

冗談ではなく、ほんとうに、ありとあらゆる医療現場が「困惑」するのだ。





病理に出しても決まんないのかよ!

直接細胞みても決まんないのかよ!





そう、われわれ病理医は「ジャッジメント」をする立場である。臨床にはグレーゾーンがあることをわかった上で、それでも、細胞がシロかクロかだけは二択で決めてよいだろう、という裁判官だ。

しかしご想像のとおり、病理医も、「こりゃグレーだな」と言いたくなる瞬間は経験する。




たとえば細胞をみて、細胞核が異常に大きくなっており、かたちもいびつで、正常の核からすると明らかに「かけはなれている」としても……。

周囲に強い炎症がある場合には、この「かけはなれ」は、がんだからかけはなれているわけではなくて、炎症のせいでたまたまそのときその場所だけかけはなれてしまっているだけかもしれない、みたいなことがある。





そこで病理医はこう書くのだ。Group 2, indefinite for neoplasia, と。

Group 2というのは「白黒決められません。すみません」という意味。

Indefinite for neoplasiaというのも、「腫瘍かどうかわかりません。すみません」という意味。





で……みんなが困惑するときに……こう……どこまでその「グレーさ」を雄弁に語れるかどうかに、病理医の底力が出る、と言っていい。




ダメレポートの例はこうだ。

「Group 2, indefinite for neoplasia.
がんの可能性も炎症に伴う反応性変化の可能性もあります。決められません。再検してください。」

こういうレポートは、結局のところ、「グレーでした。」しか言っていない。

なぜグレーと判断したのか。同じグレーにしても、白よりのグレーなのか、黒よりのグレーなのか。

そういったことが書かれていない。要は依頼してきた臨床医に対してまともに向き合おうという気持ちが足りないのである。

医療者が患者に優しくするのはあたりまえのことだが、同業者、医療者同士でも優しくしなければ、ぼくらは人としてなにかちょっと足りねえんじゃねぇかな、って思う。





よいレポート……というか、四苦八苦が伝わるレポートはたとえばこんな感じである。

「Group 2, indefinite for neoplasia; suspected of tubular adenocarcinoma.

 ある程度の領域性をもって、核の腫大、核縁の不整、クロマチン量の増加を呈する異型核をもつ細胞が、正常と比べて大小不同性が際立つ腺管を形成して増殖しています。周囲の正常粘膜との間に境界(フロント)があるように見えるため、癌である可能性をまず考えます。ただし背景に強い炎症が出現しており、炎症の強い部で核異型が強くなる傾向が一部に垣間見られるほか、フロント形成がはっきりせずグラデーショナルに非腫瘍粘膜に移行するような像も一部にみます。

 以上、得られた細胞所見からは、癌のほうをより強く疑いますが、非癌の再生粘膜である可能性がわずかに残ります。「癌>>炎症に伴う再生異型」です。内視鏡所見上、検体が採取された部が病変の真ん中あたりにあるにも関わらず、非癌粘膜が大量に混在している点も気になります。臨床的にピロリ菌除菌後であれば非癌粘膜の混在は十分ありえますが、そうなるとなぜ大量の炎症が出現しているのかが解釈できません。臨床像をあわせた追加検討が必要です。再検の是非については直接電話連絡します。」

そしてこのレポートを登録・送信したあとに、直接臨床医に電話をかける。





グレーがグレーであるという「文脈」を共有しないと、医療者に依頼されて働く医療者としては誠意が足りない。

文脈の共有というのは、ときに、過剰な干渉にもつながる。うっとうしいと思われてはもったいない。

日ごろから、「ぼくがこの病院で病理医をやっています」という自己紹介を欠かさず、臨床医ときちんと関係を築いていないと、病理がグレーになるたびに電話をするという「うっとうしさ」の理解が得られない。

……グレーね。

褐色とかでもいいか。

あっ國松先生のネタバレになるからもう書かない。とにかく、「グレーゾーンの医療」には、(患者にとってはたまったものではないので申し訳ないのだが、正直)やりがいがあり、武者震いする部分が、確かにある。