奔逸した思考をかき集めて押さえつけるようにして、パソコンの前で息を吐いた。複数の仕事を同時にやりすぎた。自我が陥没してしまったような気持ち。精神が再び秩序立てて盛り上がってくるのを黙って待つ。昭和新山のような人格が立ち上がる。
最近Kindleで読んだ本が、立て続けに2冊、おもしろくなかった。そのせいで心がすこしざわめいて、疲れているのかなと思う。
ほんとうにおもしろい本を読んでいる時は、それがフィクションであろうとノンフィクションであろうと、「誰かの脳をなぞること」に没入できる。ひとつのことに集中できる。マルチタスクから解放される瞬間だ。
つまらない本というのはめったにない。人のおすすめを多く手にとるからだろう。ありがたいことである。
問題は、「中途半端におもしろい本」だ。これはしばしば遭遇する。おもしろいことはおもしろいんだけど、どうやらぼくはこの本にとってど真ん中の読者ではないようだな、というのがわかる。
本文がだんだん目の上をすべっていく。読み終わったらこの本をツイッターでおすすめしようかな、だとしたらどういうおすすめ文を添えよう、あのエピソードと絡めてみようかと、気もそぞろになってしまうともうだめだ。気がついたら、同じページの同じ行のところを何度も目で追っている。字は読めるが意味が入ってこない。そういうときにふと背筋を伸ばして、1,2ページほど戻ってあらためて読み直してみても、ぜんぜん読んだ記憶がない。ずっと集中できていなかったのだろう、仕方なく、章の最初まで戻ってまた読み直す、みたいな羽目になる。でも一度飛び去った思考はなかなか集め直せない。放牧地でいつまでも羊を集められないバイトの牧童のような気分で、自分を再統合するための手続きをくり返す。
いくつかのことをRAMに入れて同時に処理しようとすれば、結局どれも中途半端になる。だからマルチタスクというのは本当はウソで、瞬間的に一つ一つの仕事にケリを付けながら次々と向かう対象をスイッチしていっているだけなのだ。それがわかっていてなお、複数の案件を脳の中に入れておかないと落ち着かないぼくは、たぶん、心配性なのだろう。自分が見ていないところで何かが悪くなったらそれは自分のせいだと思っている。いまだにそういう思考が残っている。それで何度も失敗してきたはずなのに。
先日尊敬する人と話をしていたら彼が声をひそめて言ったのだ。
「君は本当に自虐をするなあ、やめたほうがいいぞ」
ああ、自虐という単一の概念でぼくの行動は規定されているようだ! ぼくはすこし安心してしまった。ここ数年、自尊とか自虐とか、たったひとつのやり方で自分の行動が解釈できたことなど一度もない。でもそれでは世の中をわたっていけないから、誰かがぼくをみたときに解釈しやすいように、アウトプットの部分についてはなるべくフィルターをかけてぼくの思考の最大公約数的な部分を拾いやすいようにと訓練してきた。その甲斐があった。ぼくは今、自虐的なフェーズにいたらしい。わかりやすくていいじゃないか。
行動を統一したいと思ったら優れた本を読むに限る。最近、本以外のあらゆるインターフェースを通した場合にぼくは自分の思考が一本化できなくなっていることを感じる。誰かと会って話すのが一番やばい。人と会うとき、常に抱えた思考の束の中から一番整頓できたものだけを選んで渡そうとする、その独善的な手際のひとつひとつにぼくはがっかりとしてしまい、早く帰って本が読みたいなと思うことが増えた。おそらく人生のエントロピーが増大してきているのだと思う。本はエントロピーの局所的な低下をもたらす触媒である可能性がある。
2019年10月31日木曜日
2019年10月30日水曜日
病理の話(379) 若手よ育て札幌セミナー
紅葉も半ばくらいなり定山渓。
10月の中旬、ぼくは札幌の臨床検査技師会が主催する1泊2日の勉強会イベントに招かれて講演をすることになった。
札幌市の南端、山の中に入っていったところに定山渓(じょうざんけい)温泉というなかなか規模の大きな観光地がある。市の中心部から車で1時間弱。ぼくの実家からだと30~40分程度といったところで、高級宿から子供連れにやさしい大型プールつきの巨大ホテルまでを兼ね備えた使いやすい奥座敷だ。
こんなところで勉強会やるのかよ、と驚いた。しかし臨床検査技師たちはときにこういう「交流込みの勉強会」を主催する。
かつて、大分県の九重温泉に呼ばれて1泊2日で、超音波検査技師たちと勉強会をやったことがあった。そのときは夜中の2時まで超音波画像と病理像の照らし合わせを行った。さすがに深夜0時を回ると出席者の半分は脱落して温泉に入ったり眠ったりしていたようだが、残りの半分はビールや焼酎などを片手に延々とマニアックな学術トークにつきあってくれた。ああいう会は一見ふざけているようで、実際にはかなり学ぶところも多い。単純に観光の思い出が増える一方、学術知識もいつもと違う脳の引き出しにストックされる。気分を変えて学び続けるというのは、専門職の知恵なのかもしれない。
そして今回の定山渓イベントもまた泊まりの勉強会だ。しかしぼくは翌日も仕事があるので、宿泊はせず、講演が終わったらとんぼ返りしなければいけない。飛行機じゃないだけラクといえばラク。自分の車で早々に家を出た。ぼくの出番は夕方だが、ぼくの前にしゃべる技師の講演も聞きたいし、何より今の時期、定山渓は紅葉シーズンで渋滞が予想されるから早めに出発した方がいいだろう。
予想に反して道はすいていた。それもそのはず、なかなかしっかりした雨が朝から降り続いていた。これでは紅葉狩りというわけにもいかないだろう。藤野・石山を通り抜けてするするとゆるやかな山道に入り、トンネルを抜けたら早めに右折して、目抜き通りの裏から定山渓温泉街へとアプローチする。
雨が山肌に反射して霧のようになっているのが美しい。紅葉はまだ五部といったところか。
まだ日は高いがぽつぽつと傘の人々が道にみえはじめた。温泉街につきものの、独特の看板をかかげるラーメン屋をいくつかやりすごし、屋根のついた足湯スペースに人がむらがっているのを横目にゆっくりと車を進めると、名の知られた宿の看板がみえはじめた。
今日のイベント会場は、「花もみじ」。はからずも季節感にあふれた名前の大型ホテルである。向かいには老舗の「ふる河」がある。となりには何度か買い求めたことがあるお土産屋があった。見慣れた風景だ。
ホテルの目の前に車を止めるのははばかられたので、少しだけ後戻りして、二階建てになった鉄筋の駐車場の1階に車を入れた。2階部分がコンクリートではなく基本的に鉄筋そのものなのだろう、屋根はあるのだが雨がしたたりおちてくる。あわてて後部トランクに入れた傘を取り出し、パソコンの入ったトートを胸にかかえてホテルへと急いだ。
会場にはすでに多くの……といってもせいぜい30名程度だが……技師たちが集まっていた。もっとも、行楽シーズンの土日に、超音波検査や病理の勉強のためだけに1泊2日で集まろうという猛者たちなので、少数精鋭という言葉がぴったりかもしれない。見回してみると知った顔が半分といったところ。よくみると超音波や病理とは関係のない部門の技師たちがちらほら混じっている。すでに管理職に上がった人間であったり、あるいは、勉強会を毎年主催する幹事側であるためにジャンルを問わずに必ず参加する人であったりするのだろう。
幾人かに挨拶をしつつ、すでに着席している人たちをそっと見渡す。はじまる前の時間に、「抄録」(講演会であれば各講演の要旨や、講演者の経歴などが記載されている)をめくっている人は誰だろうか、と探すのだ。ぼくのクセである。なぜそんなことをするのかと言われると自分でも理由ははっきりしないのだが、おそらくぼくは、今日の講演会を一番楽しみにしている人に向けて講演をしよう、と思っているのだ。
比較的若い人が熱心に抄録をめくっていた。
よし、今日は若い人向けにしゃべろう。
今回はじめて言語化してみて思ったがぼくはたぶんそうやって講演をしているのである。
医療者の学術講演というものは、いろいろな活用方法がある。自分の知らない最新の知識を吸収するために参加する人もいるが、そうではなく、すでに知っていることを誰かほかの人の口からきいてみたいというモチベーションもあるだろうし、自分の専門ど真ん中の情報をほしがる人もいれば、自分がふだんあまり気にしていない他分野の情報をなんとなく見てみたいという人もいる。
講演するほうもいろいろだ。自分の経験と自分がたずさわってきた仕事の話をきちんと話せばいい、それはひとつのスタイルである。しかし、聴衆が求める様式にあわせてしゃべる内容をいじくるタイプもいる。ぼくは「相手に合わせてプレゼンテーションを変化させる」ほうだ。
講演の依頼文の中に、「何をしゃべってもいい」と書かれている場合、必ず、一度はたずねる。「あなたが今一番聞きたい臓器や病気はなんですか」「具体的にお題をいただけたほうが助かります」。すると依頼者は熱心なので、そういうことでしたらとばかりに、なんらかのお題を返してよこす。そのお題が必ずしもぼくが一番得意な内容であるとは限らない。病理医であるというだけで病理ならなんでもしゃべれると思われがちだがそうでもない。しかし、いただいたお題がたとえ自分の専門性から多少外れていようとも、勉強することでそのずれを埋められると思うならば、その話は引き受ける。引き受けて、勉強して、講演会までの間に「自分の専門領域にしてしまう」。これはそこそこリスキーである。知ったかぶりしかしゃべれないこともある。けれどもぼくはそうやって、自分の専門とする領域の幅を少しでも広げようとやってきた。
うまくいっているのかどうか。それは聴衆側に聞いてみないとわからない。
今日ぼくがしゃべる内容は「肝・胆・膵の超音波画像と病理組織像の対比」。肝・胆・膵というのは、肝臓、胆道(胆のうなど)、膵臓という3領域のことだ。ひとまとめにして語られることが多い分野だが、あくまでこれらは3分野である。例えるならばサッカー、ラグビー、アメフトの話をしてくれ、というのに近い。共通点がフィールドがあることとボールがあることくらいしかないではないか。
かつてのぼくは肝臓病理が専門だった。だから肝臓の超音波検査と病理組織像の対比というお題の講演は初期から行っていた。そして、今から10年ほど前に、はじめて胆のうや膵臓に対する講演依頼が来た時には頭をかかえたものである。肝臓と全然違うのに……。たしかに、胆のうや膵臓の「病理学」に関する知識はあるのだが、それが他人に向けてしゃべれるほど整理されているかどうか、また「画像検査の知識」と併せて展開できるかどうかは別の話なのだ。
結局、講演のたびに、微調整を繰り返し、勉強をして、ほかの人がしゃべる講演を聴き、取り入れ、また学んで、と繰り返しながらここまでなんとかしのいできた。そして今回また「肝・胆・膵」。何度も依頼を受けてそのたびに講演という形で勉強してきたことで、もはや胆のうや膵臓の画像・病理も肝臓と同じくらいに語れるようになった。
……こうして書いていて思ったのだが、結局のところ、講演会で学び、新しい知識を吸収し、今まで持っていた知識を確認して、明日からの日常の診療に活かしているのが誰なのかというと、それはおそらく、聴衆よりもまず「講演しているほう」なのだろう。ぼくは先ほど「一番熱心に講演会に向き合おうとしている人に向けて講演をしようと思っている」と書いたが、そもそも依頼が来た時から講演に対して一番熱心に向き合う人間は講演者でなければならないのだった。話す方が熱心に学んでいるからこそ、聞こうとしている人の熱心さにこたえられるというものなのだ。
「若手の勉強になるように」としかけられている各種の講演会によってぼくは育てられてきた。となると、そろそろ、講演をする役目をぼくより若い人に譲らなければいけないよな、という気持ちになる。
講演をする人はすでに業績があり偉さが炸裂しているような大御所であってはいけないのかもしれない。
いや、まあ、大御所がしゃべる姿を肴に懇親会に進みたいタイプの人もいるのだろうけれども。
講演会を終えて自宅に帰る車の中で、ぼくはずっと、「次の時代を担う人に講演をしてもらうこと」を考えていた。札幌セミナーは翌日も開催されるが、そこにはぼくより9つくらい若い病理医が、「乳腺の超音波検査と病理像の対比」というお題にはじめて取り組むのだという。さぞかし大変だったろうな、と思った。乳腺の病理に詳しいからといって、乳腺の超音波画像と照らし合わせるなんていう「普段病理医があまりやらないこと」を講演と称して多くの人の前でしゃべるというのはけっこうなストレスなのだ。
一夜明け、ぼくは職場で仕事をしていた。合間にFacebookをみる。ちょうど先ほど終わったばかりの「札幌セミナー」の会場から感想をつぶやく知人の姿がFacebookに掲載されていた。
「乳腺の対比の話、おもしろかったです。〇〇大学病院の〇〇先生はすばらしかった。」
ぼくはなんだか泣きそうになってしまった。知らない人に対して心で拍手を送りながら、ぼくらはこうして前に立つために勉強を続けないといけないんだよな、と思ったし、もうぼくは若手じゃないのだから、呼ばれてしゃべれと言われて喜ぶのではなく、機会をきちんと若い病理医に渡していかないといけないよな、と、そんなことをひたすら考え続けていた。外はきれいに晴れ上がり、今日の定山渓はきっと紅葉がきれいだろうな、と思った。
10月の中旬、ぼくは札幌の臨床検査技師会が主催する1泊2日の勉強会イベントに招かれて講演をすることになった。
札幌市の南端、山の中に入っていったところに定山渓(じょうざんけい)温泉というなかなか規模の大きな観光地がある。市の中心部から車で1時間弱。ぼくの実家からだと30~40分程度といったところで、高級宿から子供連れにやさしい大型プールつきの巨大ホテルまでを兼ね備えた使いやすい奥座敷だ。
こんなところで勉強会やるのかよ、と驚いた。しかし臨床検査技師たちはときにこういう「交流込みの勉強会」を主催する。
かつて、大分県の九重温泉に呼ばれて1泊2日で、超音波検査技師たちと勉強会をやったことがあった。そのときは夜中の2時まで超音波画像と病理像の照らし合わせを行った。さすがに深夜0時を回ると出席者の半分は脱落して温泉に入ったり眠ったりしていたようだが、残りの半分はビールや焼酎などを片手に延々とマニアックな学術トークにつきあってくれた。ああいう会は一見ふざけているようで、実際にはかなり学ぶところも多い。単純に観光の思い出が増える一方、学術知識もいつもと違う脳の引き出しにストックされる。気分を変えて学び続けるというのは、専門職の知恵なのかもしれない。
そして今回の定山渓イベントもまた泊まりの勉強会だ。しかしぼくは翌日も仕事があるので、宿泊はせず、講演が終わったらとんぼ返りしなければいけない。飛行機じゃないだけラクといえばラク。自分の車で早々に家を出た。ぼくの出番は夕方だが、ぼくの前にしゃべる技師の講演も聞きたいし、何より今の時期、定山渓は紅葉シーズンで渋滞が予想されるから早めに出発した方がいいだろう。
予想に反して道はすいていた。それもそのはず、なかなかしっかりした雨が朝から降り続いていた。これでは紅葉狩りというわけにもいかないだろう。藤野・石山を通り抜けてするするとゆるやかな山道に入り、トンネルを抜けたら早めに右折して、目抜き通りの裏から定山渓温泉街へとアプローチする。
雨が山肌に反射して霧のようになっているのが美しい。紅葉はまだ五部といったところか。
まだ日は高いがぽつぽつと傘の人々が道にみえはじめた。温泉街につきものの、独特の看板をかかげるラーメン屋をいくつかやりすごし、屋根のついた足湯スペースに人がむらがっているのを横目にゆっくりと車を進めると、名の知られた宿の看板がみえはじめた。
今日のイベント会場は、「花もみじ」。はからずも季節感にあふれた名前の大型ホテルである。向かいには老舗の「ふる河」がある。となりには何度か買い求めたことがあるお土産屋があった。見慣れた風景だ。
ホテルの目の前に車を止めるのははばかられたので、少しだけ後戻りして、二階建てになった鉄筋の駐車場の1階に車を入れた。2階部分がコンクリートではなく基本的に鉄筋そのものなのだろう、屋根はあるのだが雨がしたたりおちてくる。あわてて後部トランクに入れた傘を取り出し、パソコンの入ったトートを胸にかかえてホテルへと急いだ。
会場にはすでに多くの……といってもせいぜい30名程度だが……技師たちが集まっていた。もっとも、行楽シーズンの土日に、超音波検査や病理の勉強のためだけに1泊2日で集まろうという猛者たちなので、少数精鋭という言葉がぴったりかもしれない。見回してみると知った顔が半分といったところ。よくみると超音波や病理とは関係のない部門の技師たちがちらほら混じっている。すでに管理職に上がった人間であったり、あるいは、勉強会を毎年主催する幹事側であるためにジャンルを問わずに必ず参加する人であったりするのだろう。
幾人かに挨拶をしつつ、すでに着席している人たちをそっと見渡す。はじまる前の時間に、「抄録」(講演会であれば各講演の要旨や、講演者の経歴などが記載されている)をめくっている人は誰だろうか、と探すのだ。ぼくのクセである。なぜそんなことをするのかと言われると自分でも理由ははっきりしないのだが、おそらくぼくは、今日の講演会を一番楽しみにしている人に向けて講演をしよう、と思っているのだ。
比較的若い人が熱心に抄録をめくっていた。
よし、今日は若い人向けにしゃべろう。
今回はじめて言語化してみて思ったがぼくはたぶんそうやって講演をしているのである。
医療者の学術講演というものは、いろいろな活用方法がある。自分の知らない最新の知識を吸収するために参加する人もいるが、そうではなく、すでに知っていることを誰かほかの人の口からきいてみたいというモチベーションもあるだろうし、自分の専門ど真ん中の情報をほしがる人もいれば、自分がふだんあまり気にしていない他分野の情報をなんとなく見てみたいという人もいる。
講演するほうもいろいろだ。自分の経験と自分がたずさわってきた仕事の話をきちんと話せばいい、それはひとつのスタイルである。しかし、聴衆が求める様式にあわせてしゃべる内容をいじくるタイプもいる。ぼくは「相手に合わせてプレゼンテーションを変化させる」ほうだ。
講演の依頼文の中に、「何をしゃべってもいい」と書かれている場合、必ず、一度はたずねる。「あなたが今一番聞きたい臓器や病気はなんですか」「具体的にお題をいただけたほうが助かります」。すると依頼者は熱心なので、そういうことでしたらとばかりに、なんらかのお題を返してよこす。そのお題が必ずしもぼくが一番得意な内容であるとは限らない。病理医であるというだけで病理ならなんでもしゃべれると思われがちだがそうでもない。しかし、いただいたお題がたとえ自分の専門性から多少外れていようとも、勉強することでそのずれを埋められると思うならば、その話は引き受ける。引き受けて、勉強して、講演会までの間に「自分の専門領域にしてしまう」。これはそこそこリスキーである。知ったかぶりしかしゃべれないこともある。けれどもぼくはそうやって、自分の専門とする領域の幅を少しでも広げようとやってきた。
うまくいっているのかどうか。それは聴衆側に聞いてみないとわからない。
今日ぼくがしゃべる内容は「肝・胆・膵の超音波画像と病理組織像の対比」。肝・胆・膵というのは、肝臓、胆道(胆のうなど)、膵臓という3領域のことだ。ひとまとめにして語られることが多い分野だが、あくまでこれらは3分野である。例えるならばサッカー、ラグビー、アメフトの話をしてくれ、というのに近い。共通点がフィールドがあることとボールがあることくらいしかないではないか。
かつてのぼくは肝臓病理が専門だった。だから肝臓の超音波検査と病理組織像の対比というお題の講演は初期から行っていた。そして、今から10年ほど前に、はじめて胆のうや膵臓に対する講演依頼が来た時には頭をかかえたものである。肝臓と全然違うのに……。たしかに、胆のうや膵臓の「病理学」に関する知識はあるのだが、それが他人に向けてしゃべれるほど整理されているかどうか、また「画像検査の知識」と併せて展開できるかどうかは別の話なのだ。
結局、講演のたびに、微調整を繰り返し、勉強をして、ほかの人がしゃべる講演を聴き、取り入れ、また学んで、と繰り返しながらここまでなんとかしのいできた。そして今回また「肝・胆・膵」。何度も依頼を受けてそのたびに講演という形で勉強してきたことで、もはや胆のうや膵臓の画像・病理も肝臓と同じくらいに語れるようになった。
……こうして書いていて思ったのだが、結局のところ、講演会で学び、新しい知識を吸収し、今まで持っていた知識を確認して、明日からの日常の診療に活かしているのが誰なのかというと、それはおそらく、聴衆よりもまず「講演しているほう」なのだろう。ぼくは先ほど「一番熱心に講演会に向き合おうとしている人に向けて講演をしようと思っている」と書いたが、そもそも依頼が来た時から講演に対して一番熱心に向き合う人間は講演者でなければならないのだった。話す方が熱心に学んでいるからこそ、聞こうとしている人の熱心さにこたえられるというものなのだ。
「若手の勉強になるように」としかけられている各種の講演会によってぼくは育てられてきた。となると、そろそろ、講演をする役目をぼくより若い人に譲らなければいけないよな、という気持ちになる。
講演をする人はすでに業績があり偉さが炸裂しているような大御所であってはいけないのかもしれない。
いや、まあ、大御所がしゃべる姿を肴に懇親会に進みたいタイプの人もいるのだろうけれども。
講演会を終えて自宅に帰る車の中で、ぼくはずっと、「次の時代を担う人に講演をしてもらうこと」を考えていた。札幌セミナーは翌日も開催されるが、そこにはぼくより9つくらい若い病理医が、「乳腺の超音波検査と病理像の対比」というお題にはじめて取り組むのだという。さぞかし大変だったろうな、と思った。乳腺の病理に詳しいからといって、乳腺の超音波画像と照らし合わせるなんていう「普段病理医があまりやらないこと」を講演と称して多くの人の前でしゃべるというのはけっこうなストレスなのだ。
一夜明け、ぼくは職場で仕事をしていた。合間にFacebookをみる。ちょうど先ほど終わったばかりの「札幌セミナー」の会場から感想をつぶやく知人の姿がFacebookに掲載されていた。
「乳腺の対比の話、おもしろかったです。〇〇大学病院の〇〇先生はすばらしかった。」
ぼくはなんだか泣きそうになってしまった。知らない人に対して心で拍手を送りながら、ぼくらはこうして前に立つために勉強を続けないといけないんだよな、と思ったし、もうぼくは若手じゃないのだから、呼ばれてしゃべれと言われて喜ぶのではなく、機会をきちんと若い病理医に渡していかないといけないよな、と、そんなことをひたすら考え続けていた。外はきれいに晴れ上がり、今日の定山渓はきっと紅葉がきれいだろうな、と思った。
2019年10月29日火曜日
自己紹介
寿司以外に手段を知らない。
ぼくは寿司以外に手段を知らない。
ぼくは寿司以外に見学に来た若い医者をほほえませる手段を知らない。
だから若手が職場を見学に来るときにはいつも困ってしまう。現代、「一緒に何かを食いに行こう」というだけでハラスメントになってしまう時代だ。「一緒に何かをハラスメント」。「一緒ハラスメント」。「一緒ハラ」。すなわちイチハラである。後輩に対して何かを食わせて満足させるという思考回路しかない場合、もはや上司としては不適格の烙印を押されざるを得ない。
それは、とてもすばらしいことだ、かもしれませんね、SAMURAI.
