2019年7月5日金曜日

特定ほっこり食品

買ったお茶、コンビニのレジで、値段が妙に高いなと思ったら「体脂肪を減らすのを助ける」と書いてあった。まあそのまま買ってしまった。

人の体脂肪を減らすのを助ける分、お給金が上乗せされている、ということらしい。

このお茶を夜に飲むと、深夜料金がとられて余計に高くつく。

大晦日や正月、大型連休などのときも、きっとこのお茶は高い。

それが、「人に金を払う」ということだ。ぼくは大人なので、世界の秘密を知っている。




ぼくは最近だれかを助けているだろうか。

だれかの体脂肪を減らすくらいの役には立っているだろうか。

人の役に立たないとお給料がもらえない。逆にいえば、お給料がもらえているならば、誰かの役には立っていると信じたい。

少なくともこのお給料は自分の役には立っているけれど。そういう言葉遊びのレベルではなくて。

だれかのお役に立ちたい、と、思うことはいっぱいある。泉野明だって「お役に立ちたい」と言っていたではないか。






しかし今あらためていろいろ見回してみると、人間ってのはそこまで他人の役に立とう役に立とうと肩に力を入れていなくても、わりとやっていけるいきものなのではないかな、と思わなくもない。

個人ががんばってどうこうしたっていずれつぶれるだけだ。だからほかの動物よりはるかに育った脳を使って、一人一人がそこまでがんばらなくてもなんかうまくいくモデルとかシステムみたいなものを必死で、何世代もかけて、組み上げてきた。

だから今はあんまり本気を出さなくていいはずなのだ。

お役に立たなくたってやっていけるのだ。






けどなあ、手元のお茶を見ながら思う。

どうせこのお茶は体脂肪なんて減らしてくれない。

体脂肪をコントロールすること、血圧をコントロールすること、かぜをひかないこと、このあたりが、お茶ひとつでほんとうに達成できたらそれはなんらかの賞をあげなければならないほどの快挙である。

人体は群像劇なのだ。お茶ひとつで戦局が変われば苦労はない。

つまりこのお茶だって、お役に立たないんだ、ほんとうは。

でも「役に立ってみせますが?」みたいな顔をして、無知なくせにさ、ラベルにきちんと「体脂肪を減らす」なんて書いちゃって、おかげで多少高い値段でも人々に買ってもらえる。





あっいいなああーって思うのだ。

これくらい無責任にお金稼いでいいんだ、ぼくら人間は。

お茶にできて人にできないことがあるか。




……まあできないんだけどな。なぜって、お茶と違って、人間はけっこう誇りみたいなものを持っているからなのだ。