2019年6月24日月曜日

病理の話(336) はたらく細胞という勇者

ずーっと、医療情報をどう伝えるか、という話を考えている。

……いやうそだ、ずっとは考えてないな、たまにだ。

そこまで頭の中、医療情報の教育とか啓蒙にあふれてはいない。

すっごい体調いい日だとして、1日1回考えることがある、くらいかな……。

でもまあ考えてるほうだよ。

もっと考えている人はいるだろうから、あんまり大きなことは言えないけど。




その程度のぼく。

その程度のぼくが、医療情報発信において「最強」だと思っているのはマンガ・アニメの「はたらく細胞」だ。

何度かネットラジオ(いんよう! https://inntoyoh.blogspot.com/ )でも話したし、「よう先輩」の受け売りの部分も多いんだけど、やっぱあれが啓蒙力としては群を抜いていると思う。




免疫、という得体のしれない言葉、漢字の画数は少ないけれどめったに書かない単語から、人々が連想できるイメージというのは漠然としている。わかってるようなわかってないような。


好中球、Tリンパ球、マクロファージ、などと細胞の名前を列挙されてもポカーンであろう。

これは別に素人だから、とか、医療の教育を受けていないから、とか、そういう問題ではない。そもそも医療現場で働いているぼくらだって、知っているような顔をして、実はあいまいであやふやだったりする。

たまに言われることだけど、そうとう優秀な医者であっても、現在の複雑化した医療情報を人に話すときに、自分の記憶だけでスラスラ語れることはまずない。

何も見ないで語っているように見えても必ず相手の目線が届かない死角でスマホをスッスとフリックしているものだ。

たとえば腎臓の機能と電解質とホルモンの関係。

あるいは神経診察の詳細理論。

ピロリ菌陰性胃における食道胃接合部癌のリスク因子。

膵管胆管合流異常症における胆嚢粘膜の変化とそのフォロー方法……。

これを全部暗唱している人がいたら本物の大天才である。

そして、そんな本物の大天才であっても、きっと、甲状腺PTC-CMVとHTNが同じような超音波画像を呈する理由については即答できないはずなのだ。




で、今、いったい何を書いているんだろう、と読者が多少の立腹をしたところで、あらためて、「マクロファージのはたらきかたは?」という質問を投げかける。

「ハァ!? そんなの知るかァ!」

これが普通だ。

非医療者だけではない。医者にとってもだ。

こっそり後ろで検索しなければ、普通は答えられないレベルの質問だったのだ……

「はたらく細胞」が出てくるまでは!





マンガ「はたらく細胞」を読んだことがある人、あるいはアニメ「はたらく細胞」を見たことがある人であれば、

「あーなんかお掃除してるよね。お掃除が得意そう。」

「けっこう攻撃力強いんだよね。スッとやってきてめっちゃ殴ってるね。」

「たしか骨髄の中で赤血球を教育してなかった?」

みたいなことをサッと答えることができる……(ほんとである)。

たぶん、子供でもだ。

これがいかに異常なことか、想像してほしい。





人間は、そう簡単には文字の羅列を記憶できない。それが大事な意味を含んでいるとわかっていても、概念図をいくら描かれても、登場人物が異常に多い群像劇というのは、そう簡単には覚えられない。

相関関係が多すぎるとそう簡単には覚えられない。この一文を口に出すと実はちょっとダジャレっぽいです。




ところが、そんな複雑系に「ストーリー」とか「人格」が加わると、なぜかわからないのだがぼくらはその群像劇を一気に覚えることができてしまう。そして「絵」や「声」が果たす役割が、非常に大きい。

たとえばぼくはもともと司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでいた。けっこう好きで、何度も読んだ。でもぶっちゃけ坂本龍馬を含めた一部の人間のことしか覚えられないでいた。

けれども、小山ゆうの「おーい!竜馬」を読むと、何十倍もの登場人物の、ふんいき、しゃべり方、どんな立派なことをしたか、何をやらかしたか、みたいなことを一気に覚えてしまった。

NHK大河ドラマ「新選組!」が放映されたあと、世の大半の人々がそれまであまり知らなかった山南敬助や井上源三郎、伊東甲子太郎などに、おもいっきり感情移入してしまうという事件が起こった。これも「一緒」だと思う。





ストーリー、キャラ。これらを支える、絵、動き、声。

こういったものがあると、人間はけっこうな規模の複雑系をまとめて覚えることができる。





ほかの動物よりもはるかに高度の社会性を構築することで我々人類は生き延びてきた。

群像劇の極みである社会を保つ上で、ひとたび【ドラマ】を見たら、すかさずそこに潜む複雑な関係性を理解し、想像し、斟酌して忖度して、感情移入して、所属することができるというのは、生存に必要な本能なのかもしれない。

ぼくらの脳はそういうふうに最適化されているのではないか?








「なーんだ、だったら、医学教育においては、難しい概念をぜんぶマンガにすりゃいいじゃないか。アニメにすりゃいいじゃないか。はたらく細胞だってできたんだろう?」

とんでもない。

ぼくらは「はたらく細胞」をみて度肝を抜かれたのだ。そこ擬人化できるのかよ! と。

考えても実現できなかった。理屈はわかっていたが実現ができなかった。

やれるものならやってみたい。

電解質だって。

神経制御だって。

自己免疫システムだって。

発がんについてだって。

ぜんぶ擬人化して、ストーリーにして、声をあてて、演じてほしい。そのための脚本を用意したい。

けれども難しいよ……。






ほんと、「はたらく細胞」というのは、ぼくら「医療情報発信を志すもの」にとってのラスボスなのだ。

ラスボス?

違うか。

一緒に戦ってくれるんだもんな。ていうかぼくらよりよっぽど強くて優秀だ。やさしくてたよりになる。みんなに愛される。

そう、はたらく細胞というのは勇者なのだ。ラスボスなんかではない。





けれどもいつか倒したい。