そういえばぼくは若い頃、大学院を出て今の病院にやってきたときに、外科医や内科医たちから「接待があるからついておいでよ」と誘われることがまれにあった。でも結局行かなかった。ぼくは薬を出す立場じゃないから、薬屋に接待される覚えがない。かたくなに断った。今にしておもえば、コンプライアンスもぐだぐだの時代だ、せっかくだから2,3回おごられればよかった。あそこでおごられたからといってぼくらの手が異常に汚れるわけもなかった。けどぼくは生真面目だった。美徳ではないだろう。他人との距離感をうまく測れなかったのだ。
つかずはなれずの関係を築いているうちに、とうとう誰もぼくのことは誘わなくなった。そうこうしているうちに時代が流れ、そもそも接待という制度自体が過去の遺物となり、研究会の打ち上げもすべて自腹が当たり前になって、ぼくはとても居心地がよくなったし、手に入るはずだった利得を手に入れないままここまで育ったことに誇りをもっているし、多少のさみしさも、なくはない。こういうことを書くと怒られるかな? でも「いいなあおごられるの……」くらい書いたところでバチはあたるまい。
さて、いざ後輩が現れる年になって、ぼくは困ってしまった。後輩というのはどのように接待申し上げればよいのか。接待がない世の中で接待をしようとたくらむ自分がこっけいだ。しょうがなく伝家の宝刀を抜く。
「ぼくもこうやってよく先輩におごってもらったから、キミもぼくに快くおごられてほしいし、偉くなったら後輩におごってやってほしい。」
けれどこの刀は使いづらいのであった。タダ飯だろうがなんだろうが、上司と同席してメシを食うこと自体にストレスを感じる人もいっぱいいるんだよな、ということが取り沙汰されるようになったからだ。
よく考えたらぼくは、接待されることがいやだったんじゃなくて、自分がとくに望んでいない誰かとメシを食うのが圧倒的にいやだったから、「薬屋さんに接待されるような身分ではないです」といういいわけを振りかざして断っていたのではなかったか。
きっとそうだ。ぼくは別にクリーンな人間だから接待を断っていたわけではなかった。
あのとき、もし、「お近づきの印に1000万円差し上げます、ご自由に使って下さい」と言われたらぼくの正義感は別に発動しなかったと思う。単に、仲がいいわけでもない薬屋と、仲がいいわけでもない他科の医者たちと飲むのがいやだっただけなのだ。
人は知らないうちに、本来の意図とは違うところで勝手にクリーンに生きていることがあるのだ。ぼくはこのことを、「接待」というクソ文化を巡る歴史の中で、学んだ。
それはそれとして困った。後輩にはどのように満足してもらえばいいのか? 答えは実は簡単なのである、ぼくが、黙って背中を見せるだけで後輩に尊敬されるような人間であればいい。メシはいらない。場所もいらない。ただ一途にはたらくすがたをみせればいい。一途にはたらけばいい。いちずはたら。いちはらである。
ぼくは寿司以外に手段を知らない。
ぼくは寿司以外に見学に来た若い医者をほほえませる手段を知らない。
だから若手が職場を見学に来るときにはいつも困ってしまう。現代、「一緒に何かを食いに行こう」というだけでハラスメントになってしまう時代だ。「一緒に何かをハラスメント」。「一緒ハラスメント」。「一緒ハラ」。すなわちイチハラである。後輩に対して何かを食わせて満足させるという思考回路しかない場合、もはや上司としては不適格の烙印を押されざるを得ない。
それは、とてもすばらしいことだ、かもしれませんね、SAMURAI.
そういえばぼくは若い頃、大学院を出て今の病院にやってきたときに、外科医や内科医たちから「接待があるからついておいでよ」と誘われることがまれにあった。でも結局行かなかった。ぼくは薬を出す立場じゃないから、薬屋に接待される覚えがない。かたくなに断った。今にしておもえば、コンプライアンスもぐだぐだの時代だ、せっかくだから2,3回おごられればよかった。あそこでおごられたからといってぼくらの手が異常に汚れるわけもなかった。けどぼくは生真面目だった。美徳ではないだろう。他人との距離感をうまく測れなかったのだ。
つかずはなれずの関係を築いているうちに、とうとう誰もぼくのことは誘わなくなった。そうこうしているうちに時代が流れ、そもそも接待という制度自体が過去の遺物となり、研究会の打ち上げもすべて自腹が当たり前になって、ぼくはとても居心地がよくなったし、手に入るはずだった利得を手に入れないままここまで育ったことに誇りをもっているし、多少のさみしさも、なくはない。こういうことを書くと怒られるかな? でも「いいなあおごられるの……」くらい書いたところでバチはあたるまい。
さて、いざ後輩が現れる年になって、ぼくは困ってしまった。後輩というのはどのように接待申し上げればよいのか。接待がない世の中で接待をしようとたくらむ自分がこっけいだ。しょうがなく伝家の宝刀を抜く。
「ぼくもこうやってよく先輩におごってもらったから、キミもぼくに快くおごられてほしいし、偉くなったら後輩におごってやってほしい。」
けれどこの刀は使いづらいのであった。タダ飯だろうがなんだろうが、上司と同席してメシを食うこと自体にストレスを感じる人もいっぱいいるんだよな、ということが取り沙汰されるようになったからだ。
よく考えたらぼくは、接待されることがいやだったんじゃなくて、自分がとくに望んでいない誰かとメシを食うのが圧倒的にいやだったから、「薬屋さんに接待されるような身分ではないです」といういいわけを振りかざして断っていたのではなかったか。
きっとそうだ。ぼくは別にクリーンな人間だから接待を断っていたわけではなかった。
あのとき、もし、「お近づきの印に1000万円差し上げます、ご自由に使って下さい」と言われたらぼくの正義感は別に発動しなかったと思う。単に、仲がいいわけでもない薬屋と、仲がいいわけでもない他科の医者たちと飲むのがいやだっただけなのだ。
人は知らないうちに、本来の意図とは違うところで勝手にクリーンに生きていることがあるのだ。ぼくはこのことを、「接待」というクソ文化を巡る歴史の中で、学んだ。
それはそれとして困った。後輩にはどのように満足してもらえばいいのか? 答えは実は簡単なのである、ぼくが、黙って背中を見せるだけで後輩に尊敬されるような人間であればいい。メシはいらない。場所もいらない。ただ一途にはたらくすがたをみせればいい。一途にはたらけばいい。いちずはたら。いちはらである。
2019年10月28日月曜日
病理の話(378) 病理医の出張判断と診断のありよう
2019年10月12日(土)。ぼくは北九州市の産業医大に向かった。
目的は学術講演。産業医大の主催する学会で特別講演枠をもらっている。
タイトルは「医療とAIの今後 ~病理医の仕事はなくなるのか~」であった。
この日、2019年最強とよばれた台風19号が列島を直撃する予報が出ていた。日本のあちこちに甚大な被害をもたらした例のやつである。
台風は結局、関東から東北をなめるように進んだわけだが、講演の前日くらいまでは進路が読めなかった。ぼくは、「さすがに今年はたどり着けないかもなあ」と思った。
毎年1,2回くらい、台風のせいで出張の予定が変更になっている。去年は高知出張で朝の飛行機を早い便にずらしてぎりぎり帰ってきた。また、大分出張のときは台風接近により研究会自体が中止になってしまった。おととしは熊本で講演したあとに懇親会に出ず羽田にとんぼ返りしてそこで一泊し、翌朝の早朝便でなんとか新千歳に帰ってきた。
講演会場に到着できないときもあるし、講演できたはいいが帰ってこられないこともある。出張が多い人は、きっと強くうなずいてくれることだろう。
ぼくは札幌市に住んでいるから、西日本の出張では飛行機の乗り換えが普通だ。乗り換えがある出張だと、(1)出張先、(2)乗り換えの羽田や大阪、(3)新千歳空港 の最低3箇所の天候がカギとなる。そのため、台風がやってくると、東にそれても西にそれても直前まで心配が尽きない。台風に限らず、南は大丈夫であっても北は豪雪ということもある。
毎年のように、出張できるかな、できないかなと各種報道を注視していると、年々災害報道のレベルが上がってきていることを実感する。おととしより去年、去年より今年のほうが、災害に対する心構えがより早く報道されるし、飛行機の欠航が決まるのも早い。集合知の蓄積によってきちんと対策が打たれているのだろう。立派だなあと思う。
そもそも今回の出張については、札幌に住むぼくからすると、北九州なんて台風が来たら絶対むりだろ、みたいな先入観はあった。しかし現地の人に聞いてみるとどうやらそうでもないらしい。九州北部は意外と台風に強いのだという。そうかな? 去年は佐賀出張のときに前日の台風で駅前が浸水していたって聞いたけど……。飛行機はわりと降りるという。そうは言われても不安なので、複数の経路を準備した。
千歳→福岡の飛行機、直行便のほかに、千歳→伊丹→(新幹線)→福岡を検討した。ほか、羽田経由、セントレア経由、さまざまな乗り換えをかんがえておいたのだが、結局今回の台風では羽田と伊丹がやばそうだということになり、とっておいたチケットはすべてキャンセルして、前日の時点でスカイマーク直行便に命運を託すことになった。
そしていざ当日。
スカイマークは無事時間通りに離陸。台風を飛び越えて何の問題もなく福岡空港に着陸。なんと定時よりも15分早くついてしまった。
そんなことがあるのか? 愕然とした。まさか追い風のせいでこんなに早く……?
驚いていたら現地の人に笑われた。
「違いますよ先生。スカイマークはANAやJALと比べると『弱い航空会社』なので、ふつうは福岡の上空で着陸待機させられたり、滑走路に降りてからも遠回りさせられたりするんですけどね、今回、羽田とか伊丹とかぜんぶ飛ばなかったでしょう。だから空港が空いてたんですよ。着陸してすぐ飛行機から降りられたでしょう?」
そんなことがあるのか。全く知らなかった。結局ぼくは、「台風の影響で現地に早く到着してしまった」のである。
天気と飛行機とぼくの出張。もちろんそれぞれ関連がある。しかし、どれだけ科学が進歩して、どれだけ報道が丁寧になっても、今回ぼくが「台風のせいで講演会場に早く到着できた」という未来は全く予測できなかった。手練れの出張イストだったら予測できたろうか? いやあそういうものでもないと思う。複雑系において、人間が一番知りたいことというのは、いつでも後からしか予測できないものだと相場が決まっているのだ。
経済がよくなる・悪くなるなんてのもそうだし。
スポーツでチームが勝つか・負けるかなんてのもそうだ。
そして、医療もきっとそうなんだろうなーと思った。ぼくは病理医なのでどうしてもさまざまな事象を病気や健康と結びつけて考えてしまう。人がどういうメカニズムで病気になるかはだいぶわかってきたし、病気になるとどうなるかというのもなんとなくわかっている気になっているけれど、その病気によって患者がどういう毎日を歩むのか、明日どこにたどり着くのか、そのときどう思うのかまではなかなか予測できない。
なんてことを考えながらAIの話をした。今回もまた結論としては「AIが勝ち、ふつうの病理診断医はほろび、本物の学者と医療者だけが残る」という説明をしたのだが、内心、
「AIが勝ってもしょうがないんだよな。人間が負けないほうが大事なんだけどな」
と思っていた。
目的は学術講演。産業医大の主催する学会で特別講演枠をもらっている。
タイトルは「医療とAIの今後 ~病理医の仕事はなくなるのか~」であった。
この日、2019年最強とよばれた台風19号が列島を直撃する予報が出ていた。日本のあちこちに甚大な被害をもたらした例のやつである。
台風は結局、関東から東北をなめるように進んだわけだが、講演の前日くらいまでは進路が読めなかった。ぼくは、「さすがに今年はたどり着けないかもなあ」と思った。
毎年1,2回くらい、台風のせいで出張の予定が変更になっている。去年は高知出張で朝の飛行機を早い便にずらしてぎりぎり帰ってきた。また、大分出張のときは台風接近により研究会自体が中止になってしまった。おととしは熊本で講演したあとに懇親会に出ず羽田にとんぼ返りしてそこで一泊し、翌朝の早朝便でなんとか新千歳に帰ってきた。
講演会場に到着できないときもあるし、講演できたはいいが帰ってこられないこともある。出張が多い人は、きっと強くうなずいてくれることだろう。
ぼくは札幌市に住んでいるから、西日本の出張では飛行機の乗り換えが普通だ。乗り換えがある出張だと、(1)出張先、(2)乗り換えの羽田や大阪、(3)新千歳空港 の最低3箇所の天候がカギとなる。そのため、台風がやってくると、東にそれても西にそれても直前まで心配が尽きない。台風に限らず、南は大丈夫であっても北は豪雪ということもある。
毎年のように、出張できるかな、できないかなと各種報道を注視していると、年々災害報道のレベルが上がってきていることを実感する。おととしより去年、去年より今年のほうが、災害に対する心構えがより早く報道されるし、飛行機の欠航が決まるのも早い。集合知の蓄積によってきちんと対策が打たれているのだろう。立派だなあと思う。
そもそも今回の出張については、札幌に住むぼくからすると、北九州なんて台風が来たら絶対むりだろ、みたいな先入観はあった。しかし現地の人に聞いてみるとどうやらそうでもないらしい。九州北部は意外と台風に強いのだという。そうかな? 去年は佐賀出張のときに前日の台風で駅前が浸水していたって聞いたけど……。飛行機はわりと降りるという。そうは言われても不安なので、複数の経路を準備した。
千歳→福岡の飛行機、直行便のほかに、千歳→伊丹→(新幹線)→福岡を検討した。ほか、羽田経由、セントレア経由、さまざまな乗り換えをかんがえておいたのだが、結局今回の台風では羽田と伊丹がやばそうだということになり、とっておいたチケットはすべてキャンセルして、前日の時点でスカイマーク直行便に命運を託すことになった。
そしていざ当日。
スカイマークは無事時間通りに離陸。台風を飛び越えて何の問題もなく福岡空港に着陸。なんと定時よりも15分早くついてしまった。
そんなことがあるのか? 愕然とした。まさか追い風のせいでこんなに早く……?
