2019年10月17日木曜日

病理の話(375) 看護師と病理学

電話が突然かかってきた。

ぼくが国立がん研究センター中央病院で研修していたときに一番お世話になった、現・関西医大の臨床病理の教授からだ。

病院の電話交換手が名前を告げたとき、ぼくは懐かしさのあまり思わず早口になってしまった。「はいぜひぜひ!」交換の人もびっくりしたのであろう、苦笑しながら電話をつないでくれた。




ぼくはがんセンター時代にこの人に会って、論文を丹念に読み続けることの重要さを教わった。

……「教わった」だと不正確かもしれない、「彼を見ることで、それがいかに大事かが腑に落ちた」。

腑に何かを落とそうと自分でがんばったのではなくて、自然と腑に落ちた(中動態)。

なんかそういう感じだった。つまりはぼくがその後勉強していく上でもっとも重要な「環境」あるいは「背景」のひとつとなったのが彼だった。




たとえばツイッターにもほむほむ先生のように、論文を丹念に読んでまとめてブログにまとめ続けているすばらしい方がいらっしゃる。いい時代だ。昔は関西医大の教授のすごさを説明する時には、ある程度言葉を尽くさないといけなかった。今ならひとことで済む。

「ほむほむ先生みたいなことを病理でずっとやってた人だよ」

日常的に学問を更新し続けている人。ぼくはそういう人たちに強くあこがれる。

あこがれるようになった。

あこがれていいんだよと思える側に連れてきてくれた人だ。




彼からの電話、用件はシンプル。

「看護師向けのe-learningの講師やってくれへん?」

あぁー。

「病態病理学、っていう単元なんやけど……」

あぁー。

ぼくは彼からすべてを聞く前に、いろいろ納得した。






医療はさまざまな分業によって成り立っているが、病院に勤める職員のざっくり半分くらいは看護師である。看護師の職務は、医師のサポートや病院における下働きではない。医者は(そしてなぜか患者も)医者が主役だと思ってるがたぶんあまりそれは正しくない。看護師のケアこそが医療の根幹である、と、少なくともぼく自身は考えている。

患者に寄り添い、病を背負ったことで生じたさまざまな不便を解消し、ときに患者の話し相手となり、体調の変化を敏感にモニタリングする。

これこそが医療のおおもとだ。エビデンスは道具にすぎない。難しい医学よりも丁寧な実践。「患者の体に何が起きているか、どのようなメカニズムで病気になったか」なんて、スマホがなぜつながるのかを説明するようなもので、そんなこと知らなくても多くの医療は回っていく。大事なのはスマホを使って何をするかだ。スマホを持ったままどういう人生を歩むかだ。




……とはいえ。




「病」という現象を間において、患者と医療者があれこれ悩みながら二人三脚をしていく中で、彼我を介在している「病」を多少なりとも詳しく知っておくことは、無駄ではない。わりと、役に立つ。

病理学というのは医療者にとっても患者にとっても、もっと知られておいていい学問である。スマホの基盤まで知らなくてもいいけど、4Gとか5Gって何のことなの、とか、Wi-Fiと地上波って何が違うの、くらい知っていても損はないだろう。

ところが病理の話はググってもなかなかまとまっていない。

おまけに、仮に専門職の人間であっても、キャリアを通じて病理学を習う機会自体が、実はとても少ない。

学校でも、病院という現場でも、医療者たちが日々忙しく修練して身につけていくのは医療の「実践」ばかりであって、病の理論ではないのである。国家試験でもあまり問われないし……。

実践ではなく理論のほうを継続して勉強するというのはかなり大変なのである。

だからこそほむほむ先生や関西医大の教授の偉さが際立つ。

日常のルーチンに押しつぶされてもおかしくないだけの仕事量をほこるのに、なお、学問という「すぐには役に立たないかもしれない、自分と仕事相手との間にあるだけの存在」にもきちんと注意を払っているその姿勢がすばらしい。

でもこれ言うほど簡単ではない。毎日論文読むなんてほんとに大変だからね。



ということで、最前線で身を粉にして働く看護師にも、たまには病理学をラクに学ぶ機会をご用意できたらいいのではないか……。そういうコンセプトのもとに、今回、ネット上で放送大学のように講義をうけられる病理学のe-learningが作られることになったわけである!!





まあここまでわりとぼくの妄想で、ほんとうは「先にe-learningがあって」「病理もいれときゃいんじゃね、的な判断があって」「関西医大の教授を通してぼくに依頼がきた」というのが真実なんだけど……。

なんか現場ではたらく人たちのために、実践の真っ最中にちょっと思い出すと役に立つような「ヤマイの理」を解説できないかなーと思って、e-learningの収録に挑んだ。

そのようすはまた次回の「病理の話」ででも説明しようと思う。これがまた一筋縄ではいかなかったのである。難しいよ収録。