2016年9月28日水曜日

病理の話(2) ある臨床医との対話

悔しそうな声で電話がかかってきた。先日の記事で書いたのとはまた別の内視鏡医である。ぼくとたいして変わらない年齢、ぼくより若く見える見た目、つまりはうらやましい方の医者に属するタイプである。どうせまともな結婚をするのであろう。もうしているのかもしれないが、よく知らない。なお、ぼくは何故か、ろくでもない結婚をするタイプの医師と仲が良い。

「先生、お時間、いつ空いてますか」

ぼくがツイッターで連続投稿している時に、こういう電話がよくかかってくる。つまりはむこうも「ヒマだろ」とわかっているし、こっちも「ヒマじゃねぇよ」とは言えないので、「いつでもいいですよ」と答える。本当にすぐにやってきた。部屋の外で待っていたのではないか。

ちょっと前に診断したESD検体についての相談だった。

ESDとは、endoscopic submucosal dissectionの略で、内視鏡で・粘膜の下のところを・ぶったぎる、という意味である。まあとにかく、内視鏡医が、胃カメラを使って、癌の部分だけをチョキチョキと切ってくるスゴワザだと思っていただければよい。たいした技術だ。本当はいろいろ紹介したい。けど、詳しく書いたところで、本筋にはあまり影響しないので、飛ばす。

その医師が行った胃癌チョキチョキ術にて、採られてきた検体の病理診断を行ったのはぼくだ。しかし、自分で書いたレポートを見ても、臨床医がなぜ悔しそうに問い合わせをしてきたのか、いまいちわからないでいた。

臨床医が病理の所に悔しそうに電話をしてくるとき、その理由はだいたい決まっている。手術前に臨床医が予測していた内容が大きく外れたとき、が多い。

たとえば、「この癌は、およそこれくらいの範囲にあるだろう」と予測して、胃粘膜をチョキチョキ切ったとする。病理で確認すると、切除検体の端っこまで癌がある、つまり癌が採り切れていなくて、体の中にまだ癌が残っているときが、まれにある。これは、臨床医にとっては、実に悔しい。胃カメラで見て、ここまでが癌だろうと判断して、その範囲を全て採取してきたはずなのに、まさか採り切れていないなんて……。臨床医は悔しがると共に、不思議に思う。いったいなぜこの癌を見極められなかったのだろう、という疑問をもつ。

内視鏡医が想定する診断、予測する癌のひろがり、推測した癌のしみこみ方などは、非常に精度が高い。実に9割5分……いや、9割9分以上の確率で病理診断と一致する。それだけに、外した1分には魂を込めて検討をしていかないといけない。診断がずれた理由を探しに行かないといけない。

でも。今回の問い合わせ症例では、癌は「採り切れていた」のだ。しかも、その他の病理項目も、概ね術前の予測通りなのである。

ぼくは尋ねた。
「先生、うまいこと採れてますけど、どこが気に入らなかったんです」

内視鏡医は答える。
「いや……採れたからよかったんですけど、その、断端までの距離がね」

癌を切り取ると言っても、「切りしろ」があまりにも短いと、うっかり体の中にこぼしてきそうで怖い。だから、癌よりも少し大きい範囲で、余裕を持って切除する。この「切りしろ」の長さを「断端までの距離」と言う。

ぼく「ちゃんと採り切れてますって。断端までの距離も、4mmある。大丈夫ですね」

内視鏡医「いや……4mmしかないんですよね。まいったなあ。ぼく、1cmは間隔とったつもりだったんですよ」


これは少し前の話だ。しかし、会話はほとんどそのまま覚えている。彼は実に悔しそうな声をしていた。


ぼく「先生、4mmじゃ不満ですか」

内視鏡医「それって、内視鏡での見積もりが6mmもずれたってことです。ちょっとこの内視鏡画像、見てくださいよ。ほら、癌の模様はここまでだと思ったんです。だから、ここから1cmほど離して、ここで切った。切ったときの写真もあります」

ぼく「……」

内視鏡医「でもね、ふたを開けてみれば、断端までの距離が4mmでしょ?ということは、内視鏡画像のこの部分……ぱっと見、癌に見えなかった部分……ここには癌があるということになる」

ぼく「……ふむ」

内視鏡医「これね、もしこの ”わからなかった6mmの範囲”がね、10mmだったら、ぼくは癌を切り取れなかったということになります」

ぼく「ちょ、ちょっと一緒に顕微鏡見ましょう」


顕微鏡を見て考える。内視鏡医の考えた「6mmの誤差」は、「癌が、正常粘膜と類似した構造をとる部分が6mmほど存在した」という”理屈”によって説明することができそうだった。しかし、この考え方は当時は今ほど一般的ではなく、その内視鏡医に”納得”してもらうべく様々な文献や教科書を引っ張り出して、一緒に顕微鏡を見て、結果的にはたった6mmを解決するのに、半年以上の時間を必要とした。

多くの臨床医は、「顕微鏡でチマチマ診断して何が楽しいのか」とは絶対に言わない。

……まあ、ネットに惑溺していると、稀には医師を名乗る人間、ないしは患者を名乗る方々が、「顕微鏡なんぞ何が楽しいんだ」と思っていることは伝わってくるが、しかしこれはネットが陰を強調しているだけで、実際にはほとんどの臨床医が病理診断を大事にしてくれている。けどね、理想論はともかく、ほんとに6mmを大事にしてくれるのはうれしいな。そう思った。職人芸を感じるし、何より、「これがもし6mmじゃなくて10mmだったら」という仮定を設定して、自分のレベルを引き上げようという心意気がいい。

6mmの違いにこだわる臨床医を助ける仕事を、自重気味に「ぼく、針小棒大が好きなんで、楽しいっす」と言うことがある。しかし、小さい違いがなぜ起こったのか、認知の歪みは何によるものなのかを探ることは、実際とても刺激的な作業だし、形態診断学の醍醐味ではないかと思う。

昨日たまたま廊下で会った彼と挨拶をしたあとに、尋ねてみた。先生って独身なんですか?答えはここには書かないが、どちらかというと彼はぼくが仲良くすべきタイプだったと、今更ながらに知る事ができ、数年来の認知の歪みをまた一つ正すことができた。