驚いていたら現地の人に笑われた。
「違いますよ先生。スカイマークはANAやJALと比べると『弱い航空会社』なので、ふつうは福岡の上空で着陸待機させられたり、滑走路に降りてからも遠回りさせられたりするんですけどね、今回、羽田とか伊丹とかぜんぶ飛ばなかったでしょう。だから空港が空いてたんですよ。着陸してすぐ飛行機から降りられたでしょう?」
そんなことがあるのか。全く知らなかった。結局ぼくは、「台風の影響で現地に早く到着してしまった」のである。
天気と飛行機とぼくの出張。もちろんそれぞれ関連がある。しかし、どれだけ科学が進歩して、どれだけ報道が丁寧になっても、今回ぼくが「台風のせいで講演会場に早く到着できた」という未来は全く予測できなかった。手練れの出張イストだったら予測できたろうか? いやあそういうものでもないと思う。複雑系において、人間が一番知りたいことというのは、いつでも後からしか予測できないものだと相場が決まっているのだ。
経済がよくなる・悪くなるなんてのもそうだし。
スポーツでチームが勝つか・負けるかなんてのもそうだ。
そして、医療もきっとそうなんだろうなーと思った。ぼくは病理医なのでどうしてもさまざまな事象を病気や健康と結びつけて考えてしまう。人がどういうメカニズムで病気になるかはだいぶわかってきたし、病気になるとどうなるかというのもなんとなくわかっている気になっているけれど、その病気によって患者がどういう毎日を歩むのか、明日どこにたどり着くのか、そのときどう思うのかまではなかなか予測できない。
なんてことを考えながらAIの話をした。今回もまた結論としては「AIが勝ち、ふつうの病理診断医はほろび、本物の学者と医療者だけが残る」という説明をしたのだが、内心、
「AIが勝ってもしょうがないんだよな。人間が負けないほうが大事なんだけどな」
と思っていた。
2019年10月25日金曜日
読んでもバズりはしないのだが
三省堂書店系列でほぼ1年にわたり開催していた『ヨンデル選書フェア』が一段落した。
2018年の11月末から、2019年の5月末までの半年間、三省堂書店池袋本店にて合計125冊の「病理医ヤンデルが選んだおすすめ本」を陳列してもらった。これが爆裂に売れた。
そしたらその後立て続けに、名古屋で2か月、札幌で1か月、神保町本店で1か月半、それぞれフェアを開催することになった。置いた本の数はそれぞれバラバラだったが基本的には池袋で選んだ本を置いた。ただし神保町のフェアでは、この1年に発売された新刊を4冊ほど追加をした。幡野さんや西さん、國松さんの本である。これらは本当によく売れたそうだ。さすが。
すべてのフェアが2019年10月に終わり、やれやれと思ったのもつかのま……。実は2019年の12月からまたフェアがはじまる。まだ正式告知されてないけど、言ってもいいだろう(ぼくはしばしばこうしてフライングをして怒られる)。
ヨンデル選書フェア 2ndシーズン。
今回もまた前回と同じくらいの本を選ぶことになる。まずは最初の1か月に、前回フェアで選んだ中から特選した30冊+新しく読んだ本の中からぐっとくるおすすめを20冊。
そしてそこからさらに、1か月ごとに、20冊くらいずつ追加をするのだ。最終的には今回も、半年間で100冊以上の本を順次ご紹介していくことになるだろう。
最初の月からすべての本を並べない理由はいくつかあるのだが、ぼくとしては、1か月ごとに1冊ずつ本を買い足したい人のためのフェアを目指している。先月並んでいた本のどれかを買った人が、しばらくして再訪してみたら自分が買った本のとなりにおもしろそうな本が加わっている、というのがやりたいのである。
やっていることはAmazonの「この本を読んだ人はこんな本も読んでいます」なのだ。つまりは日頃からおおくの書店員が棚を作る際にやっていることと一緒である。ぼくは選書フェアに関わることで本当に書店員の仕事を尊敬するようになった。本を選んで並べ続けるって終わりがないんだよな。
ただ実は問題もある。去年のフェアに並べた本125冊は、ぼくが20年以上本を読んできた上で、直近の3年~5年くらいの本からおすすめをえらんだわけだが、今年のフェアはせいぜいこの1年で読み足した本の中からコアを選ばないといけない。そんなに本読んでたかな、ぼくは……。
で、しらべてみると、結構読んでいるのだった。少なくとも年間200は読んでいる。ただしその中でオススメできる本がそこまで多くない。当たり前だがハズレの本もあるのだ。ハズレというのは内容がつまらないという意味ではなくて、「ぼくは楽しいけどこれ他の人はつまらないんじゃないかな」みたいな本も含む。「ぼくは楽しいけどこれ他の人はつまらないんじゃないかなって思うのはおこがましいからやっぱり並べてみようかな」という本も含む。「ぼくは楽しくないけどこれ他の人はすごい楽しいかもしれないな」という本もあるわけだ。これらをいちいち吟味するのは骨が折れる。
本を紹介しようと思ったら再読しないと「書評」が書けない。ぼくはこのフェアで、本1冊につき1枚の「短評カード」を添えてもらっている。350字以内でおすすめ文章を書いている。これを書くのがまたえらい時間がかかる。楽しい時間ではある。そもそもカードを本すべてに1つずつ封入している書店員の働きなくして、このフェアは成り立っていないのだから、ぼくがそれくらい苦労しなくてどうするのだ、という気持ちもある。なんにせよありがたい。みんなも本屋を楽しんでほしい。ぼくは本が楽しくてしょうがないぞ。
2019年10月24日木曜日
病理の話(377) 学術講演会のマニアックな心構えについて
ぼくは普段、もっぱら、「臨床画像と、病理像とを対比する講演」ばかりしている。
聞きに来る人は、医者や放射線技師、臨床検査技師など、医療のプロフェッショナルだ。素人(非医療者)相手の講演ではない。
病理医であるぼくは、臓器の肉眼像から情報をとるのが得意だし、プレパラートをみてそこに眠っている情報を引き出してくるのが職能だ。いわゆる病理診断。扱うモチーフ全般を「病理像」と呼ぶ。
これに対し、病理医以外の多くの医療者は、日頃、超音波とか内視鏡とかレントゲンとかMRIなどを通じて患者のことを知ろうとする。これが「臨床画像」。
「病理像」と「臨床画像」との接点をさがして橋渡しするような講演をすることで、病理医以外の多くの医療者たちが、日頃あまり触れることのない病理診断になじみ、喜んでくれる。
ところが最近のぼくは、AIをはじめとするヘルスケアの新しいシステムを語る人間として呼ばれる機会がちょろちょろ増えてきた。ぼくは別にAIの専門家ではないのに、である。
AIにもっと詳しい人は、あちこちにいる。なのにぼくがなぜ呼ばれるのかな、と考える。
ぼくを呼ぶ人たちの顔や反応をみてみると、もとより、AIに超絶詳しい人を呼んだつもりはないようだ。
どちらかというと、「そこまで詳しくなくてもいいけど、講演会を形にしてくれるならありがたい」くらいのテンションである。
ああそういうことなんだなーと、ちょっとだけさみしく思う。
「確実に盛り上がる講演なら内容は問いません」という意図を感じる。講演会という形式さえ完遂できれば、内容がさほど高度ではなくても、あまり専門性が高くなくても、コミュニケーションの役にも立つし、十分だ、ということなのだろう。
正直どうなのかな、と思う。
ぼくを札幌から呼ぶということはそれだけ交通費も宿泊費もかかるわけで、せっかくなんらかの形で予算を確保して、わざわざ休みの日に少なくない人数の医療者が集まってくるわけだから、それをコミュニケーション目的の学芸会のように終わらせてしまうのはもったいない気がする。
で、まあ、そういうことを考えながら講演のプレゼンをつくっていると、世間で言われているような「伝わるプレゼンの作法」だけではどうも足りないような気がしてくるのだ。
まず、「テイクホームメッセージを1個にしなさい」という、近頃誰もが指摘するプレゼンのセオリー。
真に受けてはいけない。ぼくはそれは聴衆をなめていると思う。
そもそも札幌からぼくを呼ぶのに、8万円とか10万円とかかかっているのだ。それだけの金をかけておきながら、講演から持って帰れるメッセージがプレゼンの中に1つって、そんなぼったくりみたいなことが許されるとは思えない。
少なくともぼくが講演を主催したときに、遠くから呼んだ演者が、28pt以上のフォントでスッカスカに作ったオシャレ紙芝居みたいなパワポの中に持ち帰れるメッセージが1個だけ、みたいなしゃべり方をしたら、なんとつまらないものを聞いたのかとがっかりしてしまうと思う。
そんなもの、講師を呼ばずとも、PDFで配れば事足りてしまうではないか。ていうかスカイプでやれよ。
……実際、PDFで配れば事が足りるであろう講演は世の中に多い。「何を聞いたか」「何を学んだか」ではなく、「誰がしゃべったか」「どの学会に出たか」を重視する立場で講演会をやるとそういうことになる。芸能人とかプロスポーツ選手とか作家などの著名人が講演するならそれでいいだろう。しかし、学術講演がそれでは困る。
「人間はそこまでまじめに人のプレゼンを聞いていないし、終わったらすごいスピードで忘れていくのだから、フォントは大きめに、内容は絞って、言いたいことは減らして」。
こんなもの、「講演会で勉強したくない人たち」に忖度しすぎだ。勉強したい人たちのことをなめている。
賛否両論わかった上で言うけれど、ぼくの講演のプレゼンは、とにかく情報量を多めにしている。フォントも、デザイン性は大事だが、絵本を作っているわけではないのだから、見た目の美しさにこだわるばかり情報を減らすようなことはしない。敷き詰めるときには意図をもって敷き詰める。会場の後ろから見えないようなプレゼンは作らないが、コピーライターを気取った体言止めばかりのプレゼンには学術的な魅力を感じない。
商品を印象づけて売るためにやる、営業プレゼンといっしょにされても困る。
個人の経験に基づく感想にすぎないが、学術講演には、話し手の熱意を受け取って明日の診療に活かしたいと念じる暑苦しい聴衆が必ずいる。
それは必ずしもいっぱいいるとは限らない。100人の参加者がいれば、5人も混じっていればいい方かもしれない。
けれども、ぼくはそういう「本気で勉強したい人」にこそ向けて学術講演をやるべきだと信じる。
「とにかくわかりやすい」を一義にする気は無い。
メモを取りながら本気で、プレゼンのすべてを持って帰ろうとがんばる若い医療者が、どんな講演会にもたいてい数人潜んでいる。メインターゲットは彼らだ。彼らが、一生忘れられないレベルの情報の洪水を浴びせかける。それこそが、金をかけて呼ばれてしゃべる人間の責務だと思う。
最大公約数のためになんてしゃべらない。
会場に出てきている人間たちの、可能性の最小公倍数にあわせてプレゼンを作る。
だからプレゼンはとにかく濃いめに作るのだが……。
ぼくもオトナなので、そうやって自説ばかりを振り回していても誰も喜ばないということもよく知っている。
そこで、パワーポイントのプレゼンは濃厚に作る一方で、しゃべり方はできるだけ簡潔に、それこそ「テイクホームメッセージにまっすぐ進んでいるようなかんじで」、しゃべるように心がける。
1.目から入ってくる情報を豪華に。
2.耳から入ってくる情報はシンプルに。
つまり視覚と聴覚の情報をずらすのである。そうすることで、「会場内になんとなく来ていたコミュニケーション目的の、あまり勉強する気は無い人たち」にも、それなりに楽しんでもらうことが可能となる。
どうも世の中の一部の医療系プレゼンターはこれと逆の作り方をしている。シャレオツでパワポ1スライドあたりの情報量がやけに少ないものを数枚出しながら、逆にスライド内に書いてないことを含めておもしろおかしく漫談のようにしゃべってやろう、というタイプ。
1.目から入ってくる情報をシンプルに。
2.耳から入ってくる情報を豪華に。
パワポはコピーライター型。しゃべりは明石家さんま型がいいと思っているのだろう。
ぼくに言わせればちゃんちゃらおかしい。
こういう人のプレゼンを見ていると、「聴覚よりも早く全貌を認識できる視覚がヒマになってしまう」のが気にくわない。目のやることが終わってしまっているのに、耳からはのべつまくなし、情報が飛び込んでくる。しょうがないからプレゼンターの顔ばかり見る。おっさんの顔を凝視する時間が長いプレゼン。基本的に苦痛だ。
こういうプレゼンは、「何をしゃべっているか」ではなく「誰がしゃべっているか」を強調したいときには役に立つだろう。
でも繰り返すけれどぼくがやりたいと思っている講演は逆なのである。やる気のある人と内容を共有したい。
というわけでぼくは世の中のプレゼン作法とは異なるやり方で講演をする。「いやーすごい濃厚なプレゼンでしたねー」と言われた人はそもそも相手にしていない。どれだけ込み入ったプレゼンを作っていようと、しゃべりが理路整然としていれば、講演が終わった後に必ずぼくの元に猛ダッシュしてきて質問をしてくる熱心な人が何人か現れる。
……と、まあ、ここまで偉そうなことばかり書いてきたが……。
実は上記はあくまでぼくが「理想とするかたち」であって、実際のぼくは、
1.目から入ってくる情報を豪華に。
2.耳から入ってくる情報も豪華に。
の、豪華×豪華でプレゼンをしていることが圧倒的に多い。そんなことだからしゃべりすぎるタイプのコミュ障とか言われてしまうのだ。プレゼン道は険しい。
聞きに来る人は、医者や放射線技師、臨床検査技師など、医療のプロフェッショナルだ。素人(非医療者)相手の講演ではない。
病理医であるぼくは、臓器の肉眼像から情報をとるのが得意だし、プレパラートをみてそこに眠っている情報を引き出してくるのが職能だ。いわゆる病理診断。扱うモチーフ全般を「病理像」と呼ぶ。
これに対し、病理医以外の多くの医療者は、日頃、超音波とか内視鏡とかレントゲンとかMRIなどを通じて患者のことを知ろうとする。これが「臨床画像」。
「病理像」と「臨床画像」との接点をさがして橋渡しするような講演をすることで、病理医以外の多くの医療者たちが、日頃あまり触れることのない病理診断になじみ、喜んでくれる。
ところが最近のぼくは、AIをはじめとするヘルスケアの新しいシステムを語る人間として呼ばれる機会がちょろちょろ増えてきた。ぼくは別にAIの専門家ではないのに、である。
AIにもっと詳しい人は、あちこちにいる。なのにぼくがなぜ呼ばれるのかな、と考える。
ぼくを呼ぶ人たちの顔や反応をみてみると、もとより、AIに超絶詳しい人を呼んだつもりはないようだ。
どちらかというと、「そこまで詳しくなくてもいいけど、講演会を形にしてくれるならありがたい」くらいのテンションである。
ああそういうことなんだなーと、ちょっとだけさみしく思う。
「確実に盛り上がる講演なら内容は問いません」という意図を感じる。講演会という形式さえ完遂できれば、内容がさほど高度ではなくても、あまり専門性が高くなくても、コミュニケーションの役にも立つし、十分だ、ということなのだろう。
正直どうなのかな、と思う。
ぼくを札幌から呼ぶということはそれだけ交通費も宿泊費もかかるわけで、せっかくなんらかの形で予算を確保して、わざわざ休みの日に少なくない人数の医療者が集まってくるわけだから、それをコミュニケーション目的の学芸会のように終わらせてしまうのはもったいない気がする。
で、まあ、そういうことを考えながら講演のプレゼンをつくっていると、世間で言われているような「伝わるプレゼンの作法」だけではどうも足りないような気がしてくるのだ。
まず、「テイクホームメッセージを1個にしなさい」という、近頃誰もが指摘するプレゼンのセオリー。
真に受けてはいけない。ぼくはそれは聴衆をなめていると思う。
そもそも札幌からぼくを呼ぶのに、8万円とか10万円とかかかっているのだ。それだけの金をかけておきながら、講演から持って帰れるメッセージがプレゼンの中に1つって、そんなぼったくりみたいなことが許されるとは思えない。
少なくともぼくが講演を主催したときに、遠くから呼んだ演者が、28pt以上のフォントでスッカスカに作ったオシャレ紙芝居みたいなパワポの中に持ち帰れるメッセージが1個だけ、みたいなしゃべり方をしたら、なんとつまらないものを聞いたのかとがっかりしてしまうと思う。
そんなもの、講師を呼ばずとも、PDFで配れば事足りてしまうではないか。ていうかスカイプでやれよ。
……実際、PDFで配れば事が足りるであろう講演は世の中に多い。「何を聞いたか」「何を学んだか」ではなく、「誰がしゃべったか」「どの学会に出たか」を重視する立場で講演会をやるとそういうことになる。芸能人とかプロスポーツ選手とか作家などの著名人が講演するならそれでいいだろう。しかし、学術講演がそれでは困る。
「人間はそこまでまじめに人のプレゼンを聞いていないし、終わったらすごいスピードで忘れていくのだから、フォントは大きめに、内容は絞って、言いたいことは減らして」。
こんなもの、「講演会で勉強したくない人たち」に忖度しすぎだ。勉強したい人たちのことをなめている。
賛否両論わかった上で言うけれど、ぼくの講演のプレゼンは、とにかく情報量を多めにしている。フォントも、デザイン性は大事だが、絵本を作っているわけではないのだから、見た目の美しさにこだわるばかり情報を減らすようなことはしない。敷き詰めるときには意図をもって敷き詰める。会場の後ろから見えないようなプレゼンは作らないが、コピーライターを気取った体言止めばかりのプレゼンには学術的な魅力を感じない。
商品を印象づけて売るためにやる、営業プレゼンといっしょにされても困る。
個人の経験に基づく感想にすぎないが、学術講演には、話し手の熱意を受け取って明日の診療に活かしたいと念じる暑苦しい聴衆が必ずいる。
それは必ずしもいっぱいいるとは限らない。100人の参加者がいれば、5人も混じっていればいい方かもしれない。
けれども、ぼくはそういう「本気で勉強したい人」にこそ向けて学術講演をやるべきだと信じる。
「とにかくわかりやすい」を一義にする気は無い。
メモを取りながら本気で、プレゼンのすべてを持って帰ろうとがんばる若い医療者が、どんな講演会にもたいてい数人潜んでいる。メインターゲットは彼らだ。彼らが、一生忘れられないレベルの情報の洪水を浴びせかける。それこそが、金をかけて呼ばれてしゃべる人間の責務だと思う。
最大公約数のためになんてしゃべらない。
会場に出てきている人間たちの、可能性の最小公倍数にあわせてプレゼンを作る。
だからプレゼンはとにかく濃いめに作るのだが……。
ぼくもオトナなので、そうやって自説ばかりを振り回していても誰も喜ばないということもよく知っている。
そこで、パワーポイントのプレゼンは濃厚に作る一方で、しゃべり方はできるだけ簡潔に、それこそ「テイクホームメッセージにまっすぐ進んでいるようなかんじで」、しゃべるように心がける。
1.目から入ってくる情報を豪華に。
2.耳から入ってくる情報はシンプルに。
つまり視覚と聴覚の情報をずらすのである。そうすることで、「会場内になんとなく来ていたコミュニケーション目的の、あまり勉強する気は無い人たち」にも、それなりに楽しんでもらうことが可能となる。
どうも世の中の一部の医療系プレゼンターはこれと逆の作り方をしている。シャレオツでパワポ1スライドあたりの情報量がやけに少ないものを数枚出しながら、逆にスライド内に書いてないことを含めておもしろおかしく漫談のようにしゃべってやろう、というタイプ。
1.目から入ってくる情報をシンプルに。
2.耳から入ってくる情報を豪華に。
パワポはコピーライター型。しゃべりは明石家さんま型がいいと思っているのだろう。
ぼくに言わせればちゃんちゃらおかしい。
こういう人のプレゼンを見ていると、「聴覚よりも早く全貌を認識できる視覚がヒマになってしまう」のが気にくわない。目のやることが終わってしまっているのに、耳からはのべつまくなし、情報が飛び込んでくる。しょうがないからプレゼンターの顔ばかり見る。おっさんの顔を凝視する時間が長いプレゼン。基本的に苦痛だ。
こういうプレゼンは、「何をしゃべっているか」ではなく「誰がしゃべっているか」を強調したいときには役に立つだろう。
でも繰り返すけれどぼくがやりたいと思っている講演は逆なのである。やる気のある人と内容を共有したい。
というわけでぼくは世の中のプレゼン作法とは異なるやり方で講演をする。「いやーすごい濃厚なプレゼンでしたねー」と言われた人はそもそも相手にしていない。どれだけ込み入ったプレゼンを作っていようと、しゃべりが理路整然としていれば、講演が終わった後に必ずぼくの元に猛ダッシュしてきて質問をしてくる熱心な人が何人か現れる。
……と、まあ、ここまで偉そうなことばかり書いてきたが……。
実は上記はあくまでぼくが「理想とするかたち」であって、実際のぼくは、
1.目から入ってくる情報を豪華に。
2.耳から入ってくる情報も豪華に。
の、豪華×豪華でプレゼンをしていることが圧倒的に多い。そんなことだからしゃべりすぎるタイプのコミュ障とか言われてしまうのだ。プレゼン道は険しい。
2019年10月23日水曜日
脳だけが旅をする
出張先ではAMラジオがかかっており、部屋は奥まっていて、壁は分厚く、ポケットWi-Fiの感度は悪く、持ち込んだノートパソコンでインターネットに接続するのにだいぶ苦労する。だめだ。電波が0本しか立たない。圏外とは表示されないが検出感度以下。「悪性は完全には否定できない」みたいなどっちつかずのレポートを書く場末の病理医のようだ。だめならだめ、いいならいいと言ってくれ。無精髭を掻き毟る。
珍しい病気の論文を探したい。ネットなしで診断を進めるのは厳しい。据え置かれたマッキントッシュを立ち上げた。
ぼくはマックが使いづらいと思っている側の人間だ。単に使用経験が足りないだけなのだが。シフトキーをおしながら文字入力をしても大文字アルファベットが表示されないのが不便。「英数」「かな」の文字が下品。長いWindows生活の末に指先にしみついた高次運動メカニズムが誤入力を連続して引き起こす。キータッチをするのにいちいちあそこを押してからあそこをおすという随意運動。不随意よりも随意がめんどう、ということがある。意図しないと文字が打てない環境で、ぼくは露骨に身悶える。
遠くからサンボマスターが聞こえた。サンボマスターももはや歌謡曲扱いなのだろうか。
ネットで病名と病理組織像を検索する。Googleにそのまま入れても求める情報は出てこないとわかっているので、Google scholarやPubMedを用いるわけだが、マックのブックマークにこれらが入っていない。Google chromeでログインして共有ブックマークを使えればすぐなのに。世界が便利に向けて猛ダッシュしているときに歩みをゆっくりにしたら相対的に不便になるという恒例であろう。
ラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」を少しずつ読み進めている。視覚というものは、単に外界の光景が上下逆さまになって網膜に像を結ぶという光学現象ではなくて、もっとずっと高度な組み合わせなのだということが延々と語られていく。アーキテクチャとテクスチャを分けて考えるという近年のAI病理診断の発想も、もとをたどればラマチャンドランなのかもしれない。世にあるものがどんな形をしているか"what"と、それがどのように存在してどう動いたり止まったりしているか、あるいは何の機能に向かっているか"how"を、それぞれ大脳の違う場所が認知してあとで統合しているという説明。そうだな、ぼくはすでにそのことをよく知っている。別の本で読んだ。けれどオリジナルはここにあったんだな。
ラマチャンドランが語る内容は20年前には最新で、その後、多くの若者たちが彼のあとを追いかけてより強固な科学を作り上げているから、今読むと、「まだそこにいるのか」と思う記述も出てはくる。けれども、それよりもむしろ、「ぼくはそんなこと知らなかったぞ」と驚く内容のほうが圧倒的に多い。
はるか先を歩いていたつもりなのに、ずっと昔に見落としていた路傍の花にいまさら目を奪われている。
効率悪くなかなか進まない目先の仕事にうんざりして、出張先のデスクでぼくはスマホを手に取った。なぜかスマホの電波だけはきちんと立っている。タイムラインをのぞくと今日は「阿・吽」の10巻が発売される日だというではないか。デスクを離れて窓際に寄っていき、ポケットWi-Fiを空にかざしながら頼りない電波の中で即座にKindle版をダウンロードする。読む。圧倒される。
「華厳」の2文字が胸骨を強めに殴りつけてくる。
ぼくはそのまま最新刊を読み通したあと、窓際に立ったまま、スマホで論文を検索する。すぐに見つかる。PDFをダウンロードする。すぐに読み終わる。つまんねぇなあ。最新の技術。つまんねぇなあ。指先が勝手に開いていく未来。意図して歩くことをやめてはいけない。犀のように。犀のように。
珍しい病気の論文を探したい。ネットなしで診断を進めるのは厳しい。据え置かれたマッキントッシュを立ち上げた。
ぼくはマックが使いづらいと思っている側の人間だ。単に使用経験が足りないだけなのだが。シフトキーをおしながら文字入力をしても大文字アルファベットが表示されないのが不便。「英数」「かな」の文字が下品。長いWindows生活の末に指先にしみついた高次運動メカニズムが誤入力を連続して引き起こす。キータッチをするのにいちいちあそこを押してからあそこをおすという随意運動。不随意よりも随意がめんどう、ということがある。意図しないと文字が打てない環境で、ぼくは露骨に身悶える。
遠くからサンボマスターが聞こえた。サンボマスターももはや歌謡曲扱いなのだろうか。
ネットで病名と病理組織像を検索する。Googleにそのまま入れても求める情報は出てこないとわかっているので、Google scholarやPubMedを用いるわけだが、マックのブックマークにこれらが入っていない。Google chromeでログインして共有ブックマークを使えればすぐなのに。世界が便利に向けて猛ダッシュしているときに歩みをゆっくりにしたら相対的に不便になるという恒例であろう。
ラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」を少しずつ読み進めている。視覚というものは、単に外界の光景が上下逆さまになって網膜に像を結ぶという光学現象ではなくて、もっとずっと高度な組み合わせなのだということが延々と語られていく。アーキテクチャとテクスチャを分けて考えるという近年のAI病理診断の発想も、もとをたどればラマチャンドランなのかもしれない。世にあるものがどんな形をしているか"what"と、それがどのように存在してどう動いたり止まったりしているか、あるいは何の機能に向かっているか"how"を、それぞれ大脳の違う場所が認知してあとで統合しているという説明。そうだな、ぼくはすでにそのことをよく知っている。別の本で読んだ。けれどオリジナルはここにあったんだな。
ラマチャンドランが語る内容は20年前には最新で、その後、多くの若者たちが彼のあとを追いかけてより強固な科学を作り上げているから、今読むと、「まだそこにいるのか」と思う記述も出てはくる。けれども、それよりもむしろ、「ぼくはそんなこと知らなかったぞ」と驚く内容のほうが圧倒的に多い。
はるか先を歩いていたつもりなのに、ずっと昔に見落としていた路傍の花にいまさら目を奪われている。
効率悪くなかなか進まない目先の仕事にうんざりして、出張先のデスクでぼくはスマホを手に取った。なぜかスマホの電波だけはきちんと立っている。タイムラインをのぞくと今日は「阿・吽」の10巻が発売される日だというではないか。デスクを離れて窓際に寄っていき、ポケットWi-Fiを空にかざしながら頼りない電波の中で即座にKindle版をダウンロードする。読む。圧倒される。
「華厳」の2文字が胸骨を強めに殴りつけてくる。
ぼくはそのまま最新刊を読み通したあと、窓際に立ったまま、スマホで論文を検索する。すぐに見つかる。PDFをダウンロードする。すぐに読み終わる。つまんねぇなあ。最新の技術。つまんねぇなあ。指先が勝手に開いていく未来。意図して歩くことをやめてはいけない。犀のように。犀のように。
2019年10月21日月曜日
病理の話(376) 病態病理学e-learning敗北宣言
スタジオは秋葉原にあった。
なんていったっけあの橋……かつて、セガに教えてもらった橋。
そうだ、万世橋だ。
万世橋を曲がった先にあるあやしいビルが今日の目的地である。手前にあるローソンが肉の万世と癒合してしまっている。カツサンドを買ってほしそうな顔をしているローソンだったが普通のタマゴサンドイッチを買って、店の外にあるベンチで食ってみた。横には全身チャリンコレーサーみたいな男が無線機を抱え、ヘッドセットに向かって何やらまくしたてていた。やっぱりここは秋葉原の一角なんだな、と妙に腑に落ちる。万世橋の方向に向けてスマホをかまえ、インスタ用の写真を撮った。ここはモノクロフィルターしかないだろう。素人が撮るモノクロ写真、適度にこしゃくで最高だよな。
あやしいビルの入り口に重たい扉。一瞬オートロックのドアかと思ったが、ためしに思い切り引いてみたら普通にガチャっと大きめの音をたてて開いてしまった。全体的に古い。古民家系の古さではなく、遺跡系の古さ。朽ちた石のにおいがする。いちおうコンクリートづくりなのに。古代遺跡、洞窟、あるいは陸軍の古い施設といったたたずまい。いつ落下するかわからないエレベーターで上に上がる。無事上がれたことだけでもうめでたい。中層階でエレベーターのドアが開くと、そこはすなわち「インターネット放送用スタジオ」であった。さすが秋葉原、と思わずつぶやいてしまう。
ぼくはラジオ局に行ったことがないけれど、スタジオをぱっと見た印象は「これ、ラジオだ!」。
大量のコードが乱雑に置かれた棚。二重になったドア。収録スペースをのぞける大きな窓。でかい照明……そうか、ラジオと違って、ネット用スタジオは動画を撮るから、照明があるのか。
すでに待っていたのは日本看護協会の職員と、某看護系雑誌の編集部のスタッフであった。これから、e-learningの収録をする。e-learning、すなわち、インターネット講義だ。
ぼくは今日、看護師を対象としたe-learningの講師として、収録をする。
事前に用意したパワーポイントは、プロの雑誌編集者たちによって、めっちゃくちゃきれいに直されていた。フォントの配置がいい。色合いがやさしい。イラストがプロ仕様。デザイナー感覚の差をひしひしと感じる。やっぱ所詮ぼくは単なる医療者にすぎず、自分がわかりやすいと思って提示したプレゼンもプロの手にかかるとここまで直されてしまうんだな、と少し落ち込む。コーヒーを飲もうとしてこぼす。なにをやっているんだか。
視聴者の看護師たちは、金を払ってe-learningを申し込んで、少し上位の資格をとるための単位とする……らしい。よく知らない。ぼくはとにかくまじめに病理学を教えてくれればいいのだ、ということだった。言われたとおりにしよう。
ぼくの担当範囲は消化管である。全部で5コマもある。1コマがだいたい50分くらいの映像だろうか? 実際の収録時間はその何倍もかかるだろう、ということで、5コマとるためにまるまる2日間の予定を押さえられた。
咽頭、食道あたりはあまりぼくは詳しくない。なので、がっちり調べて、しっかり作り込んで、原稿もなるべく丁寧に。
胃は専門のど真ん中である。専門すぎるからなるべく平易になるように気を配ろう。
5コマ中2コマは「演習」というやつだ。問題をきちんと設定しておけば、さほど長くしゃべらなくていい。消化器がん患者を介護するにあたって注意すべき点を問うことにしよう。
そして大腸。これまで胃ほど綿密に研究してこなかったが、最近、ぼくの主戦場となりつつある……。
収録はおもいのほかうまくすすんだ。
「よくそこ、噛まずに言えますねえ」
「なめらかで聞き取りやすいです」
「申し分ありません」
はじめての収録だがおもしろいくらいにトラブルがない。
ぼくは若干気を良くしていた。「しゃべるの、むいてるのかも……」
咽頭・食道の項目。丁寧に。滑舌よく。はっきり、ゆっくりと。
特にダメ出しは出ない。
胃。作り込んだだけあって満足度が高い。同席しているスタッフたちも満足そうだ。
順調。2日間も用意してもらわなくてもよかったのではないか。
そして大腸編の収録。
ぼくは自分で興味がある大腸の講義に、これまでの収録で得た経験をプラスして、万全の状態で意気揚々と語った。
正直、手ごたえがあった! 収録が終わった! まわりをみまわす!
……全員が同じ方向に、15度だけ首をひねった。びっくりした。あれ?
「早かったですね」
「早かった」
なんてことだ、ぼくは、消化管の中でも今自分で一番興味があり、ひとりでも多くの人に正しい知識を伝えたいと思っている大腸の講義において、なぜか一番プレゼンがへただったのだ。じゃああの手ごたえはなんなんだよ。
そこで、その場にひとりいた、医療系のスタッフではない、ラジオ収録専門のスタッフが小さく、しかしはっきりした声で言った。
「でもこれは撮り直してはだめだと思います。今のは、一番勢いがあって、……なんというか、気持ちが入っていました。早口だったり、間が早かったりした部分は、編集で直します。だから今のを採用しましょう。」
なんてありがたいことを言ってくれるんだろうとうれしかった半面、ぼくはべっこりへこんでしまった。
そうか。ぼくは、自分が一番思い入れていることを話そうとすると、早口になって、とっつきづらくなって、UI(ユーザーインターフェース)が旧式になってしまうんだ。
万世橋の夕暮れはうすっぺらかった。ぼくはふらふらしながらローソンでご飯を買ってホテルに帰る。
……またサンドイッチを買ってしまっていた。何べんパン食うんだ。全国チェーンのパンを。
なんていったっけあの橋……かつて、セガに教えてもらった橋。
そうだ、万世橋だ。
万世橋を曲がった先にあるあやしいビルが今日の目的地である。手前にあるローソンが肉の万世と癒合してしまっている。カツサンドを買ってほしそうな顔をしているローソンだったが普通のタマゴサンドイッチを買って、店の外にあるベンチで食ってみた。横には全身チャリンコレーサーみたいな男が無線機を抱え、ヘッドセットに向かって何やらまくしたてていた。やっぱりここは秋葉原の一角なんだな、と妙に腑に落ちる。万世橋の方向に向けてスマホをかまえ、インスタ用の写真を撮った。ここはモノクロフィルターしかないだろう。素人が撮るモノクロ写真、適度にこしゃくで最高だよな。
あやしいビルの入り口に重たい扉。一瞬オートロックのドアかと思ったが、ためしに思い切り引いてみたら普通にガチャっと大きめの音をたてて開いてしまった。全体的に古い。古民家系の古さではなく、遺跡系の古さ。朽ちた石のにおいがする。いちおうコンクリートづくりなのに。古代遺跡、洞窟、あるいは陸軍の古い施設といったたたずまい。いつ落下するかわからないエレベーターで上に上がる。無事上がれたことだけでもうめでたい。中層階でエレベーターのドアが開くと、そこはすなわち「インターネット放送用スタジオ」であった。さすが秋葉原、と思わずつぶやいてしまう。
ぼくはラジオ局に行ったことがないけれど、スタジオをぱっと見た印象は「これ、ラジオだ!」。
大量のコードが乱雑に置かれた棚。二重になったドア。収録スペースをのぞける大きな窓。でかい照明……そうか、ラジオと違って、ネット用スタジオは動画を撮るから、照明があるのか。
すでに待っていたのは日本看護協会の職員と、某看護系雑誌の編集部のスタッフであった。これから、e-learningの収録をする。e-learning、すなわち、インターネット講義だ。
ぼくは今日、看護師を対象としたe-learningの講師として、収録をする。
事前に用意したパワーポイントは、プロの雑誌編集者たちによって、めっちゃくちゃきれいに直されていた。フォントの配置がいい。色合いがやさしい。イラストがプロ仕様。デザイナー感覚の差をひしひしと感じる。やっぱ所詮ぼくは単なる医療者にすぎず、自分がわかりやすいと思って提示したプレゼンもプロの手にかかるとここまで直されてしまうんだな、と少し落ち込む。コーヒーを飲もうとしてこぼす。なにをやっているんだか。
視聴者の看護師たちは、金を払ってe-learningを申し込んで、少し上位の資格をとるための単位とする……らしい。よく知らない。ぼくはとにかくまじめに病理学を教えてくれればいいのだ、ということだった。言われたとおりにしよう。
ぼくの担当範囲は消化管である。全部で5コマもある。1コマがだいたい50分くらいの映像だろうか? 実際の収録時間はその何倍もかかるだろう、ということで、5コマとるためにまるまる2日間の予定を押さえられた。
咽頭、食道あたりはあまりぼくは詳しくない。なので、がっちり調べて、しっかり作り込んで、原稿もなるべく丁寧に。
胃は専門のど真ん中である。専門すぎるからなるべく平易になるように気を配ろう。
5コマ中2コマは「演習」というやつだ。問題をきちんと設定しておけば、さほど長くしゃべらなくていい。消化器がん患者を介護するにあたって注意すべき点を問うことにしよう。
そして大腸。これまで胃ほど綿密に研究してこなかったが、最近、ぼくの主戦場となりつつある……。
収録はおもいのほかうまくすすんだ。
「よくそこ、噛まずに言えますねえ」
「なめらかで聞き取りやすいです」
「申し分ありません」
はじめての収録だがおもしろいくらいにトラブルがない。
ぼくは若干気を良くしていた。「しゃべるの、むいてるのかも……」
咽頭・食道の項目。丁寧に。滑舌よく。はっきり、ゆっくりと。
特にダメ出しは出ない。
胃。作り込んだだけあって満足度が高い。同席しているスタッフたちも満足そうだ。
順調。2日間も用意してもらわなくてもよかったのではないか。
そして大腸編の収録。
ぼくは自分で興味がある大腸の講義に、これまでの収録で得た経験をプラスして、万全の状態で意気揚々と語った。
正直、手ごたえがあった! 収録が終わった! まわりをみまわす!
……全員が同じ方向に、15度だけ首をひねった。びっくりした。あれ?
「早かったですね」
「早かった」
なんてことだ、ぼくは、消化管の中でも今自分で一番興味があり、ひとりでも多くの人に正しい知識を伝えたいと思っている大腸の講義において、なぜか一番プレゼンがへただったのだ。じゃああの手ごたえはなんなんだよ。
そこで、その場にひとりいた、医療系のスタッフではない、ラジオ収録専門のスタッフが小さく、しかしはっきりした声で言った。
「でもこれは撮り直してはだめだと思います。今のは、一番勢いがあって、……なんというか、気持ちが入っていました。早口だったり、間が早かったりした部分は、編集で直します。だから今のを採用しましょう。」
なんてありがたいことを言ってくれるんだろうとうれしかった半面、ぼくはべっこりへこんでしまった。
そうか。ぼくは、自分が一番思い入れていることを話そうとすると、早口になって、とっつきづらくなって、UI(ユーザーインターフェース)が旧式になってしまうんだ。
万世橋の夕暮れはうすっぺらかった。ぼくはふらふらしながらローソンでご飯を買ってホテルに帰る。
……またサンドイッチを買ってしまっていた。何べんパン食うんだ。全国チェーンのパンを。
2019年10月18日金曜日
頭を空っぽにするためには整理整頓が要る
テレビをつけたらサッカーワールドカップ予選をやっている。
おお、今度はサッカーか、てなもんだ。
ラグビーを何試合か見て以来、なぜかわからないけれど、「ワールドカップ」とか「世界大会」と名の付くものすべてがいとおしくなった。
今までもずっと、バレーボールも、陸上も、柔道も、水泳もやっていたのにな。
ラグビーの楽しさに触れたら、ほかのスポーツまであらためて楽しくなってきた。昔のわくわくを取り戻したかんじ。
いつからか、あらゆる競技の世界選手権が「世界〇〇」とか「絶対に負けられない」とか余計なコピーで彩られるようになって、ぼくは少しうんざりしていたのかもしれない。
普段やってないスポーツの選手に共感することはそんなに難しくない。けれど、「ほら! 今日はこのチャンネルで盛り上がってくれよ!」みたいなおぜん立てが当たり前になりすぎて、今やどんな競技をやっていようとも、その競技の独自性とかおもしろさがあまりわからなくなって、結局のところ、フジテレビ型の演出か、TBS型の盛り上げ方か、テレビ朝日型の絶叫か、くらいしか目に入らなくなっていたのだ。つまりはスポーツの種類なんてほんとにどうでもよくなってしまっていた。
もともと乱雑な心の中の、スポーツに関係する領域は、青春時代あたりでぐぐっとエントロピーが低下して、整然となって、集中して興奮できるようになっていたのに、その後なんだか過剰な演出や当事者感の足りない打算的盛り上げ方ばかりを見ているうちに、だんだんエントロピーが上昇してきたのだ。乱雑な感情を抑えられなくなって、あらゆるスポーツを楽しめなくなる一歩手前まで来ていた。
でもそれがラグビーひとつでまた凪いだ。視界がよくなって、競技性とか運命のいたずらとか、努力が才能を凌駕する一瞬の輝きみたいなものに、また目がとまるようになった。
ラグビーありがとな。きみのおかげでぼくは今日、楽しくサッカーをみられそうだ。
こんなこともあるんだなあってかんじだ。
2019年10月17日木曜日
病理の話(375) 看護師と病理学
電話が突然かかってきた。
ぼくが国立がん研究センター中央病院で研修していたときに一番お世話になった、現・関西医大の臨床病理の教授からだ。
病院の電話交換手が名前を告げたとき、ぼくは懐かしさのあまり思わず早口になってしまった。「はいぜひぜひ!」交換の人もびっくりしたのであろう、苦笑しながら電話をつないでくれた。
ぼくはがんセンター時代にこの人に会って、論文を丹念に読み続けることの重要さを教わった。
……「教わった」だと不正確かもしれない、「彼を見ることで、それがいかに大事かが腑に落ちた」。
腑に何かを落とそうと自分でがんばったのではなくて、自然と腑に落ちた(中動態)。
なんかそういう感じだった。つまりはぼくがその後勉強していく上でもっとも重要な「環境」あるいは「背景」のひとつとなったのが彼だった。
たとえばツイッターにもほむほむ先生のように、論文を丹念に読んでまとめてブログにまとめ続けているすばらしい方がいらっしゃる。いい時代だ。昔は関西医大の教授のすごさを説明する時には、ある程度言葉を尽くさないといけなかった。今ならひとことで済む。
「ほむほむ先生みたいなことを病理でずっとやってた人だよ」
日常的に学問を更新し続けている人。ぼくはそういう人たちに強くあこがれる。
あこがれるようになった。
あこがれていいんだよと思える側に連れてきてくれた人だ。
彼からの電話、用件はシンプル。
「看護師向けのe-learningの講師やってくれへん?」
あぁー。
「病態病理学、っていう単元なんやけど……」
あぁー。
ぼくは彼からすべてを聞く前に、いろいろ納得した。
医療はさまざまな分業によって成り立っているが、病院に勤める職員のざっくり半分くらいは看護師である。看護師の職務は、医師のサポートや病院における下働きではない。医者は(そしてなぜか患者も)医者が主役だと思ってるがたぶんあまりそれは正しくない。看護師のケアこそが医療の根幹である、と、少なくともぼく自身は考えている。
患者に寄り添い、病を背負ったことで生じたさまざまな不便を解消し、ときに患者の話し相手となり、体調の変化を敏感にモニタリングする。
これこそが医療のおおもとだ。エビデンスは道具にすぎない。難しい医学よりも丁寧な実践。「患者の体に何が起きているか、どのようなメカニズムで病気になったか」なんて、スマホがなぜつながるのかを説明するようなもので、そんなこと知らなくても多くの医療は回っていく。大事なのはスマホを使って何をするかだ。スマホを持ったままどういう人生を歩むかだ。
……とはいえ。
「病」という現象を間において、患者と医療者があれこれ悩みながら二人三脚をしていく中で、彼我を介在している「病」を多少なりとも詳しく知っておくことは、無駄ではない。わりと、役に立つ。
病理学というのは医療者にとっても患者にとっても、もっと知られておいていい学問である。スマホの基盤まで知らなくてもいいけど、4Gとか5Gって何のことなの、とか、Wi-Fiと地上波って何が違うの、くらい知っていても損はないだろう。
ところが病理の話はググってもなかなかまとまっていない。
おまけに、仮に専門職の人間であっても、キャリアを通じて病理学を習う機会自体が、実はとても少ない。
学校でも、病院という現場でも、医療者たちが日々忙しく修練して身につけていくのは医療の「実践」ばかりであって、病の理論ではないのである。国家試験でもあまり問われないし……。
実践ではなく理論のほうを継続して勉強するというのはかなり大変なのである。
だからこそほむほむ先生や関西医大の教授の偉さが際立つ。
日常のルーチンに押しつぶされてもおかしくないだけの仕事量をほこるのに、なお、学問という「すぐには役に立たないかもしれない、自分と仕事相手との間にあるだけの存在」にもきちんと注意を払っているその姿勢がすばらしい。
でもこれ言うほど簡単ではない。毎日論文読むなんてほんとに大変だからね。
ということで、最前線で身を粉にして働く看護師にも、たまには病理学をラクに学ぶ機会をご用意できたらいいのではないか……。そういうコンセプトのもとに、今回、ネット上で放送大学のように講義をうけられる病理学のe-learningが作られることになったわけである!!
