2019年9月19日木曜日

病理の話(366) 医者の世界での先生と生徒

人間は経験を積むごとに、考えることが上手になっていく。

毎日サッカーボールを蹴っていれば少しずつリフティングが上手になるように。

ただ、サッカーのほうはどうか知らないけれども、思考の方には確実に、「上手になるコツ」がある。

たとえば、今医療現場で行われているいくつかの「勉強会」は、このコツを踏まえたものになっている。というかコツを外した勉強会は自然に消滅していく。出てもつまらないし役に立たなければ、人は集まらない。





毎日、患者と話し、きちんと診察をして、治療を繰り返していれば、それだけで医者は上達していくものだ。しかしたいていの医者は、心のどこかで、「それでは足りない」と思っている。

サッカーがうまくなりたい子が、ときおりサッカースクールでJリーガーのコーチを受けたいと思うように。

医者もまた、自分よりうまく診療している人間のコーチをうけたいと思う。

あるいは、自分と同じくらいのレベルの医者が体験した「レアな失敗談」とか「苦労話」を聞きたいと思う。一緒に考えてみる。

そうするときっと、自分の病院でだけ研鑽するよりも、もっと早く、うまくなれるのではないか……。




だから「勉強会」や「講習会」に出る。科にもよるが、好きな人は2週間に1回くらいのペースで出ている。

逆に、まったくそういう会に出ないタイプの科、ひたすら自分で努力を繰り返すタイプの医者もいる。けれども最近は、勉強会や講習会がなかったとしても、ウェブで動画講習があったりする。

完全に自分の経験だけで研鑽を積む医者はだいぶ減ってきている。




おもしろいなーと思うのは、そういう会で医者たちがしゃべる言葉使いだ。

お互いに先生先生と呼び合うのである。

どうみても生徒、みたいな人も先生と呼ばれる。

先生という言葉の本来の意味は完全に消失してしまっている。「ミスター」くらいの意味で「先生」を連呼する。

うける。

病院でいつも先生と呼ばせているはずの医者。

勉強熱心で尊敬できそうな、まさに「先生」タイプの人ほど、勉強会で先生先生と連呼しながら生徒をやっているものだ。





ちなみに画像系の研究会や勉強会に病理医が呼ばれるとき。そこでは病理医は文字通り「先生」扱いをうける。

ほかの医者たちが難しいと思った理由、診断を間違えそうになった理由などを、病理医が解き明かす役割を与えられるからだ。

勉強会や研究会を外からみていると、まさに、「病理医だけは真の先生」みたいに見えることがある。

これをもって、Doctor's doctorなどという生意気な二つ名がついたんだろうな。

そのように確信する。





けれども当の病理医であるぼくは……。勉強会や研究会で病理解説をするときはいつもあせだくだ。

臨床医たちがするように、お互い先生先生と呼び合ってはいるけれど。

「おれたちの勉強の足しにならないことをいってみろ、てめぇの鼻の穴から大腸カメラをいれてやるぜ」

くらいの厳しい目線に常に囲まれた状態で、病理の立場からコメントをしなければいけない。

もうみんな、先生って呼び合うのやめようぜ。

同志とかにしないか? なあ!