2019年7月2日火曜日

病理の話(339) がん細胞の気持ちなんて誰にもわからない

がん細胞が何を考えて、どう動いているか、いつどこでどのように増えているか、みたいなことをしょっちゅう考えているので、気持ち悪がられる。



たとえば胃がん。

胃にがん細胞が発生することを考える。

まず、細胞1個が、がんになる。というか、1個のがん細胞が生まれる。

そこからがん細胞は分裂して、地道に仲間を増やしていく。

細胞1個だったがんが、目に見えるサイズ……たとえば5mmとか1cmという大きさまでに増えるまで、何年もかかるのだという。

そして、この前後で、最近の研究によると、胃の中にピロリ菌がいるときのほうが、ピロリ菌がいないときよりも、がん細胞が増えるスピードが若干早いのではないか、みたいな説がある。

ところがこれの検証はまあめちゃくちゃに難しい。だから決着がついていない。



たとえば、培養細胞をお皿で増やしてそれを観察したらがん細胞の増殖スピードはある程度わかるとは思うのだが、それはお皿で増えるときのがん細胞の挙動であって、胃で増えているわけではない。

がんだって人間だ(?)。環境に応じて、増えやすいなーと考えている(?)ときもあれば、なんか増えにくいなーといらだっている(?)ことだってある。

お皿は所詮お皿であって、胃の環境を完全には再現していない。胃にあるなんらかの物質ががん細胞を手助けしていたり、逆に邪魔していたりすることを再現できていない。

だからがん細胞の増殖スピードなんてものを調べるのはとても難しい。



人間の体の中で、がんがどれくらいの早さで大きくなるかを調べてみればいいじゃないか、と思うかもしれないが、それは結局のところ人体実験である。

5mmで見つけたがんが、2cmになるまで放っておくというのは倫理的に許されない。

もし、さまざまな理由で、たまたま5mmのがんが2cmになるまで治療ができない状態が達成されたとする。特殊な背景がある患者で、手術が絶対にできないとか、ほかにでかすぎる病気があるので小さい胃がんは放っておこうと判断されたとか。

そういうレアケースで、実際に、胃がんの大きくなるスピードが測定されたことはある。

けれどもその1回の研究が、胃がん全体の挙動を表しているとはいえない。

だって、ほかにでかすぎる病気をもっていない、普通の人に発生する胃がんが、その手術できない人のがんと同じとは限らないからだ。

でかすぎる病気とやらが全身になんらかのシグナルを発しており、それによって胃がんの挙動もコントロールされていたらどうなる?




というわけで医学者……というか科学者は、さまざまな理由で、がんが大きくなるスピードみたいなものを調べるときに非常に苦労する。

困った末に、統計学的な手法を使う。

多くのがん患者をみて、さまざまな統計を駆使することで、なんとなく、推定で、がんはこれくらいのスピードででかくなるんじゃないかなーと予想をたてる。そこまでしかできない。

おかげで科学者の統計学的な知識とか技術ばかりがめちゃくちゃに向上して、いまでは、統計学によってけっこうな量の推測がなされるようになった。

統計学以外にも推定の方法はいっぱいあるけどね。




でもぼくらはやっぱり、ときどき思うのだ。

がん細胞1個1個がどうやって動いて、どうやって増えているのか、もっとリアルに見てみたい。できればがん細胞の気持ちを聞いてみたい。お前らはいったいぜんたい、今のこの胃の環境だと、増えやすいと思っているのか、はたまた増えにくいと思っているのか。

犬のしゃべる言葉がわかる機械が開発できるっていうなら、がん細胞がしゃべる機械を開発してほしい。そして、がん細胞がいやがることばかりをする仕事につくのだ。どうだ、いやだろう、気持ち悪いだろう、増えづらいだろう、もうがんであることをやめたくなるだろう……とささやきながら反応を見るのだ……。




冒頭に書いた、

「がん細胞が何を考えて、どう動いているか、いつどこでどのように増えているか、みたいなことをしょっちゅう考えているので、気持ち悪がられる。」

という文章がどうも不完全だったようで、たぶん、ぼくが気持ち悪がられる理由はほかにもあるんだろうなあと、推測する。