まあここまでわりとぼくの妄想で、ほんとうは「先にe-learningがあって」「病理もいれときゃいんじゃね、的な判断があって」「関西医大の教授を通してぼくに依頼がきた」というのが真実なんだけど……。
なんか現場ではたらく人たちのために、実践の真っ最中にちょっと思い出すと役に立つような「ヤマイの理」を解説できないかなーと思って、e-learningの収録に挑んだ。
そのようすはまた次回の「病理の話」ででも説明しようと思う。これがまた一筋縄ではいかなかったのである。難しいよ収録。
2019年10月16日水曜日
そろそろ西村賢太に手を出す
「多弁」にメリットがねぇなあと気づかされる毎日だ。
昨日まで更新していた「病理の話」にしても、結局、ある研究会で10分くらいしゃべっただけのことなのに、週をまたいで3話もの長さでブログにしてしまっている。わりと狂っている。
そんなに引き延ばさなくても……というか、逆か、ちゃんと短くまとめる能力がないのか。
細部を過不足なく書きたいなーと思って局所でちまちま文字数を重ねることで、できあがって俯瞰するとだいぶいびつで巨大な楼閣になっている、みたいなかんじだ。子どもがレゴブロックで大きな城を作ろうとする際にやることに似ている。門のところばかり凝っていて、なかなか屋根がつかない。庭にとても多くの動物がいるが、部屋の壁が分厚すぎて、部屋の中のスペースが狭くてベッドしか置けない。
こないだラマチャンドランの名著「脳のなかの幽霊」(角川文庫)を読み始めた。角川なんだなあ。単行本が出たのは1999年。今となっては多くのテレビや雑誌などで取り上げられすぎて、アレンジされすぎて、もはや一般常識みたいになってしまった「左脳と右脳の話」。これを最初に世に広めた本ではないかとも言われており、今に到るまで続く脳科学ブームの先鞭を付けた本だと言われている(茂木健一郎ががんばったからだ、と言いたい人はいるだろうが、いちおうこの本がかなり大きく貢献したことは間違いない)。
この本、なぜかぼくは未読だった、一番先に読んでいてもいいような本なのだが……このたびあらためて読んでみて、ああすごい読みやすいなあ、なんて訳文が上手なんだ、とまず思った。しかしすぐに思い返して、(もちろん翻訳はとても上手なんだけれど)ラマチャンドランの脳が信じられないくらい整然と片付けられているんだろうなあという印象をもった。まだ読み途中だけれどね、科学の本なのにここまで読みやすいとため息しかでない。かなり高度なことも書いてあるのになあ。
そこそこの長さの本で、まだ読み終わってはいないのだがとにかく多くのエピソードや多くの思考が流れ込んできて大河に浮かんでいるような気持ちになるのだけれど、途中、ふと、
(ラマチャンドランの文章はひとつひとつが絞られているなあ、むしろスリムだな)
と感じるようになった。多弁で冗長という感じがしない。一流臨床医の為せる業か? 多くの言葉と多くの知恵を練り込んでいても、段落や一文がさほど長くなくて、結論が明快でスッと頭に入ってくる。
たぶんぼくはそういうところを本当は目指して訓練していかないといけないんだろうな、と思った。なのに最近のぼくは純文学とか私小説みたいなドロドロして結論が見づらくて懊悩しているタイプの文章ばかり読んでいる。そういうところだぞ、と声が響く。
2019年10月15日火曜日
病理の話(374) 早期胃癌研究会あたふた顛末記その3
ついにぼくらの発表の出番がやってきた! といっても病理医の出番は基本的に最後だ。だから最初はヒマである。寝て待っていればいい。
……というわけにいかないので難しい。
まず、担当する症例をもってきた臨床医がひとこと告げる。ビシッとダブルのスーツで決めている。やはり彼にとっても晴れ舞台なのだろう。
「症例は、○○歳の○性(男性 or 女性を告げる)。場所は○○結腸です。ではご読影よろしくお願いいたします。」
彼の出番はこれでほぼ終わりである。そのためだけにダブルのスーツかよ、と思わずつっこみたくなる。
ここから先は、彼とその上司が自分の病院でシコシコ作ったパワーポイントファイルを会場の数百人が眺めながら、最前列で「読影委員」たちが、内視鏡画像の示す意味をひたすら議論し合う。意見は衝突する。がんがでかいのか、小さいのか。深くしみ込んでいるのか、浅いのか。さらには表面の構造の細かな違いから、背景に存在する遺伝子変異までを見通そうとする、マニアックでオタクな一流の読影合戦。
議論が白熱する。病理医であるぼくは、えんえんと、議論の内容を頭に叩き込んでいく。
はじめてこの症例を目にする全国の優秀な内視鏡医たちが、どこに着目して、どこを疑問に思っているかというのを、その場でリアルタイムでなるべく細かく聴き取り、頭の中で再構成して、あとで自分がどうやって「病の理(やまいのことわり)」を解説するかに活かさなければならない。
臨床医A「これは○○病変だと思います、なぜならば最表層においてこのような変化が……」
病理医ぼく「なるほど、最表層の模様についてきちんと言及する必要があるのだな」
臨床医B「しかし病変の不均一性からすると……」
病理医ぼく「なるほど、病変が均一か不均一かをちゃんと読み分けているのだから、病理もそこに着目して解説したほうがよさそうだな」
臨床医C「一見簡単そうに見えますが実は難しい症例で……」
病理医ぼく「簡単そうなのに難しいってなんだよ」
臨床医D「過去にこの会で提示された、○○病院が提唱したこの病気に似ているきがします」
病理医ぼく「やべえ! 過去データ! 検索検索(スマホ高速フリック)」
無言でずっと忙しい。ここで脳が一度死ぬ。
いよいよぼくの病理解説がスタートする。事前にこの症例のプレパラートをみて写真をとり、それをパワーポイントにはりつけて解説を書き込み、巨大スクリーン左右2面にそれぞれ違う写真が出るようにパワポファイルを2つにわけて編集したものを投影する。カウントダウン・クロックの残り時間は……12分! これなら病理解説を5分で終わらせれば十分ディスカッションの時間がとれる。さあ行こう。
マイクの前に立つ。今ぼくは会場で、数百人の聴衆に背中を向けてスクリーンの側を向いているから、きっと、華奢でたよりないシルエットに見えていることだろう。最近すこし太ったけれど。
最前列に座っている大御所病理医達がこちらを……
見 て な い 。 みんなスクリーンを見てる。もうすこしぼくの方みてくれよ、と思わなくもないが、彼らはもう症例のことで頭がいっぱいなのだ。
全員がスクリーンのほうを見ている。だれもぼくの背中なんて見ていないのである。だからぼくもスクリーンに向き合う。症例検討会では、どんなに目立とうとも、どんなにはしゃごうとも、どんなに悔しがろうとも、どんなに恥ずかしい目に遭おうとも、その人の個人的な部分なんて誰も見ていない。とにかく、みんな、症例を見ている。
ぼくは解説をはじめた。
「ご施設での診断を提示します。――私も基本的にはこれと同意見ですが細かい解説を加えます。まず、病変に対して関心領域が4箇所指定されました。この4箇所における病理組織像をご提示しましょう。関心領域Aについてです。対面作成したプレパラートを並べて提示します。拡大を一段ずつ上げていきます――――――」
たった5分だが、1回噛むたびにクレームの電話が5000件くらいかかってくるテレビ局の気分なので、疲労困憊する。遺伝子解析の結果まで含めて、解説はすべて終わった。
前回、約1年前、ここで解説を担当したときには、それこそ病理医からもフロアにいる大御所臨床医たちからもボコボコに攻撃されたものだった。
さあ、今日はどうd……あっ! 知ってる髪型の老人が立ち上がった……!
終わったのか。
ぼくは二度目の精神的な死を悟る。
老齢の伝説はかくしてマイクを持ち、しゃべりはじめた。
「あーよかったと思いますよ。免疫染色についてはこれとこれを追加してください。解釈についてはこういう考え方もありますね。でもあとは同意見です」
\ オオー /
ΩΩ ΩΩ ΩΩ ΩΩ
(脳内観客たち)
一年前のこの会では、「あいつ最近インターネットに忙しいらしいぞ」などの揶揄が聞こえるようにささやかれていたのだが、今回はなんだか全体的に会場があったかかった。モンゴルで病理の講演をしたり、いくつかレビューを書いておいたりしたことが功を奏したのかも知れない。彼らは目に見える業績が少ない若手には厳しいが、それなりに文字を残した中堅にはやさしい。
ぼくの戦いは終わった。どっと汗をかいていた。一緒に発表した臨床医もぺこりぺこりと頭を下げていた。自席に戻って息をつく。5分の発表と5分のディスカッションのために失ったカロリーはたぶん50000kcalくらいあったろう。それにしてはやせない。不思議なものだ。
……というわけにいかないので難しい。
まず、担当する症例をもってきた臨床医がひとこと告げる。ビシッとダブルのスーツで決めている。やはり彼にとっても晴れ舞台なのだろう。
「症例は、○○歳の○性(男性 or 女性を告げる)。場所は○○結腸です。ではご読影よろしくお願いいたします。」
彼の出番はこれでほぼ終わりである。そのためだけにダブルのスーツかよ、と思わずつっこみたくなる。
ここから先は、彼とその上司が自分の病院でシコシコ作ったパワーポイントファイルを会場の数百人が眺めながら、最前列で「読影委員」たちが、内視鏡画像の示す意味をひたすら議論し合う。意見は衝突する。がんがでかいのか、小さいのか。深くしみ込んでいるのか、浅いのか。さらには表面の構造の細かな違いから、背景に存在する遺伝子変異までを見通そうとする、マニアックでオタクな一流の読影合戦。
議論が白熱する。病理医であるぼくは、えんえんと、議論の内容を頭に叩き込んでいく。
はじめてこの症例を目にする全国の優秀な内視鏡医たちが、どこに着目して、どこを疑問に思っているかというのを、その場でリアルタイムでなるべく細かく聴き取り、頭の中で再構成して、あとで自分がどうやって「病の理(やまいのことわり)」を解説するかに活かさなければならない。
臨床医A「これは○○病変だと思います、なぜならば最表層においてこのような変化が……」
病理医ぼく「なるほど、最表層の模様についてきちんと言及する必要があるのだな」
臨床医B「しかし病変の不均一性からすると……」
病理医ぼく「なるほど、病変が均一か不均一かをちゃんと読み分けているのだから、病理もそこに着目して解説したほうがよさそうだな」
臨床医C「一見簡単そうに見えますが実は難しい症例で……」
病理医ぼく「簡単そうなのに難しいってなんだよ」
臨床医D「過去にこの会で提示された、○○病院が提唱したこの病気に似ているきがします」
病理医ぼく「やべえ! 過去データ! 検索検索(スマホ高速フリック)」
無言でずっと忙しい。ここで脳が一度死ぬ。
いよいよぼくの病理解説がスタートする。事前にこの症例のプレパラートをみて写真をとり、それをパワーポイントにはりつけて解説を書き込み、巨大スクリーン左右2面にそれぞれ違う写真が出るようにパワポファイルを2つにわけて編集したものを投影する。カウントダウン・クロックの残り時間は……12分! これなら病理解説を5分で終わらせれば十分ディスカッションの時間がとれる。さあ行こう。
マイクの前に立つ。今ぼくは会場で、数百人の聴衆に背中を向けてスクリーンの側を向いているから、きっと、華奢でたよりないシルエットに見えていることだろう。最近すこし太ったけれど。
最前列に座っている大御所病理医達がこちらを……
見 て な い 。 みんなスクリーンを見てる。もうすこしぼくの方みてくれよ、と思わなくもないが、彼らはもう症例のことで頭がいっぱいなのだ。
全員がスクリーンのほうを見ている。だれもぼくの背中なんて見ていないのである。だからぼくもスクリーンに向き合う。症例検討会では、どんなに目立とうとも、どんなにはしゃごうとも、どんなに悔しがろうとも、どんなに恥ずかしい目に遭おうとも、その人の個人的な部分なんて誰も見ていない。とにかく、みんな、症例を見ている。
ぼくは解説をはじめた。
「ご施設での診断を提示します。――私も基本的にはこれと同意見ですが細かい解説を加えます。まず、病変に対して関心領域が4箇所指定されました。この4箇所における病理組織像をご提示しましょう。関心領域Aについてです。対面作成したプレパラートを並べて提示します。拡大を一段ずつ上げていきます――――――」
たった5分だが、1回噛むたびにクレームの電話が5000件くらいかかってくるテレビ局の気分なので、疲労困憊する。遺伝子解析の結果まで含めて、解説はすべて終わった。
前回、約1年前、ここで解説を担当したときには、それこそ病理医からもフロアにいる大御所臨床医たちからもボコボコに攻撃されたものだった。
さあ、今日はどうd……あっ! 知ってる髪型の老人が立ち上がった……!
終わったのか。
ぼくは二度目の精神的な死を悟る。
老齢の伝説はかくしてマイクを持ち、しゃべりはじめた。
「あーよかったと思いますよ。免疫染色についてはこれとこれを追加してください。解釈についてはこういう考え方もありますね。でもあとは同意見です」
\ オオー /
ΩΩ ΩΩ ΩΩ ΩΩ
(脳内観客たち)
一年前のこの会では、「あいつ最近インターネットに忙しいらしいぞ」などの揶揄が聞こえるようにささやかれていたのだが、今回はなんだか全体的に会場があったかかった。モンゴルで病理の講演をしたり、いくつかレビューを書いておいたりしたことが功を奏したのかも知れない。彼らは目に見える業績が少ない若手には厳しいが、それなりに文字を残した中堅にはやさしい。
ぼくの戦いは終わった。どっと汗をかいていた。一緒に発表した臨床医もぺこりぺこりと頭を下げていた。自席に戻って息をつく。5分の発表と5分のディスカッションのために失ったカロリーはたぶん50000kcalくらいあったろう。それにしてはやせない。不思議なものだ。
2019年10月11日金曜日
劇的かどうかビフォーアフター
部屋においてあるアナログな気圧計。
ひんまがったガラスの柱の中に水が入っていて、気圧によって水位が変わる。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0772PTYHP/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_CQSLDb4456GSB
(↑こんなやつ)
おとといと、昨日と今日とでだいぶ違う。
秋はくるくると気圧が変わるんだなあ。
『天気の子』の中で、じいさんが、
「異常気象とか言うけど、こんなの異常気象でもなんでもない。800年とか1000年という周期でみればたいしたことない。」
みたいなことを言うシーンがある。
とってもよく覚えてる。
まあそうなんだよなー、今の気圧計にしてもさ。
天気がほとんど変わらない日でもこれほど気圧がバコバコ変わってるなんてことは、これ、あれだろ、「グラフの縦軸を広げ過ぎちゃったウソ統計学」といっしょだろ。
世界にとってはそれほどの差でもないのに、こうして測定器(のしょぼいやつ)を使っちゃったせいで、細かい差が目に見えるようになって、おかげでぼくは毎日とるにたらない気圧差をみて、「秋は変化がはげしいな」とか言っちゃってる。
「人は、差分を認識できる限りで、『差』を語る。」
可視光の範囲が目によって規定されていたり。
音波と超音波の区別が聴覚によって規定されていたりする。
だからきっと世の中にあるものの中で、「この差はなんとか詰めないとなあ」なんて思うとき、そこにどれだけぼくらの脳が関与しているかを考えるのは、大事なことなんじゃないかなーと思う。
ひんまがったガラスの柱の中に水が入っていて、気圧によって水位が変わる。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0772PTYHP/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_CQSLDb4456GSB
(↑こんなやつ)
おとといと、昨日と今日とでだいぶ違う。
秋はくるくると気圧が変わるんだなあ。
『天気の子』の中で、じいさんが、
「異常気象とか言うけど、こんなの異常気象でもなんでもない。800年とか1000年という周期でみればたいしたことない。」
みたいなことを言うシーンがある。
とってもよく覚えてる。
まあそうなんだよなー、今の気圧計にしてもさ。
天気がほとんど変わらない日でもこれほど気圧がバコバコ変わってるなんてことは、これ、あれだろ、「グラフの縦軸を広げ過ぎちゃったウソ統計学」といっしょだろ。
世界にとってはそれほどの差でもないのに、こうして測定器(のしょぼいやつ)を使っちゃったせいで、細かい差が目に見えるようになって、おかげでぼくは毎日とるにたらない気圧差をみて、「秋は変化がはげしいな」とか言っちゃってる。
「人は、差分を認識できる限りで、『差』を語る。」
可視光の範囲が目によって規定されていたり。
音波と超音波の区別が聴覚によって規定されていたりする。
だからきっと世の中にあるものの中で、「この差はなんとか詰めないとなあ」なんて思うとき、そこにどれだけぼくらの脳が関与しているかを考えるのは、大事なことなんじゃないかなーと思う。
2019年10月10日木曜日
病理の話(373) 早期胃癌研究会あたふた顛末記その2
早期胃癌研究会の会場は、泉岳寺にある笹川記念講堂というところだ。
1階ロビーから、羽田空港なみに長いエスカレーターを上がっていく。威圧感のあるつくりをしている。吹き抜けには競艇の巨大ポスター。配色豊かなボートレース。渡辺直美の好感度の高さがすばらしい。渡辺直美の爪の垢を煎じて、庭の畑の土に混ぜてトマトを色鮮やかに育てたい。
たどりついた会には大量の受付おねえさんがならぶ。
いまどきおねえさんなんだな。古い。
参加費1000円を払う。サンドイッチか小さな巻き寿司を引き換えにもらえる。
バックには製薬会社と出版社がついている。しかしこいつら完全に赤字だと思う。
出版社のブースが申し訳程度にある。立ち寄ると見知った顔がいた。すこし痩せましたねと言ったら、だいぶ白髪増えましたねと返され……てません。創作です。そんな失礼なことは言ってないので大丈夫です。医学書院のウォーリーさんは礼儀正しい男です。上司の方ここを見て彼を飛ばす準備をはじめないでください。どうしても飛ばしたいならMさんのほうにしてください。
学会や研究会の発表を控えて緊張しているときに見知った顔に出会うと緊張がほぐれるという人が居る。ぼくはあれ、理解はできるのだが共感ができない。逆だからだ。知っている人がいればいるほど緊張する。他人には失敗を見せてもいいけれど知人には見せたくない、みたいな感情がぼくの中層付近に漂っている。中層で表層を支える粘膜筋板みたいな存在である。わからない人はわからなくていいです。
ゆるやかな斜面になったでかすぎる大講堂を、前の方に向かってトットッとかけおりていく。下におじいさんがいるときはハイジのまねをしよおう。そう、たいてい最前列にはおじいさんたちがいる。どれだけ早めに会場入りしてもたいてい待っている。歴戦の勇士達。消化管病理の大御所達だ。内視鏡医よりもベテラン病理医のほうが会にやってくる時間が平均的に早い。おじいちゃんだからだろう。ぼくは廃人じゃなかったハイジの顔で、明るく彼らの方に駆け下りていくことにする。途中で少しずつ身をかがめて絶対に見つからないように最終的には段ボールの中に隠れてそろそろと移動する。
最前列から3列ほど後ろ、左側に、いわゆる読影委員と呼ばれるコアメンバーたちが主に座る聖域があるのだが、症例を提示する全国のドクターたちもここにやってくる。
いた。
今回ぼくが病理担当する症例を提示する、臨床医が二人……。
とてもリラックスして談笑している。
余裕だなあ。
寄っていって声をかける。緊張してないみたいですね!
すると二人は何言ってんだこいつという目をしながらぼくに答える。
「だって……ぼくら写真出したらそれで終わりですからね。しゃべるのは、画像をみて考えを述べる読影委員の方々と、あと病理のあなたですし……」
……。確かに……。彼らは写真の選定と、研究会への症例応募という最もストレスのかかる仕事をすでに終えて、あとは会場で料理されるのを待つだけの存在であった。にしても、この症例がぼろくそにけなされる可能性もなくはないのに、たいした自信である。そしてその自信ももっともだ。実際いい症例だとぼくも思った。
まあそんなわけでぼくはこのとき緊張が200倍(中拡大)になった。もう1個倍率をあげて400倍になると、強拡大になる。わからない人はわからなくていいです。
ぼくらの発表は2番目だ。
まず、1番目。本州のはしっこにある病院からの症例提示がはじまる。
……美しい!
