2019年12月3日火曜日

本嫌いと仲良くなれるかどうかという話

『断片的なものの社会学』があまりにいいのでぶっ飛んでしまった。これを書いている時点でまだ読み終わっていないが、帯に書いてあるように、早くも読み終わるのがつらい。むかし、「名作保証。」というコピーがあったが(初代MOTHERだっけ?)、そういう本である。すごい。

読み終わるのがつらい本なんてめったにない、と書こうとして止まった。そうでもないな。ぼくけっこうそういう本読んでる。最近読んだ本は当たりが多い。

こないだ、札幌にある大型の書店で面陳されていたベストセラーの中に、明確なはずれがあったのだが、ほかがいい本ばかりだったのでかえって脳内で目立っている。いまだに書名も覚えている(これは珍しい。普通はおもしろくなかった本は存在ごと忘れるのに)。

そうやって、自分に合わない本があるほうがむしろ普通だろう。でも近頃のぼくは、手に取る本がどれもこれもおもしろくて読み終わるのがつらいと毎回言っている。なんだこれは。

最近は世の中に名作しかない、ということか。

ぼくが単に今、読書がおもしろくてしょうがないだけ、つまり感動の閾値が下がっているのか。

おもしろそうな本を手に取るセンスが上がっている? うーん。

あっそうか、紹介してもらった本が多いからか。ぼくがもともと、「この人はいい本を読むなあ」と思ってフォローしている人がすすめる本なのだから、おもしろいに決まっているのだ。そうかそういうことだ。

本以外の理由で付き合いがある人に本をすすめられても当たり外れは大きい。

けれども最初から「読む本にあこがれて」ひそかにフォローしている人なのだ。その人がいいと思う本は高確率でおもしろい。

なあんだ。解決した。

これもひとつの中動態かなあ。能動的におもしろい本を選んでいると思っているのは自分だけ、みたいな感じ。




近頃はあまり教科書を読んでいない。購読している学術雑誌は読んでいるけれど、医学書のたぐいをきちんと通読する回数が減っている。職能がさびつくのはいやだ。けれども、「いい医学書」をすすめてくれる人の数があまり増えない。

だからツイッターで「いい医学書」を読んでいる人を探してフォローするようにした。たまにいる。

ほかにも「いい社会学書」とか「いい童話」とか「いい詩」とか「いい写真集」などを紹介している人もフォローするのだけれど……。

そうすると今度は、「あまり本を読まない人の意見」が入って来づらくなって、エコーチェンバー現象化するのである。まったく世の中ってのは難しいよな。どうやっても偏るようにできている。