2019年6月28日金曜日

病理の話(338) 誰に向けてレポートを書くのか

今回の記事は特に研修医あたりをターゲットとして書く。




……と、いうように、記事にはある程度のターゲット設定がある。誰でもやってることだろう。札幌のすし屋についてのブログを書くならターゲットはおすしが好きな人。ナマモノがいっさい食べられない人は、すし屋についていっぱい書かれたブログはあまり読まないと思う。

もちろん例外はいくらでもあるだろう。自分ではおすしは全く食べないけれど、札幌にお客さんがやってくるときに、おすしを食べたいと言われたから急いでお店を探している……みたいなニッチな人も、記事にたどり着く可能性はある。

だからといってブログ記事の最初の部分に、

「みなさんこんにちは! おすし好きですか? おすし食べられない人もいますか? おすしが好きな人は自分がおすしを食べるときのことを、おすしが食べられない人は誰かにおすしを食べさせるときのことを、おすしで商売している人はすし屋がどれくらいもうかるのかってことを、考えながら今日の記事を読んでみてください!」

とは書かないと思う(こんな記事も読んでみたいとは思うけど)。



やっぱり書き始めるならこうだろう。

「おすし、おいしいですよね! 今日は札幌のステキなおすし屋さんをいっぱい紹介しますよ!」






病理診断報告書、すなわち病理のレポートも、これと同じだと思う。

どんな人が読むかはわからない。ターゲット外の人が読む可能性はある。

だから、病理に対して知識がある人も、知識がない人も、読みやすいようにレポートを書くというのはきわめて大事なことだ。レポートをバリアフリー化しておく、みたいな。

けれどもその上で、やはり、病理レポートというものは、

「病理診断に興味がある人がよろこんでくれるように書く」。

「病理診断に期待している人をターゲットとして書く」。

これがいいんじゃないかなーと思うところがある。





どうせ大多数の人は専門的な病理レポートなんて読まないだろ? 良悪だけわかってりゃそれで大半の臨床医は十分なんだからさ!

とか。

あとで責任問われないように、Aという意見とBという意見とCという意見をひたすら併記しよう。この所見はAにマッチするけれど、この所見はBにマッチするし、しかしこの所見がCを示唆するから……

とか。

これって病理診断を大事にしている、病理診断に興味がある、病理診断をよりどころにしている、本来のターゲットたる人を、ないがしろにしたレポートじゃないのかなーと思うのだ。





すべての文書は当たり前だけどコミュニケーションである。ツールというよりも、文書そのものがまさにコミュニケーションの現場そのものだ。病理医というのは患者や医者と直接しゃべる機会がそれほど多くない(多い人もいるけどさ)。だからこそ、文書の中に、自分の思いの丈をほどよく書いておかなければ、それはやっぱり、伝わらないのである。病理に興味がない人もいるからさあ、とか、病理にあまり難しいこと書いても臨床医はわからないだろうしさあ、とか、そういう言い訳はおいといて、とりあえず、病理医自身は、何を思って何を信じて何を伝えたいのか。




という内容の今日の記事を、ぼくは今日、病理医に興味がありそうな研修医をターゲットとして書いた。