2019年11月22日金曜日

病理の話(387) 細胞診専門医という限界マニア

ぼくの職業は病理医といって、顕微鏡で細胞をみて病気の正体をときあかし、病院では主にがんなどの病気の診断を手助けしている。

この仕事をするためにそこそこ必要な資格(絶対に必要とまではいわない)がある。病理専門医という。

この資格をとるにはそれなりの苦労がある。病理診断や病理の研究ばかりやっている、日本病理学会というところに所属した上で、訓練を5年くらいやって、その間に必要な経験を積んで、最後には試験を受ける。そうすると資格がとれる。

必要な経験というのはつまり実務経験なのだが、その中には

・迅速組織診



・病理解剖

が含まれている。これらの詳しい話は省くけれど、きわめて専門的な経験が必要なので、自分ひとりで病院の中で今日から病理の勉強をしますと言ってもまず達成できない。つまりは経験するために師匠が必要になる。だからどこかに所属しないといけない。そういう大変さがある。



ということでそれなりの苦労をして病理専門医になるわけだが、まあ、病理専門医という資格については、医学部に入って医師免許までとった人であれば、なんとかなる。まじめに4,5年勉強すればたいていとれる。

けれども実はこれのほかにも、細胞をみる専門資格があるのだ。

細胞診専門医、という。病理専門医とは微妙に異なる資格だ。もっとも、両方持っている人はかなり多いのだけれど。




病理専門医は、人体の中で細胞が作り上げている構造や、細胞ひとつひとつの形態などを、総合的に見極めるための資格。

これに対して細胞診専門医というのは、たとえていうならば

「ひたすら細胞の中身ばかりを見ていく仕事」

である。

病理専門医よりも、さらにミクロな世界で戦う。

ほかにも違いはいっぱいあるのだけれど、一般向けのブログでそこを細かく説明してもしょうがないのでここでは書かない。



あえて例え話にするとしたら……なにがいいかな、野球に例えようか。

病理専門医は、野球というスポーツのだいたいすべてを知り尽くしている。バッティング、ピッチング、フィールディング、走塁のしかた、ベースカバーのしかた。サッカーのことはわからないけれど野球だったらだいたいなんでもわかる、監督であり総合コーチみたいな存在だ。

これに対して、細胞診専門医は、例えるならばセカンドの守備に特化している。

ゴロのさばき方、ショートとの連携の仕方、バントのときにどう動くか、については、総合コーチよりもはるかに詳しい。セカンド専用コーチみたいなものだ。

打ち方は問わない。外野の守備も関係ない。しかし、セカンドの守備にだけ言えば、誰よりも詳しい存在。

細胞診専門医は職人的だ。病理専門医も十分職人なんだけど、それに輪をかけて。





この、細胞診専門医、若手の間ではあまり人気がないようである。

それはそうだろうな。病理専門医さえあれば、飯のタネには困らないのだから。

顕微鏡を駆使して細胞のあれこれに詳しい人間であるとアピールできれば、それ以上にマニアックな資格がなくても普通の病院では大活躍できる。

この上あえて苦労して、病理専門医以外の資格をとらなくてもいいじゃないか、と思う若手は多い。

けれどもぼくは、この、細胞診専門医資格のことが大好きなのである。理屈じゃなくて単に好き嫌いなんだけどね。




ぼくが病理専門医として働くためのスキルはかなり多い。細胞に詳しいことは職能の中心だ。でも、それ以外にも、臨床医がどうやって診断をしているか、病気の原因はどこにあるか、多くの医者がどういう検査をしているか、遺伝子解析にはどのような意味があるか、統計学、解剖学、分子生物学といった数多くの知識をなんとかかんとかやりくりしている。

これらの複数の知識は、必ずしも病理医だけがもっているものではない。

腫瘍内科医や、放射線診断医、外科医などは、ぼくらと同じような知識をそれぞれに持っている。

そのうえで、病理医はほかよりも「細胞に関する知識」が多い分だけ、病院の中で特殊性を発揮することができ、給料を稼ぐことができる。



で、この、「細胞に関する知識」については、病理専門医として勉強をするよりも、細胞診専門医として勉強をするほうが、さらにパワーアップできる。これはあくまでぼくの経験なのだけれども、ぼくは細胞診専門医を取得したあとのほうが、病理専門医としての仕事のレベルが確実に上がった。

セカンドの守備を知ることで、ショートにもファーストにも詳しくなるし、守備全体のリズムがよくなって、ひいてはバッティングにもいい影響が出て、結局チームが勝ちやすくなる、みたいな感じかなあ……。





今日はたとえ話ばかりしているけれど勘弁してほしい。この世界、マニアックすぎて、説明できないんだよな。けれどひとつ言えることがある。

「細胞診専門医の資格はいらないかな、病理専門医さえあれば働けるし。」

そうやってうそぶいている若い病理医がたまにいるのだが、もったいないな、と思う。

野球ってもっと深くかかわった方が楽しいと思うよ。まあ、無理強いはしないけどさ。

若いときからDHだけでがんばろうとするのはちょっと早計なんじゃないかなあ……あ、いや、おじさんのたわごとだと思って、聞き流してくれていいけどね。