第一印象がそれだった。あまり普段聞かないような名前の(失礼)病院だが、内視鏡写真がとてもきれいだ。ポートレートや風景写真ではなく、大腸カメラの画像なわけで、ライティングとか絞りみたいなことは基本的にあまり操作できない。画角もあまり凝ってしまうとかえって見づらくなるからみんな似たようなものだ。
それでも画像が美しいと思える理由、それは、病変に対する迫り方・距離感が適切であり、事前に病変のある部分をきちんと生理食塩水で洗い流している丁寧さであり、非常に細かいピント調節を手間を惜しまずにやっていることであり……。
何より、ひとつひとつの画像が秘める「この意図でここを拡大観察しているから、ぜひ読み取ってくれ!」という、写真撮影者……主治医の心意気がきちんと伝わってくること。
つまりはメッセージ性がしっかりしている。
さすが早期胃癌研究会提示症例だ。にわかに緊張が高まる。ふと横の臨床医をみると、彼らは別にこんなの普通だよと顔をしながら画面を凝視していた。複雑な闘争心を思ってうれしい気持ちになる。
ステージに近いところで症例を見ているぼくの目に、はしっこに設置された大型のストップウォッチ的表示が目に入る。無情のカウントアップ。あれが30分をこえたときぼくはしぬんだ。そういう気持ちにさせられる。前回も書いたが時間厳守。自分の症例が極めて重要だからといって時間オーバーは許されない。なぜなら出てくる症例がぜんぶ重要だからである。
1例目の症例、いよいよ病理解説がはじまった。そつがない。問題ない。きちんとやりきったな。そう思った。発表者も安堵のため息をついたようにみえた(シルエットだけだが)。そこにすかさず飛び込んでくる刺客! 会場から剛力勇士たちが次々と襲いかかってくる! ひとりめは還暦近い有名病理医! ふたりめは喜寿近い超有名病理医! さんにんめは傘寿こえてんじゃねぇのもしかするとレジェンド超絶怒濤有名病理医! ただちに提示施設の病理医は粉微塵に……
ならなかった。
髪一重でふみとどまった。
感動する。涙が出る。鼻の方向に。だから鼻をかんだ。
さあぼくのばんである。長くなったのでその3(来週火曜日)に続く。
1階ロビーから、羽田空港なみに長いエスカレーターを上がっていく。威圧感のあるつくりをしている。吹き抜けには競艇の巨大ポスター。配色豊かなボートレース。渡辺直美の好感度の高さがすばらしい。渡辺直美の爪の垢を煎じて、庭の畑の土に混ぜてトマトを色鮮やかに育てたい。
たどりついた会には大量の受付おねえさんがならぶ。
いまどきおねえさんなんだな。古い。
参加費1000円を払う。サンドイッチか小さな巻き寿司を引き換えにもらえる。
バックには製薬会社と出版社がついている。しかしこいつら完全に赤字だと思う。
出版社のブースが申し訳程度にある。立ち寄ると見知った顔がいた。すこし痩せましたねと言ったら、だいぶ白髪増えましたねと返され……てません。創作です。そんな失礼なことは言ってないので大丈夫です。医学書院のウォーリーさんは礼儀正しい男です。上司の方ここを見て彼を飛ばす準備をはじめないでください。どうしても飛ばしたいならMさんのほうにしてください。
学会や研究会の発表を控えて緊張しているときに見知った顔に出会うと緊張がほぐれるという人が居る。ぼくはあれ、理解はできるのだが共感ができない。逆だからだ。知っている人がいればいるほど緊張する。他人には失敗を見せてもいいけれど知人には見せたくない、みたいな感情がぼくの中層付近に漂っている。中層で表層を支える粘膜筋板みたいな存在である。わからない人はわからなくていいです。
ゆるやかな斜面になったでかすぎる大講堂を、前の方に向かってトットッとかけおりていく。下におじいさんがいるときはハイジのまねをしよおう。そう、たいてい最前列にはおじいさんたちがいる。どれだけ早めに会場入りしてもたいてい待っている。歴戦の勇士達。消化管病理の大御所達だ。内視鏡医よりもベテラン病理医のほうが会にやってくる時間が平均的に早い。おじいちゃんだからだろう。ぼくは廃人じゃなかったハイジの顔で、明るく彼らの方に駆け下りていくことにする。途中で少しずつ身をかがめて絶対に見つからないように最終的には段ボールの中に隠れてそろそろと移動する。
最前列から3列ほど後ろ、左側に、いわゆる読影委員と呼ばれるコアメンバーたちが主に座る聖域があるのだが、症例を提示する全国のドクターたちもここにやってくる。
いた。
今回ぼくが病理担当する症例を提示する、臨床医が二人……。
とてもリラックスして談笑している。
余裕だなあ。
寄っていって声をかける。緊張してないみたいですね!
すると二人は何言ってんだこいつという目をしながらぼくに答える。
「だって……ぼくら写真出したらそれで終わりですからね。しゃべるのは、画像をみて考えを述べる読影委員の方々と、あと病理のあなたですし……」
……。確かに……。彼らは写真の選定と、研究会への症例応募という最もストレスのかかる仕事をすでに終えて、あとは会場で料理されるのを待つだけの存在であった。にしても、この症例がぼろくそにけなされる可能性もなくはないのに、たいした自信である。そしてその自信ももっともだ。実際いい症例だとぼくも思った。
まあそんなわけでぼくはこのとき緊張が200倍(中拡大)になった。もう1個倍率をあげて400倍になると、強拡大になる。わからない人はわからなくていいです。
ぼくらの発表は2番目だ。
まず、1番目。本州のはしっこにある病院からの症例提示がはじまる。
……美しい!
第一印象がそれだった。あまり普段聞かないような名前の(失礼)病院だが、内視鏡写真がとてもきれいだ。ポートレートや風景写真ではなく、大腸カメラの画像なわけで、ライティングとか絞りみたいなことは基本的にあまり操作できない。画角もあまり凝ってしまうとかえって見づらくなるからみんな似たようなものだ。
それでも画像が美しいと思える理由、それは、病変に対する迫り方・距離感が適切であり、事前に病変のある部分をきちんと生理食塩水で洗い流している丁寧さであり、非常に細かいピント調節を手間を惜しまずにやっていることであり……。
何より、ひとつひとつの画像が秘める「この意図でここを拡大観察しているから、ぜひ読み取ってくれ!」という、写真撮影者……主治医の心意気がきちんと伝わってくること。
つまりはメッセージ性がしっかりしている。
さすが早期胃癌研究会提示症例だ。にわかに緊張が高まる。ふと横の臨床医をみると、彼らは別にこんなの普通だよと顔をしながら画面を凝視していた。複雑な闘争心を思ってうれしい気持ちになる。
ステージに近いところで症例を見ているぼくの目に、はしっこに設置された大型のストップウォッチ的表示が目に入る。無情のカウントアップ。あれが30分をこえたときぼくはしぬんだ。そういう気持ちにさせられる。前回も書いたが時間厳守。自分の症例が極めて重要だからといって時間オーバーは許されない。なぜなら出てくる症例がぜんぶ重要だからである。
1例目の症例、いよいよ病理解説がはじまった。そつがない。問題ない。きちんとやりきったな。そう思った。発表者も安堵のため息をついたようにみえた(シルエットだけだが)。そこにすかさず飛び込んでくる刺客! 会場から剛力勇士たちが次々と襲いかかってくる! ひとりめは還暦近い有名病理医! ふたりめは喜寿近い超有名病理医! さんにんめは傘寿こえてんじゃねぇのもしかするとレジェンド超絶怒濤有名病理医! ただちに提示施設の病理医は粉微塵に……
ならなかった。
髪一重でふみとどまった。
感動する。涙が出る。鼻の方向に。だから鼻をかんだ。
さあぼくのばんである。長くなったのでその3(来週火曜日)に続く。
2019年10月9日水曜日
バザールでハザードる
知人の病理医がいい機械を導入したという話を聞いた。すごいおもしろそうだなーとわくわく見ていたら、「市原もやるかい?」と言われて、飛び上がって喜んで、ほくほくと文献を集めた。
「もうちょっとしたら、ぼくらが機械の使い方をマスターするから、そしたらうちにおいでよ。使わせてあげるよ。」
ぼくはそれをとても楽しみに待っていた。
ところがそれを待っている間に、ぼくが激烈に忙しくなってしまった。すごく雑なことをいうと「ツイッター以外なにもできないくらい時間がない」。仕事の合間合間に数秒しか自分の時間がとれない。朝から晩まで、ずうっと何かを書いたり見たり読んだりしゃべったりしていなければならない。
ちょっと計算外のことが立て続けに起こった。いいことばかりではない。まあ悪いことでもないのだが。
新しい研究を始める余裕がなくなってしまった。
……正確には、これでもなお新しく何かを始められる人のことを研究者と呼ぶのだろう。ぼくは研究者にはなれないんだな。
断腸の思いでメールを打つ。
「すみません……こちらから申し上げておいたにもかかわらずどうしても時間がとれないんです。このたびの話はなかったことにさせてください」
本当に残念、歯がみして悔しがる。
メールの最後に「市原真 拝上」とつけて送信するつもりが何の拍子か、「廃城」と変換された。ドイツかどこかの山間部にグレー一色でたたずむ古くさびれた城のイメージが頭をうめつくす。
ちきしょう。
まだ書けないことばかりなのだが、ぼくであるとか、病理学会であるとか、医療界であるとか、そういったものを取り巻く環境がこれから2022年くらいにかけてぐいぐいと動く。
それに向けて、予算を組んで、うちの病院の病理診断科がこの先ちゃんと患者や社会の役に立つためにどういう体勢を取らなきゃ行けないのかを考える必要が出てきた。これは本当に急な話だったので、ぼくはそれまでにノホホンと受けていた依頼を急いで片付けながら、脳の7割くらいを常にそっちに割かないといけなくなった。
てきめんにしわよせが来たのは読書である。
夜寝る前に、ふと息をついて本を読もうと思っても頭に入ってこない。
ツルッ、ツルッ、文字がすべって、目頭あたりからぽとぽとと落ちていく。まったく集中できなくて本をすぐ閉じる。ふとんに入ってさっさと寝てしまう。起きる。まったく寝た気がしないくらい一瞬で朝が来る。おもしれえなあちゃんと疲れは取れているよ。腰も首も昨晩よりかなりいい。けれども文字に対する疲れだけがどうしてもとれない。
目覚めて意識が開門すると、城門の前に多数の「案件」が並んで待っていて、ソレッとばかりに脳の中に入り込んでくる。朝ご飯を食べているころにはもはや脳の中はバザールみたいになっている。これが夜までずうっと続く。
なおぼくは最近、忙しくなってから、なぜかかつての10倍くらいの分量の文章を書いている。たぶん、るつぼみたいになった脳の中から、整理が終わって出荷できるものをどんどん外に出していかないと、市場がストップして何か大変なことになってしまう、みたいな強迫観念がある。だから出す。出せッ大泉君。
たぶん文章を見ている人たちは、ぼくが今、空前絶後にヒマなんだろうと思うに違いない。
たしかに心臓外科医とか脳外科医の考える「忙しい」はぼくには全くあてはまらない。SEのいう「忙しい」も、電通職員のいう「忙しい」も、政治家のいう「忙しい」も、芸能人のいう「忙しい」も、ぼくにとっては無縁だ。まったくみんながんばって欲しいと思う。ぼくはいっぱい食べていっぱい寝ている。ツイッターもするし。ブログも書くよ。
でもぼくは小声でいうならば今、脳が忙しい。脳は商売道具なのに、研ぐ暇も無い。きっと今本をあまり読めていないことが、1年後くらいにダメージとなって返ってくるだろう。早くヒマにならないかなあ。
以上をツイッターに書くと「これ以上ヒマになりたいのかよ」と笑われるけれど、正直、ぼくは今、誰かが笑ってぼくを見てくれることが愛おしい。
「もうちょっとしたら、ぼくらが機械の使い方をマスターするから、そしたらうちにおいでよ。使わせてあげるよ。」
ぼくはそれをとても楽しみに待っていた。
ところがそれを待っている間に、ぼくが激烈に忙しくなってしまった。すごく雑なことをいうと「ツイッター以外なにもできないくらい時間がない」。仕事の合間合間に数秒しか自分の時間がとれない。朝から晩まで、ずうっと何かを書いたり見たり読んだりしゃべったりしていなければならない。
ちょっと計算外のことが立て続けに起こった。いいことばかりではない。まあ悪いことでもないのだが。
新しい研究を始める余裕がなくなってしまった。
……正確には、これでもなお新しく何かを始められる人のことを研究者と呼ぶのだろう。ぼくは研究者にはなれないんだな。
断腸の思いでメールを打つ。
「すみません……こちらから申し上げておいたにもかかわらずどうしても時間がとれないんです。このたびの話はなかったことにさせてください」
本当に残念、歯がみして悔しがる。
メールの最後に「市原真 拝上」とつけて送信するつもりが何の拍子か、「廃城」と変換された。ドイツかどこかの山間部にグレー一色でたたずむ古くさびれた城のイメージが頭をうめつくす。
ちきしょう。
まだ書けないことばかりなのだが、ぼくであるとか、病理学会であるとか、医療界であるとか、そういったものを取り巻く環境がこれから2022年くらいにかけてぐいぐいと動く。
それに向けて、予算を組んで、うちの病院の病理診断科がこの先ちゃんと患者や社会の役に立つためにどういう体勢を取らなきゃ行けないのかを考える必要が出てきた。これは本当に急な話だったので、ぼくはそれまでにノホホンと受けていた依頼を急いで片付けながら、脳の7割くらいを常にそっちに割かないといけなくなった。
てきめんにしわよせが来たのは読書である。
夜寝る前に、ふと息をついて本を読もうと思っても頭に入ってこない。
ツルッ、ツルッ、文字がすべって、目頭あたりからぽとぽとと落ちていく。まったく集中できなくて本をすぐ閉じる。ふとんに入ってさっさと寝てしまう。起きる。まったく寝た気がしないくらい一瞬で朝が来る。おもしれえなあちゃんと疲れは取れているよ。腰も首も昨晩よりかなりいい。けれども文字に対する疲れだけがどうしてもとれない。
目覚めて意識が開門すると、城門の前に多数の「案件」が並んで待っていて、ソレッとばかりに脳の中に入り込んでくる。朝ご飯を食べているころにはもはや脳の中はバザールみたいになっている。これが夜までずうっと続く。
なおぼくは最近、忙しくなってから、なぜかかつての10倍くらいの分量の文章を書いている。たぶん、るつぼみたいになった脳の中から、整理が終わって出荷できるものをどんどん外に出していかないと、市場がストップして何か大変なことになってしまう、みたいな強迫観念がある。だから出す。出せッ大泉君。
たぶん文章を見ている人たちは、ぼくが今、空前絶後にヒマなんだろうと思うに違いない。
たしかに心臓外科医とか脳外科医の考える「忙しい」はぼくには全くあてはまらない。SEのいう「忙しい」も、電通職員のいう「忙しい」も、政治家のいう「忙しい」も、芸能人のいう「忙しい」も、ぼくにとっては無縁だ。まったくみんながんばって欲しいと思う。ぼくはいっぱい食べていっぱい寝ている。ツイッターもするし。ブログも書くよ。
でもぼくは小声でいうならば今、脳が忙しい。脳は商売道具なのに、研ぐ暇も無い。きっと今本をあまり読めていないことが、1年後くらいにダメージとなって返ってくるだろう。早くヒマにならないかなあ。
以上をツイッターに書くと「これ以上ヒマになりたいのかよ」と笑われるけれど、正直、ぼくは今、誰かが笑ってぼくを見てくれることが愛おしい。
2019年10月8日火曜日
病理の話(372) 早期胃癌研究会あたふた顛末記その1
もう都心もそこまで暑くないよ。と教えてくれたのはグーグルである。2019年9月18日(水)、ぼくはお昼の飛行機で東京に向かった。早期胃癌研究会という大きな会で、病理の解説を1例だけ担当するためである。
歴史ある会だ。全国から800人もの医者(+放射線技師)が集まってくる。泉岳寺にあるだだっぴろい会場には立ち見も出る……。
……といいたいところだが、実は最近、そこまででもない。会場には空席も目立つようになった。遠くから新幹線や飛行機を駆使して集まれるほどの金銭と熱意は時代とともにやや薄まってしまったきらいがある。今はせいぜい300人くらいかな。それでもやっぱり、全国から人が集まる。ゆいしょただしい。ゆいしょ。
移動に金がかかりすぎる北海道のような地域では、本年からサテライト中継がはじまった。おかげで、もはや早期胃癌研究会に直接出席しなくても、一流のドクターたちによる症例の解析や検討をネット経由でみることができる。となるともはや札幌にいるぼくは直接会場に行く必要がない。
のだけれど今回はお仕事だ。東京まで行かないといけない。えっちらおっちら。札幌から東京までは近くて遠い。
この会はタイトルに「早期胃癌」とついているだけあって、設立当初(もう60年くらい前かな?)には主に”早期の胃がん”の解析をやっていた。
胃腸のがんに対する医学はこの60年で急速に発展した。たいていは進行した状態でしか見つけることができなかった胃がんを殲滅すべく、育ち切る前に胃がんを見つけて治すにはどうしたらいいかと、がんの初期像に対して頭をひねった人たちがいた。進行がんというのは軍隊に例えるならば大軍である。打ち倒すには手間も時間も武器もたくさん必要だ。できれば、大軍になる前に、チンピラの小集団くらいの時期に倒してしまいたい。早期に見つけたい。
だから、昔の人たちは、手術でとってきた胃をひたすら細かく「全割」し、とても肉眼では見つけられないようながんの芽を顕微鏡で見つけ出そうとした。病理医が検索するプレパラート枚数は胃ひとつにつき200~300枚くらいになったという。胃がひとつ採られるたびに、顕微鏡検索が信じられないほど長い時間続いた。だってプレパラート1枚を2分でみたとしても600分、つまりは10時間かかるんだよ。
もともと胃がんの病理診断は、病変のある部分を中心に、ひとりにつき30枚~50枚くらいをみれば必要な診断が終わる。手間だけ考えても数倍。学究目的で顕微鏡をみるときには余計に時間がかかるからきっと今の10倍以上の時間をかけたろう。そうやって丹念に、胃をすみずみまで検索することで、我が国の胃がんの診断学はここまで進歩してきた。
むかしのえらい人たちは胃を細かく切って胃がんの芽を探すだけではなく、ひとつのところに集まって、バリウムや内視鏡の写真をみて、早期の胃がんというものを臨床医はどうやって見つけたらいいのかと議論し合うことにした。ひとりで延々と時間をかけるだけではなくそれを持ち寄ることにしたわけだ。病理のプレパラート写真を投影しながらみんなで討論をする。これが早期胃がんなのか。いや、これはだいぶ進んだ胃がんだろう。もうすこし早く見つけるにはどうしたらいいか。どうやったら胃粘膜にひそんでいる早期のがんを見つけ出すことができるか。つかみ合いのケンカがはじまりそうなテンションで、精鋭達の劇場型バトルが毎月開催された。
熱心な消化器内科医、外科医、放射線科医、病理医たちがこうして毎月一同に介すると、胃だけではなく大腸や食道の話もついでにしようじゃないかと考えるのは自然なことだろう。かくして、早期胃癌研究会では、早期の胃がんだけではなく、食道がん、大腸がん、そしてがん以外の消化管の病気をも検討する会となった。
めずらしい、なやましい症例をもった臨床医が、研究会に応募して審査を待つ。
審査員は症例の写真をみる。胃カメラ・大腸カメラで撮影した病変の画像。そのクオリティ、意図をよみとる。全国から人を集める会に、うつりのわるい写真、意図が薄い写真を提示しては恥ずかしい、ということなのだろう。症例は厳しく選別される。
1例につき、会場で検討されるのは30分だけ。たったその30分のためにえらい気合いの入れようだ。最初の20分~25分では、会場に集まった医者の中でもとくに「読影委員」と呼ばれるエースが、巨大スクリーン2面に投影された症例の画像をその場でみて、根拠とともに病変の姿を読み解いていく。マイクを使い、静まりかえる会場の最前列で、観客席に尻を向けてスクリーンを凝視する姿が、会場からはシルエットとしてさみしく見える。影が影を読むのだ。
ひとりの読影が終わるとすかさず会場からツッコミが入る。
「おおむね同意です。まず病変の範囲についてですが私はちょっとだけ違って……。つぎに病変の深さですがこれもすこし違って……。最後に想定する病理像ですがこれもすこしだけ違って……」
どこが同意しているのか。まるで違う意見だ。まったく同じ臨床画像(胃カメラやバリウム、超音波などの画像)を、異なる医者が「読む」と、これだけずれてしまう。もちろん、どの医者も「この病気はただ事ではないぞ」と気づくところまではいく。実を言うとたいてい治療法についてもさほど違いは無い。つまりは「今、その患者のためにできること」としてはここまでの細かい議論は必要ないことが多い。しかし、その細かい違いがもたらす病気のメカニズムの差が、将来的には治療法の違いにまで直結するかもしれない。だからみんなとても真剣なのである。
