2019年9月30日月曜日

病理の話(369) 病理診断ネットワーク

病理医はもちろん日本全国にいるのだが、その所在はだいぶ偏っている。たとえば東京には何百人もの病理医がいて、特に若手はけっこう余っているとすら言われている。まあ実際にはたからみて、現場の話を聞いていると、それほど余っているようには見えないんだけれど、やっぱりほかの地方から比べると頭数はそれなりに多い。

しかし、地方はひさんだ。

北海道などはまだマシなほうで、100人もの病理専門医がいる。

……いや、待ってくれ、人口550万人が暮らす北海道に、病理医が100人しかいない! たいへんだ!

くわしい計算ははぶくけれど、たとえばアメリカだと、人口が550万人くらいいれば基本的に病理医は500人くらいいてもいいのではないか、とされている。それくらいいても経営が成り立つということだ。なのに、北海道には100人しかいない。

そもそも単純計算で、一人5.5万人を相手にしろってことである。横浜にあるサッカーの大きなスタジアムを満員にした状態で、病理医がたった一人で、ハーフウェーラインあたりからそれを見渡して、ホイッスルを吹くのだ。「きみたちの病理はぼくにまかせろ」!

そんな無茶な審判をやらされる方の身にもなってほしい。

おまけにこの100人、半分が60歳以上だろうと言われている。この数字が出たのが今から7,8年前だからみんな7,8歳分年を取ったぞ。

あんまり言いたくないけどそろそろみんなs……疲れて引退したいと思っているぞ。



似たような構造は、ぶっちゃけ、「東京以外」のほぼ全ての府県で起こっている。

人数はいつも偏っている。山陰の某県なんて、県内に病理医が一ケタしかいないって話だぜ。やばいぜ。



病理AIが病理医の仕事を奪うというならさっさと奪ってくれないとぼくらしんじゃうよ、というのが正直なところである。




しかし、病理AIの正体がわかるにつれて、いろいろ、なんか、見えてきた。どうもAIによって仕事がラクになっても、人間が病理医として働くことは依然として必要らしいのである。

かつてぼくが著書『いち病理医のリアル』に書いたような、人には人にしかできない仕事があるよ的な話もそうなのだが、それ以前に、

・学問

・科学の発展

・心のケア

においては、AIは手が出せない。だから人がきちんといないとこの仕事の全部は回らないのである。

病理医は患者に合わないから人間らしい心を持っていなくてもいい、なんて言っているのは、今や、病理医とまともに働いたことがない一部の医療者だけだ。たしかに病理医は患者とは顔を合わさないけれど、医療者たちとガンガン顔をつきあわせてコミュニケーションをする。だから病理医も人間なのだ。……こんな大前提をいちいち確認しなければいけないくらいに、病理医という仕事の知名度はかつて低かったわけだが、今はフラジャイルという優れたマンガがあるから、このブログの読者も大半はきっと、「そうそう、病理医ってコミュニケーションだいじだよね。」って、わかっていただけると思う。



……岸……? 知らない人ですね……。




「ガンガン顔をつきあわせてコミュニケーションをとる」というところに、実は病理医の仕事をやっていく上でかなり大きな要素が潜んでいる。つまり病理医はほかの医療者と同じように、ある程度は群れていたほうがいい。

顕微鏡を見ながら。

臨床医の相談に乗りながら。

カルテをおいかけ、検査データを把握し、各種画像診断に思いを馳せながら。

ぼくらは同時に、コミュニケーションをとり続ける。

たった一人で顕微鏡診断に邁進するなんてのは、本来、病理医の業務の一面でしかない。

「誰かと語り合い、科学を極めながら、臨床医学の精度を上げる」ことこそが、病理診断医の職能だ。




ただねえありがたいことにね。

このコミュニケーション、直接対話じゃなくてもいいかなーとは思うね。

たとえばスカイプでかなりいけるね。

顕微鏡画像を画面共有なんかできると最高だね。

でも、顕微鏡画像は患者の大事な個人情報だ。それに、600倍まで拡大した画像をじゃんじゃんネットにアップロードすると容量がパンクしちゃう。

だから、病理の画像をやりとりする専用のシステムをきちんと構築しよう。

もちろん画像をみながら病理医同士が相談できるようなコミュニケーションツールをきちんと備えて。

オンラインゲームをやるみたいに、病理を極めていくんだ。

そうすれば、どんな田舎に住んでいても、常に世界中の病理医の知恵を借りながら、仕事をしていくことができる。

もちろんそのときに、自分の脳の一部を世界に貸すことも必要だけれど。

そうそう、自分の脳を接続する先の一部はAIであってもいい。

モニタの向こうに生身の人間ばかりが必要なわけではないよ。

でも、きっと、迷った症例とか、人間が責任もって何かを決めなきゃいけない症例では、「迷いのないパーセント表示」しかしないAIよりも、人間同士がコミュニケーションをとって背中を押してくれたほうが、押された方も悪い気はしないだろうな。





……などという話になっているのが、今の病理医をめぐる環境です。ぶっちゃけこれほど楽しい職場はないと思うのだが……。