早期胃癌研究会は18時から21時までの3時間開催だが、その間に5例の症例検討が行われ、途中にミニレクチャーや表彰式などが挟まる。1例30分という時間制限は「厳守」。議論がどれだけ白熱しても30分を超えるとブーイングである。しかし、難しい症例だとどうしても、時間を超えてしまうことがある。赤面必死の時間超過は、そして、たいてい、病理医の責任となる。なぜかというと、最初の20~25分の読影のあとに病理医がでてきて、その症例の病理像(プレパラートをみて診断した結果)を解説するのだが、病理の検討が臨床医たちの読影よりも深くないと納得してくれないからなのだ。たった5分の病理解説に不備があると、それまでお互いに殴り合っていた臨床医たちが突如肩を組んで病理医のほうに突進してくる。関ヶ原のわきの展望台でのんびりお茶を飲んでいたら徳川と石田がそろってこっちに矢を放ってくる。
早期胃癌研究会での病理解説はとても胃に悪い。
ぼくが解説を担当するのは10か月ぶり。前回も、今回も、自分の病院の症例ではなく、他院から頼まれて解説をすることになった。まだ戦っていないのにすでにほうほうの体である。飛行機が羽田についた。さあようやくこの日の思い出話……と言いたいところだが話が長くなりすぎるので次回(あさって更新)に続く。
歴史ある会だ。全国から800人もの医者(+放射線技師)が集まってくる。泉岳寺にあるだだっぴろい会場には立ち見も出る……。
……といいたいところだが、実は最近、そこまででもない。会場には空席も目立つようになった。遠くから新幹線や飛行機を駆使して集まれるほどの金銭と熱意は時代とともにやや薄まってしまったきらいがある。今はせいぜい300人くらいかな。それでもやっぱり、全国から人が集まる。ゆいしょただしい。ゆいしょ。
移動に金がかかりすぎる北海道のような地域では、本年からサテライト中継がはじまった。おかげで、もはや早期胃癌研究会に直接出席しなくても、一流のドクターたちによる症例の解析や検討をネット経由でみることができる。となるともはや札幌にいるぼくは直接会場に行く必要がない。
のだけれど今回はお仕事だ。東京まで行かないといけない。えっちらおっちら。札幌から東京までは近くて遠い。
この会はタイトルに「早期胃癌」とついているだけあって、設立当初(もう60年くらい前かな?)には主に”早期の胃がん”の解析をやっていた。
胃腸のがんに対する医学はこの60年で急速に発展した。たいていは進行した状態でしか見つけることができなかった胃がんを殲滅すべく、育ち切る前に胃がんを見つけて治すにはどうしたらいいかと、がんの初期像に対して頭をひねった人たちがいた。進行がんというのは軍隊に例えるならば大軍である。打ち倒すには手間も時間も武器もたくさん必要だ。できれば、大軍になる前に、チンピラの小集団くらいの時期に倒してしまいたい。早期に見つけたい。
だから、昔の人たちは、手術でとってきた胃をひたすら細かく「全割」し、とても肉眼では見つけられないようながんの芽を顕微鏡で見つけ出そうとした。病理医が検索するプレパラート枚数は胃ひとつにつき200~300枚くらいになったという。胃がひとつ採られるたびに、顕微鏡検索が信じられないほど長い時間続いた。だってプレパラート1枚を2分でみたとしても600分、つまりは10時間かかるんだよ。
もともと胃がんの病理診断は、病変のある部分を中心に、ひとりにつき30枚~50枚くらいをみれば必要な診断が終わる。手間だけ考えても数倍。学究目的で顕微鏡をみるときには余計に時間がかかるからきっと今の10倍以上の時間をかけたろう。そうやって丹念に、胃をすみずみまで検索することで、我が国の胃がんの診断学はここまで進歩してきた。
むかしのえらい人たちは胃を細かく切って胃がんの芽を探すだけではなく、ひとつのところに集まって、バリウムや内視鏡の写真をみて、早期の胃がんというものを臨床医はどうやって見つけたらいいのかと議論し合うことにした。ひとりで延々と時間をかけるだけではなくそれを持ち寄ることにしたわけだ。病理のプレパラート写真を投影しながらみんなで討論をする。これが早期胃がんなのか。いや、これはだいぶ進んだ胃がんだろう。もうすこし早く見つけるにはどうしたらいいか。どうやったら胃粘膜にひそんでいる早期のがんを見つけ出すことができるか。つかみ合いのケンカがはじまりそうなテンションで、精鋭達の劇場型バトルが毎月開催された。
熱心な消化器内科医、外科医、放射線科医、病理医たちがこうして毎月一同に介すると、胃だけではなく大腸や食道の話もついでにしようじゃないかと考えるのは自然なことだろう。かくして、早期胃癌研究会では、早期の胃がんだけではなく、食道がん、大腸がん、そしてがん以外の消化管の病気をも検討する会となった。
めずらしい、なやましい症例をもった臨床医が、研究会に応募して審査を待つ。
審査員は症例の写真をみる。胃カメラ・大腸カメラで撮影した病変の画像。そのクオリティ、意図をよみとる。全国から人を集める会に、うつりのわるい写真、意図が薄い写真を提示しては恥ずかしい、ということなのだろう。症例は厳しく選別される。
1例につき、会場で検討されるのは30分だけ。たったその30分のためにえらい気合いの入れようだ。最初の20分~25分では、会場に集まった医者の中でもとくに「読影委員」と呼ばれるエースが、巨大スクリーン2面に投影された症例の画像をその場でみて、根拠とともに病変の姿を読み解いていく。マイクを使い、静まりかえる会場の最前列で、観客席に尻を向けてスクリーンを凝視する姿が、会場からはシルエットとしてさみしく見える。影が影を読むのだ。
ひとりの読影が終わるとすかさず会場からツッコミが入る。
「おおむね同意です。まず病変の範囲についてですが私はちょっとだけ違って……。つぎに病変の深さですがこれもすこし違って……。最後に想定する病理像ですがこれもすこしだけ違って……」
どこが同意しているのか。まるで違う意見だ。まったく同じ臨床画像(胃カメラやバリウム、超音波などの画像)を、異なる医者が「読む」と、これだけずれてしまう。もちろん、どの医者も「この病気はただ事ではないぞ」と気づくところまではいく。実を言うとたいてい治療法についてもさほど違いは無い。つまりは「今、その患者のためにできること」としてはここまでの細かい議論は必要ないことが多い。しかし、その細かい違いがもたらす病気のメカニズムの差が、将来的には治療法の違いにまで直結するかもしれない。だからみんなとても真剣なのである。
早期胃癌研究会は18時から21時までの3時間開催だが、その間に5例の症例検討が行われ、途中にミニレクチャーや表彰式などが挟まる。1例30分という時間制限は「厳守」。議論がどれだけ白熱しても30分を超えるとブーイングである。しかし、難しい症例だとどうしても、時間を超えてしまうことがある。赤面必死の時間超過は、そして、たいてい、病理医の責任となる。なぜかというと、最初の20~25分の読影のあとに病理医がでてきて、その症例の病理像(プレパラートをみて診断した結果)を解説するのだが、病理の検討が臨床医たちの読影よりも深くないと納得してくれないからなのだ。たった5分の病理解説に不備があると、それまでお互いに殴り合っていた臨床医たちが突如肩を組んで病理医のほうに突進してくる。関ヶ原のわきの展望台でのんびりお茶を飲んでいたら徳川と石田がそろってこっちに矢を放ってくる。
早期胃癌研究会での病理解説はとても胃に悪い。
ぼくが解説を担当するのは10か月ぶり。前回も、今回も、自分の病院の症例ではなく、他院から頼まれて解説をすることになった。まだ戦っていないのにすでにほうほうの体である。飛行機が羽田についた。さあようやくこの日の思い出話……と言いたいところだが話が長くなりすぎるので次回(あさって更新)に続く。
2019年10月7日月曜日
充電中に漏電するタイプ
新連載をnoteではじめたのは「マガジン機能」があるからだ。
https://note.mu/dryandel/m/meab049957c2a
先日のイベントでちょっとぶりに会った編集犬は、即座に「フローとストック」と言った。経済学の例えだが、思考とか理念とか、情報を考える上でも使える考え方だろうと思う。SNS全盛時代には、何かをどこかで発言したときに、それがフローとして流れていくか、それともストックされるのか、という属性をあてはめることができる。
ツイッターでハッシュタグを使ってドッカンドッカン刹那的にもりあがるのはフロー(流れ去る)。
これに対し、書籍、あるいは文芸というものは、タッシリ・ナジェールの壁画からずっとそうなのだと思うのだが、痕跡として世に残り続けるストック(とどまる)としての側面がある。
インターネットがすべてフローで流れていくかというとどうもそうではない気もする。簡単な例でいうと、Wikipediaはいちおうストック型のサービスだ。ただ時流に応じてどんどん改変されていくし、30年くらい前の情報はぜんぜん手に入らないことも多いのだけれど……。
いっぽう、SNSはたいていフローとして捉えられている。たとえば医療情報の中でも比較的SNSでよく目にする、インフルエンザが今年も流行しはじめましたよーとか、風疹ワクチンのクーポンが今月末に更新されますよーみたいな情報は、フローだ。フローとして瞬間的に消費されることが前提である。
でもほとんどの医療情報は「いつか誰かの役に立つまでそこにある」という役割が求められる。つまりフローよりストック。医療情報はストック型のサービスにきちんとまとめられないと使い物にならない。ぼくはこれを、「博物館」になぞらえた。
博物館は静謐で、訪れる人はそこに知性があることを知って訪れ、見て楽しみ、自分の脳の栄養とする。
医療情報もこれといっしょだ。普段は博物的に分類され、陳列され、一覧できて、検索できるものであることが、のぞましい。ただし博物館といっしょで、特に自分が健康なときにはもっぱら脳の栄養とするために摂取する性質が強い。あるいは将来の不安を取り去るため? 家族や知人に知識を提供するため? そうだね、博物館の例えではすべては通らないか。でも博物的知識も究極的には「人間はなぜ生きて、どこへ向かっているのか」という壮大な哲学の一側面であるようにも思うけれど。
SNSで医療情報を発信し続けると、瞬間的にバズって承認欲求が満たされるのだが、何かストックできる仕組みと紐付けないとほんとうはあまり使えない。
ただ、すでにストックしてある情報をときどき「虫干し」する意味で、不定期にSNSというフローに載せるやりかたもあるだろう。博物館が巡回展をやったり特集を組んだりするようなものか。
そんなことをつらつら考えていたときに、FUKKOプロジェクトの人がnoteの中の人に話を聞くラジオというのをたまたま聞いて、noteのマガジン機能はストックとしての性質があるなあということを思った。SNSとの相性が良く、というか、ほぼSNSとして利用されているにもかかわらず、マガジンとして記事を選別して、自他問わずまとめることが、その名の通り雑誌的な媒体として輝きを放つ。ハッシュタグよりももうすこしストック性が高いよなとぼくは感じた。
だから以上の話をもっと掘り下げるためにはnoteのマガジンを作ることだな、と考えて、作ってみた。最近は新しいマガジンをどんどん作り出すことになんの抵抗もない。ぼくはそもそも多弁すぎるのだがこれくらい書く場所があるとしっくりくる。ジンオウガみたいにしょっちゅう放電しないと死んでしまうタイプのホモサピエンスなのだろう。
https://note.mu/dryandel/m/meab049957c2a
先日のイベントでちょっとぶりに会った編集犬は、即座に「フローとストック」と言った。経済学の例えだが、思考とか理念とか、情報を考える上でも使える考え方だろうと思う。SNS全盛時代には、何かをどこかで発言したときに、それがフローとして流れていくか、それともストックされるのか、という属性をあてはめることができる。
ツイッターでハッシュタグを使ってドッカンドッカン刹那的にもりあがるのはフロー(流れ去る)。
これに対し、書籍、あるいは文芸というものは、タッシリ・ナジェールの壁画からずっとそうなのだと思うのだが、痕跡として世に残り続けるストック(とどまる)としての側面がある。
インターネットがすべてフローで流れていくかというとどうもそうではない気もする。簡単な例でいうと、Wikipediaはいちおうストック型のサービスだ。ただ時流に応じてどんどん改変されていくし、30年くらい前の情報はぜんぜん手に入らないことも多いのだけれど……。
いっぽう、SNSはたいていフローとして捉えられている。たとえば医療情報の中でも比較的SNSでよく目にする、インフルエンザが今年も流行しはじめましたよーとか、風疹ワクチンのクーポンが今月末に更新されますよーみたいな情報は、フローだ。フローとして瞬間的に消費されることが前提である。
でもほとんどの医療情報は「いつか誰かの役に立つまでそこにある」という役割が求められる。つまりフローよりストック。医療情報はストック型のサービスにきちんとまとめられないと使い物にならない。ぼくはこれを、「博物館」になぞらえた。
博物館は静謐で、訪れる人はそこに知性があることを知って訪れ、見て楽しみ、自分の脳の栄養とする。
医療情報もこれといっしょだ。普段は博物的に分類され、陳列され、一覧できて、検索できるものであることが、のぞましい。ただし博物館といっしょで、特に自分が健康なときにはもっぱら脳の栄養とするために摂取する性質が強い。あるいは将来の不安を取り去るため? 家族や知人に知識を提供するため? そうだね、博物館の例えではすべては通らないか。でも博物的知識も究極的には「人間はなぜ生きて、どこへ向かっているのか」という壮大な哲学の一側面であるようにも思うけれど。
SNSで医療情報を発信し続けると、瞬間的にバズって承認欲求が満たされるのだが、何かストックできる仕組みと紐付けないとほんとうはあまり使えない。
ただ、すでにストックしてある情報をときどき「虫干し」する意味で、不定期にSNSというフローに載せるやりかたもあるだろう。博物館が巡回展をやったり特集を組んだりするようなものか。
そんなことをつらつら考えていたときに、FUKKOプロジェクトの人がnoteの中の人に話を聞くラジオというのをたまたま聞いて、noteのマガジン機能はストックとしての性質があるなあということを思った。SNSとの相性が良く、というか、ほぼSNSとして利用されているにもかかわらず、マガジンとして記事を選別して、自他問わずまとめることが、その名の通り雑誌的な媒体として輝きを放つ。ハッシュタグよりももうすこしストック性が高いよなとぼくは感じた。
だから以上の話をもっと掘り下げるためにはnoteのマガジンを作ることだな、と考えて、作ってみた。最近は新しいマガジンをどんどん作り出すことになんの抵抗もない。ぼくはそもそも多弁すぎるのだがこれくらい書く場所があるとしっくりくる。ジンオウガみたいにしょっちゅう放電しないと死んでしまうタイプのホモサピエンスなのだろう。
2019年10月4日金曜日
病理の話(371) 病理という学問と人間のイトナミとの接点
このブログで「病理の話」をだいぶ長いこと書いている。途中で糸井さんに「副題をつけたほうがいいよ」と二度ほど言われて二度目にうなずいて、第一回目にまでさかのぼってぜんぶ副題をつけた。たしかに、こうすることで、今までなんとなくどんなことを書いてきたのかが見やすく……なってないけど……ぼく副題ひねりすぎなんだな……読者のためにはなってないな……まあいいや(よくないけど)、だいぶいろいろなことを書いてきた。
書いてきたものをすこし振り返って思ったのだけれど、最近の内容はどちらかというと「病気の概念」とか「人体のメカニズム」のほうに寄っている。「医学」が多い。そもそも記事のタイトルが病理の話であって、病人の話とか医者の話ではないわけで、病の理のことだけ書いていけばいいのかもしれない。
けれどせっかく1日おきに延々と書いているのだから、ほかにももう少し目次を足してみてもいいかもなとは思った。
病理学とか医学は素材である。道具であると言ってもいい。本当は、この素材というか道具を用いて、喜怒哀楽ある人間が何をやるかにひとつ大きな意味がある。
ただしぼくは素材そのものを愛でるタイプでもある。ある病気をめぐって人々がどんな気分になっているか、それとどう戦おうとしているか、みたいな人間的アレコレが全く書いていなくても、「病気の知識」だけ読んでいてわりと楽しい。だからノーストレスでブログ記事を書き続けていると、無自覚に素材情報に満ちあふれる。オタクとして正しい生き様だ。
でもまあやっぱりもう少しコンテキストを足すか、と思った。だからこれからは素材の話だけではなく、たまに、素材を使って何をやっているか、みたいなところも書いていこうとは思う。これは賛否両論あるかもしれない。もっと朴訥なあなたでいてほしいと夜霧の向こうに汽笛の鳴り響く午後3時に桟橋のたもとでトレンチコートの女性に泣かれてしまうかもしれない。しかし、もう決めたのだ。
さて病理の話をどうコンテキストにしていくか、なのだが、たとえば現実にあった症例の話をすると、基本的にはスリーアウトどころか危険球退場、出場停止、登録抹消である。患者の個人情報をホイホイSNSに漏らしてはいけない。
具体的な病気の話をするときにはあくまで素材としてだけ語る必要がある。胃がんのメカニズムを書いてみんなに読んでもらうことはサイエンスだけれど、○○市○○区に住む○○歳の○性、○○○○さん(○○)の○○がん、の話をするとこれは一代記であり個人情報の漏洩。コンテキストとして強いのは圧倒的に後者だろうがそれをやっちゃあ病理診断医としてはおしまいである。ではほかに、どのように、「素材を現場でどう扱っているか」「道具がプロによってどう使われているか」の話をしたらよいか?
そこでちょっと考えたのだが、これからぼくがときおり出張先でどういう仕事をしているかみたいなことを書く機会をもうけてみようと思う。といっても、もっぱら出張話ばかり書くわけではなく、意図してそういう話題を付け加えようと考えた、くらいのものだ。出張先ではたいてい学術講演をしているのだが、それだけではなく、「症例検討会」と呼ばれるシーンで病理という素材を使ってほかの医療者に何やら説明をしたりする機会も多い。患者の個人情報の部分は出さないようにしつつ、臨床医や検査技師、放射線技師などからどういう質問が出て、それに自分がどう答えたか、みたいな話をちょっと書いてみてもいいかな、と思った。
これはつまり文脈の中で病理を使うというのがどういうことか、というのを記事に落とし込もうということだ。どうも難しそうだなーという予感がある。今日は予告までとして、次回以降、どこかでやると思うので気長に待っててください。
書いてきたものをすこし振り返って思ったのだけれど、最近の内容はどちらかというと「病気の概念」とか「人体のメカニズム」のほうに寄っている。「医学」が多い。そもそも記事のタイトルが病理の話であって、病人の話とか医者の話ではないわけで、病の理のことだけ書いていけばいいのかもしれない。
けれどせっかく1日おきに延々と書いているのだから、ほかにももう少し目次を足してみてもいいかもなとは思った。
病理学とか医学は素材である。道具であると言ってもいい。本当は、この素材というか道具を用いて、喜怒哀楽ある人間が何をやるかにひとつ大きな意味がある。
ただしぼくは素材そのものを愛でるタイプでもある。ある病気をめぐって人々がどんな気分になっているか、それとどう戦おうとしているか、みたいな人間的アレコレが全く書いていなくても、「病気の知識」だけ読んでいてわりと楽しい。だからノーストレスでブログ記事を書き続けていると、無自覚に素材情報に満ちあふれる。オタクとして正しい生き様だ。
でもまあやっぱりもう少しコンテキストを足すか、と思った。だからこれからは素材の話だけではなく、たまに、素材を使って何をやっているか、みたいなところも書いていこうとは思う。これは賛否両論あるかもしれない。もっと朴訥なあなたでいてほしいと夜霧の向こうに汽笛の鳴り響く午後3時に桟橋のたもとでトレンチコートの女性に泣かれてしまうかもしれない。しかし、もう決めたのだ。
さて病理の話をどうコンテキストにしていくか、なのだが、たとえば現実にあった症例の話をすると、基本的にはスリーアウトどころか危険球退場、出場停止、登録抹消である。患者の個人情報をホイホイSNSに漏らしてはいけない。
具体的な病気の話をするときにはあくまで素材としてだけ語る必要がある。胃がんのメカニズムを書いてみんなに読んでもらうことはサイエンスだけれど、○○市○○区に住む○○歳の○性、○○○○さん(○○)の○○がん、の話をするとこれは一代記であり個人情報の漏洩。コンテキストとして強いのは圧倒的に後者だろうがそれをやっちゃあ病理診断医としてはおしまいである。ではほかに、どのように、「素材を現場でどう扱っているか」「道具がプロによってどう使われているか」の話をしたらよいか?
そこでちょっと考えたのだが、これからぼくがときおり出張先でどういう仕事をしているかみたいなことを書く機会をもうけてみようと思う。といっても、もっぱら出張話ばかり書くわけではなく、意図してそういう話題を付け加えようと考えた、くらいのものだ。出張先ではたいてい学術講演をしているのだが、それだけではなく、「症例検討会」と呼ばれるシーンで病理という素材を使ってほかの医療者に何やら説明をしたりする機会も多い。患者の個人情報の部分は出さないようにしつつ、臨床医や検査技師、放射線技師などからどういう質問が出て、それに自分がどう答えたか、みたいな話をちょっと書いてみてもいいかな、と思った。
これはつまり文脈の中で病理を使うというのがどういうことか、というのを記事に落とし込もうということだ。どうも難しそうだなーという予感がある。今日は予告までとして、次回以降、どこかでやると思うので気長に待っててください。
2019年10月3日木曜日
りんご以外も食べる
連続出張で乱れた勤務スタイルが元に戻るまでに4日ほどかかってしまった。ばたばた過ごしていると、何も今日この話が聞こえてこなくてもいいのにな、というレアなトークがばんばん耳に届く。研ぎ澄まされているということか? いや、単に運が悪いのだろう。このクソ忙しいときに、そんなに心に負荷をかける話題はいらないのになと思う。
札幌の夕暮れは少しずつ寒さがきつくなってきた。この部屋は空調が終わってるから、そろそろカーディガンか何かを用意しないと風邪を引いてしまうだろう。書いていて思ったが、体が冷えたからといって、そのへんに風邪の原因ウイルスが飛び交っていなければ風邪は引かないわけで、病理の部屋に孤独に震えているだけのぼくはどれほど寒かろうが風邪など引くわけはないのだが、まあ、そのへんは、よくわからないメカニズムがあるかもしれないし、あったかくして悪いことなどあるまい。膝掛けが活躍する季節がやってくる。
聞きたくない聞きたくないと引きこもっていても、耳を引っ張られるようにして巻き込まれる。どうやら、今後のぼくらの働き方を大きく左右する、つまりはこの業界の制度みたいなものがガラッと変わるという噂話。ただし噂とは言ってもかなり中枢にいる人間から聞こえてくるリーク情報なので、おそらく将来本当にそのようになるだろう。ぼくは同じ職名のまま、少しずつ違う仕事をすることになりそうなのだ。
ツイッターのタイムラインでは「10年間を振り返る」みたいな企画ハッシュタグが花盛りである。アドラー心理学とすこしだけ距離をつめたぼくは、もはや過去に対する興味を失いつつあるのだけれど、実際、それは過去にぼくが想像していたことと今のぼくがぶち当たっていることがまるで当たっていないからで、何を言いたいかというとそれはつまり、時間軸は全く直進していないのでレール代わりに使うにはあまりに不便なのだということだ。振り返っても闇は探れない。遠くを見やっても霧の向こうはわからない。足下すらおぼつかない。なのにドローンだけ飛ばそうとする。振り返っても首が痛むばかり。背伸びしてもつま先が痺れるばかり。
ぼくは病理診断医に「なったこと」を後悔したことがある。しかし、病理診断医でいる今に後悔した記憶がおもしろいことにほとんどない。振り返ったり遠くを見たりするといろいろと考えて評価をしてしまう。ところがそういうのをやめるとわりと満足しているのだからおもしろい。顕微鏡の前に一人座って、たまに膝をなでながらキーボードを叩いていると、またどこかからか、病理医の働き方が変わるらしいよという噂が聞こえてくる。えるしっているか、うわさは、かことみらいのはなししかしない。
札幌の夕暮れは少しずつ寒さがきつくなってきた。この部屋は空調が終わってるから、そろそろカーディガンか何かを用意しないと風邪を引いてしまうだろう。書いていて思ったが、体が冷えたからといって、そのへんに風邪の原因ウイルスが飛び交っていなければ風邪は引かないわけで、病理の部屋に孤独に震えているだけのぼくはどれほど寒かろうが風邪など引くわけはないのだが、まあ、そのへんは、よくわからないメカニズムがあるかもしれないし、あったかくして悪いことなどあるまい。膝掛けが活躍する季節がやってくる。
聞きたくない聞きたくないと引きこもっていても、耳を引っ張られるようにして巻き込まれる。どうやら、今後のぼくらの働き方を大きく左右する、つまりはこの業界の制度みたいなものがガラッと変わるという噂話。ただし噂とは言ってもかなり中枢にいる人間から聞こえてくるリーク情報なので、おそらく将来本当にそのようになるだろう。ぼくは同じ職名のまま、少しずつ違う仕事をすることになりそうなのだ。
ツイッターのタイムラインでは「10年間を振り返る」みたいな企画ハッシュタグが花盛りである。アドラー心理学とすこしだけ距離をつめたぼくは、もはや過去に対する興味を失いつつあるのだけれど、実際、それは過去にぼくが想像していたことと今のぼくがぶち当たっていることがまるで当たっていないからで、何を言いたいかというとそれはつまり、時間軸は全く直進していないのでレール代わりに使うにはあまりに不便なのだということだ。振り返っても闇は探れない。遠くを見やっても霧の向こうはわからない。足下すらおぼつかない。なのにドローンだけ飛ばそうとする。振り返っても首が痛むばかり。背伸びしてもつま先が痺れるばかり。
ぼくは病理診断医に「なったこと」を後悔したことがある。しかし、病理診断医でいる今に後悔した記憶がおもしろいことにほとんどない。振り返ったり遠くを見たりするといろいろと考えて評価をしてしまう。ところがそういうのをやめるとわりと満足しているのだからおもしろい。顕微鏡の前に一人座って、たまに膝をなでながらキーボードを叩いていると、またどこかからか、病理医の働き方が変わるらしいよという噂が聞こえてくる。えるしっているか、うわさは、かことみらいのはなししかしない。
2019年10月2日水曜日
病理の話(370) 病理医のワークライフバランス
病理医になる途中、たまに、全然家に帰らない日が、ある。どこまでもどこまでも勉強してしまう。気づいたら朝、みたいな。
そういう時期を経験した病理医が、そこそこいるとは思う。
これは、臨床医が「仕事が終わらず帰れない」のとはニュアンスがちょっと違う。
「勉強が終わらず帰れない」。やっていることは勉強であってタスクではない。誰に強制されているわけでもないし、さっさと帰ったっていい。けれども、なんだか、気持ち的に、帰れない。
マンガ『フラジャイル』の中で、夜通し顕微鏡を見て”ゾーン”に突入した宮崎先生がいたが、ああいう感じかな。
正直、病理医は、体育会系で自分をいじめたからといって成長が保証される仕事ではない。特に、誰かから強いられて、徹夜しないと終わらない業務を与えられて、いやいや顕微鏡と向き合っていても、まず成長なんかはできない。脳はスパルタでは伸びない。
それでも、なぜか、キャリアのどこかの段階で、「あっ、もう少し……もう少し勉強してから帰りたいな」と思う日がある。なんでだろうなあ。
ワークライフバランスをきちんとたもって、自分をしっかり休ませたり、大事な人のために楽しく過ごしたり、そうやりながらでも、十分に病理の勉強はできる。成長なんてゆっくりでいい。そんなに急いで脳に知識を詰めこもうとしても、できるわけがない。疲れないスピードで、じっくり、フレックスで育っていけばいい……。
わかってるんだけどな。本当に不思議だ、独身だろうが家庭があろうが、なぜか前触れもなく、ギュンっと「帰りたくない感情」に襲われる。
おもしろいことに、「あっ今日帰りたくないかも」と気づくタイミングはたいてい、「いつもならさっさと帰って家のことをやるはずの日」である。だから、もう少し勉強したいなという欲望を抑え込んで、帰ることにすると……。
哀しいくらいに「病理診断医としての自分」がぐらっと揺れる。あーままならない。
いつも、よかれと思って休んでいる、自分。楽しく生きているつもりの自分。家族を大事にしている自分。趣味を満喫している自分。
同じ自分のはずなのに、たまに、「今は脳を学問に全振りさせてくれ!」と思いたくなる。なぜ? 理由はもう、よくわからない。病理医ってのはそういう性格の人がなる仕事なのだ……というと、言いすぎかなあ。
ぼくは若い病理医志望の人に、最近、こう言うようにしている。
「あなたは、”ゾーンに入る” ことがありますか? めったにない? しょっちゅうある? しょっちゅうはちょっと怖いな、人として。
完全に個人の感想なのですが、自分がゾーンに入りそうだなと思ったときに、スッとゾーンに入っても周りに迷惑がかからない頻度を把握しておくといいでしょう。毎回ゾーンに入ってたら自分壊れるよ。けど、ときどき、ゾーンに入りたくなるんだこの仕事は。そういうものなんだ。だから、ゾーンに入る自分を、ときどき、許してあげるほうがいいと思う……。
この仕事、たぶん、どこかでゾーンに入る自分を楽しめると、うまみがぐっと増える。
ゾーンに全く入れないまま病理医として育つの、思ったより、大変かもしれない。自分の性格にもよるけどね。
変なアドバイスだけれど、ワークライフバランスって、日常の繰り返しの中でバランスをとるだけじゃなくて、『ハレの日に自分をどう偏らせるか』ってとこまで含めてバランスなんですよ、きっとね。」
そういう時期を経験した病理医が、そこそこいるとは思う。
これは、臨床医が「仕事が終わらず帰れない」のとはニュアンスがちょっと違う。
「勉強が終わらず帰れない」。やっていることは勉強であってタスクではない。誰に強制されているわけでもないし、さっさと帰ったっていい。けれども、なんだか、気持ち的に、帰れない。
マンガ『フラジャイル』の中で、夜通し顕微鏡を見て”ゾーン”に突入した宮崎先生がいたが、ああいう感じかな。
正直、病理医は、体育会系で自分をいじめたからといって成長が保証される仕事ではない。特に、誰かから強いられて、徹夜しないと終わらない業務を与えられて、いやいや顕微鏡と向き合っていても、まず成長なんかはできない。脳はスパルタでは伸びない。
それでも、なぜか、キャリアのどこかの段階で、「あっ、もう少し……もう少し勉強してから帰りたいな」と思う日がある。なんでだろうなあ。
ワークライフバランスをきちんとたもって、自分をしっかり休ませたり、大事な人のために楽しく過ごしたり、そうやりながらでも、十分に病理の勉強はできる。成長なんてゆっくりでいい。そんなに急いで脳に知識を詰めこもうとしても、できるわけがない。疲れないスピードで、じっくり、フレックスで育っていけばいい……。
わかってるんだけどな。本当に不思議だ、独身だろうが家庭があろうが、なぜか前触れもなく、ギュンっと「帰りたくない感情」に襲われる。
おもしろいことに、「あっ今日帰りたくないかも」と気づくタイミングはたいてい、「いつもならさっさと帰って家のことをやるはずの日」である。だから、もう少し勉強したいなという欲望を抑え込んで、帰ることにすると……。
哀しいくらいに「病理診断医としての自分」がぐらっと揺れる。あーままならない。
いつも、よかれと思って休んでいる、自分。楽しく生きているつもりの自分。家族を大事にしている自分。趣味を満喫している自分。
同じ自分のはずなのに、たまに、「今は脳を学問に全振りさせてくれ!」と思いたくなる。なぜ? 理由はもう、よくわからない。病理医ってのはそういう性格の人がなる仕事なのだ……というと、言いすぎかなあ。
ぼくは若い病理医志望の人に、最近、こう言うようにしている。
「あなたは、”ゾーンに入る” ことがありますか? めったにない? しょっちゅうある? しょっちゅうはちょっと怖いな、人として。
完全に個人の感想なのですが、自分がゾーンに入りそうだなと思ったときに、スッとゾーンに入っても周りに迷惑がかからない頻度を把握しておくといいでしょう。毎回ゾーンに入ってたら自分壊れるよ。けど、ときどき、ゾーンに入りたくなるんだこの仕事は。そういうものなんだ。だから、ゾーンに入る自分を、ときどき、許してあげるほうがいいと思う……。
この仕事、たぶん、どこかでゾーンに入る自分を楽しめると、うまみがぐっと増える。
ゾーンに全く入れないまま病理医として育つの、思ったより、大変かもしれない。自分の性格にもよるけどね。
変なアドバイスだけれど、ワークライフバランスって、日常の繰り返しの中でバランスをとるだけじゃなくて、『ハレの日に自分をどう偏らせるか』ってとこまで含めてバランスなんですよ、きっとね。」
2019年10月1日火曜日
このままどこか遠く連れてってもらった先
月曜日が祝日、というのが2週間続いた。「火曜日に月曜日っぽく働く週」が2回連続でやってきたということになる。
ぼくは火曜日が好きだ。
朝は6時に、dマガジンが更新されて、SPA!の最新号が読める。
SPA!には燃え殻さんの連載『すべて忘れてしまうから』があるから、これを読む。
まずはピンチで画面を拡大して、燃え殻さんの手書きのタイトルをスマホの画面に大写しにする。そしてスクリーンショットをとる。
それをタイムラインに流す。今から読むぞサインだ。
著作権とかいろいろ怒られるかもしれない。怒られたら誤っていくばくかのお金を払ってもうしないよ、と言うだろう。でもたぶんこれくらいなら許してくれると思う。
これくらいを許してくれる世界でやっていきたい。
今から読むぞサインをツイートしたらあらためて、読む。
ぶっちゃけあっという間に読み終わるくらいの分量だ。けれども、ぼくはその「あっという間」に、一週間のテンションを依存している。
文章というのは不思議だな。もう腐るほど言われてきたことだけれど、たとえば俳句で宇宙を語ることができるのと同じようにで、SPA!の燃え殻さんの1ページの中には時間軸がねじ込んである。
燃え殻さんのページを読んだらそのまま仕事を始めてしまうことが多い。ほかのページまで読むかどうかは気分次第だ。
グラビアなんかはまず見ない。ああいうのはスマホで見ても何がいいのか全くわからない。
……中学生ならわかるのだろうか?
そしてしばらく働いて夕方になると、今度は、大学院時代の先輩が、ウェブラジオ『いんよう!』を更新する。だいたい夕方7時くらいのことが多いが、先輩の都合次第のようだ。
更新告知にすぐ気づくことはあまりない。たいてい、ガリガリ働いていたり、何事か書いていたりする。
で、1時間遅れくらいで気づいて、たとえば帰宅する車の中で、スマホから流してそれを聞く。
1か月くらい前の自分が、未だに聞き慣れない声を出して、先輩の声とぶつかりあっている。これがなんともしみじみおもしろくて疲れが取れる。
会話の内容がおもしろいというよりも、たかだか数週間前の自分がここまで突飛なことを考えているのかよ、と気づけることがおもしろい。まあ先輩と話しているときのぼくを、孤独な最中のぼくが聞いたら、おもしろいに決まっているのだ。
そんなこんなで火曜日を毎週楽しみにしているのだけれど、月曜日が祝日である、くらいの軽い負荷を脳にかけるだけで、途端にその楽しみを両方すっ飛ばしてしまうことがあり、我ながら呆れる。
一日何度もカレンダーを見ていて、今日が火曜日だから生検の当番が誰だとか小物の切り出し当番が誰だとかと、幾度となく会話しているのに、火曜日の大事な行事をコロッと忘れる。これはいったいどういう了見なのだろう?
「体内時計」のように、「体内カレンダー」があるとしたら、そのカレンダー、どうも睡眠とか空腹では動いていないようだ。たぶん、「月曜日の仕事」というのがトリガーになっている。
つまりぼくは働くことでカレンダーをめくる、働く日にちがずれると、カレンダーがうまくめくれなくなる、そういうことなんだろう。
火曜日にはほか、マツコの知らない世界というコンテンツがある。そのせいか、火曜日に限っては、ぼくの頭の中にはいつもそこそこ決まった順番でメロディが流れている。
朝から夕方まではたいてい、クリープハイプの曲がどれかかかる。小沢健二のこともある。
夕方くらいになると、かつてリスナーが「森の中から二人がやってきておしゃべりをして、また森の中に戻っていくような音楽」と称した、『いんよう!』のBGMがかかる。
そして夜、寝る前には、マツコの知らない世界のジングルがずっとかかる。
音楽がある一日は楽しい。火曜日よりの使者、という曲を誰か歌ってくれないだろうかと、今、ふと思った。ハイロウズのアナログレコードを買った日のことは、遠く昔にぼやけてしまった。あのころの火曜日は、何もなくて、つまらなかった。今が一番いい。
ぼくは火曜日が好きだ。
朝は6時に、dマガジンが更新されて、SPA!の最新号が読める。
SPA!には燃え殻さんの連載『すべて忘れてしまうから』があるから、これを読む。
まずはピンチで画面を拡大して、燃え殻さんの手書きのタイトルをスマホの画面に大写しにする。そしてスクリーンショットをとる。
それをタイムラインに流す。今から読むぞサインだ。
著作権とかいろいろ怒られるかもしれない。怒られたら誤っていくばくかのお金を払ってもうしないよ、と言うだろう。でもたぶんこれくらいなら許してくれると思う。
これくらいを許してくれる世界でやっていきたい。
今から読むぞサインをツイートしたらあらためて、読む。
ぶっちゃけあっという間に読み終わるくらいの分量だ。けれども、ぼくはその「あっという間」に、一週間のテンションを依存している。
文章というのは不思議だな。もう腐るほど言われてきたことだけれど、たとえば俳句で宇宙を語ることができるのと同じようにで、SPA!の燃え殻さんの1ページの中には時間軸がねじ込んである。
燃え殻さんのページを読んだらそのまま仕事を始めてしまうことが多い。ほかのページまで読むかどうかは気分次第だ。
グラビアなんかはまず見ない。ああいうのはスマホで見ても何がいいのか全くわからない。
……中学生ならわかるのだろうか?
そしてしばらく働いて夕方になると、今度は、大学院時代の先輩が、ウェブラジオ『いんよう!』を更新する。だいたい夕方7時くらいのことが多いが、先輩の都合次第のようだ。
更新告知にすぐ気づくことはあまりない。たいてい、ガリガリ働いていたり、何事か書いていたりする。
で、1時間遅れくらいで気づいて、たとえば帰宅する車の中で、スマホから流してそれを聞く。
1か月くらい前の自分が、未だに聞き慣れない声を出して、先輩の声とぶつかりあっている。これがなんともしみじみおもしろくて疲れが取れる。
会話の内容がおもしろいというよりも、たかだか数週間前の自分がここまで突飛なことを考えているのかよ、と気づけることがおもしろい。まあ先輩と話しているときのぼくを、孤独な最中のぼくが聞いたら、おもしろいに決まっているのだ。
そんなこんなで火曜日を毎週楽しみにしているのだけれど、月曜日が祝日である、くらいの軽い負荷を脳にかけるだけで、途端にその楽しみを両方すっ飛ばしてしまうことがあり、我ながら呆れる。
一日何度もカレンダーを見ていて、今日が火曜日だから生検の当番が誰だとか小物の切り出し当番が誰だとかと、幾度となく会話しているのに、火曜日の大事な行事をコロッと忘れる。これはいったいどういう了見なのだろう?
「体内時計」のように、「体内カレンダー」があるとしたら、そのカレンダー、どうも睡眠とか空腹では動いていないようだ。たぶん、「月曜日の仕事」というのがトリガーになっている。
つまりぼくは働くことでカレンダーをめくる、働く日にちがずれると、カレンダーがうまくめくれなくなる、そういうことなんだろう。
火曜日にはほか、マツコの知らない世界というコンテンツがある。そのせいか、火曜日に限っては、ぼくの頭の中にはいつもそこそこ決まった順番でメロディが流れている。
朝から夕方まではたいてい、クリープハイプの曲がどれかかかる。小沢健二のこともある。
夕方くらいになると、かつてリスナーが「森の中から二人がやってきておしゃべりをして、また森の中に戻っていくような音楽」と称した、『いんよう!』のBGMがかかる。
そして夜、寝る前には、マツコの知らない世界のジングルがずっとかかる。
音楽がある一日は楽しい。火曜日よりの使者、という曲を誰か歌ってくれないだろうかと、今、ふと思った。ハイロウズのアナログレコードを買った日のことは、遠く昔にぼやけてしまった。あのころの火曜日は、何もなくて、つまらなかった。今が一番いい。
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